君を選ぶ理由 〜花の香りと幼なじみのΩ〜

なの

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君を選ぶ理由

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病室の中は、消毒液の匂いが薄く漂っている。点滴の落ちる音だけが規則正しく響く。

カーテン越しの夜の灯りが、凪の寝顔を柔らかく照らしていた。

ベッドに横たわる凪は時折、眉間に、かすかに力が入っている。苦しい夢でも見ているのかもしれない。

湊は椅子に腰掛け、そっと凪の手を取った。

細くて、熱を持っているのにどこか冷たい指先。
胸の奥が、きしむように痛む。

「……凪」

小さく呼ぶ。返事はない。

それでも、言わなきゃいけない言葉があった。
目を覚ましていようが、眠っていようが、関係なかった。

「俺さ」

声が、わずかに震える。

「ずっと、怖かったんだ」

花の香りを初めて意識した幼い日のこと。
検査結果を知った日のこと。
祖父たちが笑いながら未来を決めつけた日のこと。

「凪がΩだから好きなんじゃないかって、ずっと自分で自分を疑ってた。
もしそれが本当だったら、俺は最低だって」

握った手に、力がこもる。

「兄貴のほうが、余裕があって強くて、ちゃんとαっぽくてさ。
凪がそっちを見る気がしたのも、俺が自分を信じきれなかったからだと思う」

そのとき、凪の指が、かすかに動いた。

湊は息を呑む。
凪の瞼が、ゆっくりと開いた。

「……湊?」

掠れた、小さな声。

「起こしちゃったか」

「……ううん。大丈夫」

凪はゆっくり視線を動かし、繋がれた手を見る。
その目が、少し潤んで揺れる。

「……来ないでって、言ったのに」

「言ったよ」

湊は目を逸らさず、まっすぐ見つめた。

「でも、俺は凪を選んだ。
αだからでも、Ωだからでもない。
家のためでも、世継ぎのためでもない」

一つずつ、言葉を丁寧に置いていく。

「俺が好きなのは、凪自身だ。
あの花の香りと一緒に育った、凪じゃなきゃダメなんだ。
香りがなくても、βでも、俺より強くなっても弱いままでいても。
ずっと、凪を選ぶ」

凪の頬を、静かに涙が伝った。

「……ずるいよ」

震える声で呟く。

「それ、今までずっと欲しかった言葉だ……
ずっと、湊にそう言ってほしかった」

湊は、そっと額を寄せた。
熱の残る肌が触れ合う。

「遅くなって、ごめんな。もう、絶対離さない」

凪は、泣きながら小さく笑う。

「……約束、して」

「するよ。一生分、前倒しでな」

病室に、花の香りが穏やかに広がった。
熱く衝動的なものではなく、落ち着いた、優しい甘さ。
選ばれた証のような、静かな幸せの匂いだった。



退院の日、病院のロビーは少し賑やかだった。

「まったく、心配かけおって」

恒一がわざとらしく咳払いし、
正人がにやりと笑う。

「まあ、顔見りゃわかるよ。
お前ら、すっかり出来上がっとるな」

湊と凪は、自然に並んで立っていた。指先が絡まって、離れない。

「結婚式はいつにする?」「早すぎるだろ」「籍だけでも入れとけ」
祖父たちは、さっそく大盛り上がりだ。

そこへ、颯が誰かを連れて現れた。

「悪い、遅くなった。紹介するよ」

隣に立つのは、背の高い女性。
ショートカットの髪に、きりっとした目元。シャツにスラックスという、颯より男らしい雰囲気。

「俺の恋人、怜。αだよ。よろしく」

「えっ!?」

湊と凪が同時に声を上げる。
恒一と正人も目を丸くする。

「颯さんとお付き合いされてたんですか!?」

「半年くらいかな。
凪が体調悪そうなとき、よく相談に乗ってもらってたの」

怜が爽やかに笑い、颯は照れくさそうに頭をかく。

「だから俺、あいつら見てても何も思わねえよ。
お前らちゃんと向き合えって、ずっと願ってたんだから」

湊は、兄の顔を見つめる。
誤解して、傷つけて、ごめん――
その一言が、ようやく言えた。

「兄貴、ありがとう」

颯は「バーカ」と笑って、怜の肩を抱いた。

「じゃ、俺らはこの辺で。ゆっくり帰れよ」

祖父たちも「わしらは先に帰る」と早々に退散。
ロビーに、湊と凪だけが残った。

春の柔らかい日差しの中、
凪が湊を見上げる。

「君を選ぶ理由なんて、増えることはあっても、減ることはないよ」

湊は、凪の肩を抱き寄せる。
髪に鼻を寄せると、変わらない花の香りがした。

「ずっと、この香りが好きだった。
凪の香り。凪そのもの」

凪は、目を細めて微笑む。

「これからも、ずっとそばにいるよ。湊が見つけられるところに」

二人の影が、春の風に溶けていく。
花の香りは、もう運命なんかじゃない。

二人で選んだ、未来の匂いだった。






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