君を選ぶ理由 〜花の香りと幼なじみのΩ〜

なの

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手放せなかったもの

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凪が倒れたのは、その夜遅くだった。

祖父の恒一が異変に気づいたのは、夕食の時間を過ぎても凪が部屋から出てこなかったからだ。  
ノックしても返事がない。嫌な予感がして、そっと戸を開けた。

室内に流れ出したのは、  
抑えきれないほど濃厚で熱を帯びた花の香りだった。

「……凪!」

ベッドの脇で、凪は崩れるように座り込んでいた。  
顔は真っ赤に上気し、呼吸は浅く速い。額には汗がびっしょり。  
シーツを握り潰す指先が、白くなるほど力が入っている。

「じい、ちゃん……」

掠れた声で、かろうじて顔を上げた。

「救急車……呼ぶか?」

恒一が慌てて抑制剤を探す。  
だが、凪は弱々しく首を振った。

「……もう、効かない。全部、飲んだ……」

その言葉で、すべてを察した。  
Ωの発情期。それも、無理を重ねた末の暴走。  
抑制剤の限界を超えた、本能の反乱だ。

「誰か……呼んで」

凪の唇が、小さく動く。  
熱に浮かされながら、必死に絞り出す。

恒一は、聞き逃さなかった。

「……誰を、呼ぶんだ」

長い沈黙。  
凪は苦しそうに目を伏せ、震える息の合間に、ついに言った。

「……湊」

その名前を聞いた瞬間、恒一は深く息を吐いた。  
孫の心が、どこを一番求めていたのか、今ようやくわかった。

「最初から、そう言えばよかったんだよ」

電話をかけたのは、桐生家だった。



湊が病院に駆けつけたとき、凪はすでに処置室で点滴を打たれ、鎮静剤で眠っていた。

「……俺が、来てよかったんですか」

病室の前で、湊は立ち尽くしていた。  
白い廊下の冷たい空気が、肌に刺さる。

「資格なんて、ないです。俺が凪をこんな目に……」

恒一は、静かに首を振った。  
いつもの穏やかな顔に、深い後悔の影が落ちている。

「資格なんぞ、最初からいらんよ」

その声には、確かな重みがあった。

「わしらが、間違えてたんだ」

湊は、ゆっくり顔を上げる。

「凪はな、ずっと“選ばれる理由”を探しておった。αとΩだからじゃない。家のためでもない。  
ただ、お前が“凪自身”を、選んでくれるかどうかだけを」

その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられた。  
凪が一人で抱え込んでいた葛藤の深さが、今になって痛いほどわかる。

「わしらはな、昔、お前らの歳で同じ道を歩いた。  
好きな相手がいても、“立場”を選んだ世代だ。  
だから孫には、同じ後悔をさせたくなくて…… 勝手に“完璧な未来”を用意してやったつもりだった」

恒一の目が、わずかに潤む。

「だが、それが凪を追い詰めてた。お前を呼んだのは、凪自身だよ。熱の中で、唯一欲した名前が」

そのとき、別の足音が廊下に響いた。

「湊!」

振り向くと、正人と颯が息を切らして駆けつけてくる。  
颯は状況を一瞬で察し、すぐに一歩下がった。

「俺は、外で待ってる。必要なとき呼べ」

その背中に、湊は初めて兄への純粋な感謝を覚えた。  
颯は、ずっと「間」を作ってくれていたんだ。

正人は、湊の肩に重い手を置いた。

「昔な、わしと恒一は、確かに親友だった。  
だが、それぞれの“選んだ道”が違った。 お前らは違う。同じ痛みを、分かち合えるはずだ」

声が、わずかに震える。

「わしらは、“幸せの形”を勝手に決めておった。  
αとΩの完璧な番だと。だがな、  
幸せは、そんな枠には収まらんのかもしれん」

湊は唇を噛みしめた。  
喉の奥が熱くなる。

「俺……凪に、ひどいこと言いました。  
『兄貴のほうが向いてる』って。あんな言葉、取り消したくて」

「知っとるよ」

正人は、はっきり言った。  
目を逸らさず、真正面から。

「颯から聞いた。あの子の電話でな。  
だが、それでも凪が呼んだのはお前だ。お前じゃなきゃ、駄目だったんだよ」

その事実が、何よりも重く胸にのしかかった。  
凪の心が、熱の果てに選んだのは、自分だった。

そのとき、病室の扉が静かに開いた。  
看護師が穏やかな声で言った。

「鎮静が効いてきました。少しだけなら、話せますよ。  
興奮させないよう、お願いしますね」

湊は、深く息を吸った。  
手が震えるのを抑えて、ゆっくり頷く。

「行ってきます」

祖父たちに頭を下げ、病室へ足を踏み入れる。

ここからだ。

選ぶ理由を、言葉にしなければならないのは自分だ。  
αでも幼馴染でもなく、ただ「湊として」。



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