十五年分のただいま

なの

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第9話:記念日のトーストは炭の味

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あの日、玄関で交わされた不器用なプロポーズから、季節は一つ巡った。

二人の左手の薬指には、お揃いのシンプルなリングが穏やかな光を放っている。

その夜、リビングのソファで、光希は読書に集中していた。隣に座る一楓が、ちらちらとこちらを見ては、そわそわと落ち着きなく身じろぎしているのに気づかないふりをしながら。

「なあ、光希」

「……なに」

「明日、何の日か覚えてるか?」

とうとう我慢できなくなったらしい一楓の問いに、光希はページから目を離さずに答える。

「俺たちが一緒に暮らし始めて、1年記念日でしょ。一週間前から毎日聞いてるから、さすがに覚えた」

「そうだ!だから明日は、俺がお前を最高に幸せにしてやるからな!朝起きた瞬間から、夜眠るまで、全部俺に任せろ!」

自信満々に胸を張る一楓に、光希はぱたりと本を閉じた。

「……また何か、変な最新家電でも買ったの?」

「なっ、なぜそれを!?」

図星だったらしい。光希の呆れた視線に、一楓は「サプライズだったのに…」と子どものように唇を尖らせた。

「もう寝る」

光希が立ち上がると、一楓も慌てて後を追う。寝室に入り、ベッドサイドの柔らかな間接照明だけが灯る中、一楓は背後から光希を優しく抱きしめた。

「光希……」

「……なに」

「愛してる」

耳元で囁かれるストレートな言葉に、光希の心臓が小さく跳ねる。こういう時だけ、この男は無駄にかっこいいからずるい。

「……知ってる」

「俺は、お前がいないと、本当に生きていけないんだ」

腕の力が強まり、首筋に顔をうずめられる。その声には、普段のヘタレっぷりが嘘のような、切実な独占欲が滲んでいた。光希は何も言わず、その腕にそっと自分の手を重ねた。言葉にしなくても、想いは伝わっているはずだから。

***

翌朝。
光希が目を覚ましたのは、窓から差し込む眩しい朝日と、隣で自分をじっと見つめる熱い視線のせいだった。

「……おはよ、一楓さん」

「おはよう、光希」

ベッドで幸せそうな寝息を立てていると思っていた一楓は、とっくに起きていたらしい。その瞳は、昨夜の甘い熱を帯びたまま、蕩けるように光希を見つめている。

「……あと五分……昨日の続き、したくなった……」

寝ぼけながら光希の腰に腕を回して抱き寄せ、首筋にキスを落とす一楓に光希は苦笑した。

「もう。今日はあんたが朝ごはん作るって約束でしょ」

その言葉に、一楓はぱちりと目を開けた。

「そうだ!今日は俺たちが一緒に暮らして1年の記念日だ!最高の朝食を光希に食べさせてやる!」

ガバッと起き上がると、一楓は意気揚々と全裸のままキッチンへと向かっていった。その背中を見送りながら、光希は、どうせまた何かやらかすんだろうな~と、愛情のこもったため息をついた。

予感は的中する。
キッチンから聞こえてきたのは、小気味よい調理音ではなく、電子音と一楓のうめき声だった。

「なんでだ…?この最高級トースター、ボタンが多すぎる…!究極の黄金比モードはどこだ!?」

光希がそっと様子を窺うと、一楓は説明書を片手に唸りながら、必死でボタンを操作していた。

「よし、これだ!焼き上がれ!」

自信満々にスイッチを入れた数分後、「ポーン」という軽快な音と共にトースターから飛び出してきたのは、黄金どころか、もはや炭としか呼べない黒い物体だった。

「……………。」

固まる一楓。そして次の瞬間、キッチンに設置された高感度の煙感知器が、けたたましい警告音を鳴らし始めた。

「ビィィィィッ!火災を検知しました!」

「うわああああ!ご、ごめん光希!俺のせいで!」

狼狽し、右往左往する一楓。その姿はあまりにも情けなく、そしてどこまでも彼らしかった。

光希は冷静に窓を開けて換気し、慣れた手つきで警報を停止させる。そして、頭を抱えてしゃがみ込む大きな子どもの背中を、ぽんと叩いた。

「ほら、立って。火事にならなくてよかったでしょ」

「うう……光希。俺、お前にかっこいいところを見せたくて、記念日なのに、また失敗した……」

本気で落ち込む一楓に、光希はふっと笑みをこぼした。

「知ってるよ、そんなこと」

「え……」

「あんたが俺のために一生懸命になってくれる。その時間が、俺にとっては一番嬉しいプレゼントなんだよ。パンが炭になっても、警報が鳴ってもね」

その言葉は、どんな高級なプレゼントよりも、一楓の心を温かく満たした。

「み、つき……っ」

一楓の瞳から、またしても大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。光希はその涙を指で優しく拭ってやった。

その後、光希は真っ黒なトーストをつまみ上げ、じっと見つめた。軽く指で弾けば、表面の炭が細かな粉になって床に落ちる。ため息をひとつ。けれど、その口元はうっすら笑っていた。

「……この焦げ具合、完璧に均一。ある意味、才能だね」

「褒められてる気がしない!」

「うん、褒めてない」

即答に一楓が肩を落とす。だが、次の瞬間には勢いよく顔を上げた。

「でも俺は、諦めない男だ!二回目のトライ――」

「待って。今日は大切な日。炭の再現実験は、別日にして」

「うっ……はい」

観念した一楓のはいが妙に可愛い。光希は思わず吹き出しそうになるのをこらえ、冷蔵庫を開けた。
取り出した卵をボウルに割り入れて、箸で静かに溶く。白身の筋がほどけていく音が、微かに柔らかい。出汁と砂糖と少しの塩、そこへ指先で掴んだ空気の軽さを混ぜ込むようにして、滑らかに。

「俺、何をすれば――」

「見てて。今日は見る役が大事」 

フライパンに油を薄く引き、熱がうっすら回ったタイミングで卵液を流す。端がふるりと固まる前に、ヘラの角で丁寧に寄せる。層が重なり、黄色がふっくらと厚みを増す。その一挙手一投足を、一楓は固唾を呑んで見守った。さっきまでのドタバタが嘘みたいに、視線は真剣で、穏やかだ。

「……なあ、光希」

「なに」

「俺、こういう時間が、すごく好きだ」

「料理番組の観客になった気分?」

「違う。隣で、君が料理を作る姿を見ていられること。なんか、胸がいっぱいになる」

「――炭で?」

「違う!」

たしかに、笑ってしまう。だけど、胸の奥でほんの少しあたたかいものが膨らんでいくのも、嘘じゃない。
味噌汁に湯気が立ち上り、湯気の向こうで冬の朝日がやわらかく滲む。炊きたてのご飯をよそい、刻んだ青ねぎをふわりと落とせば、テーブルの上はもう日常のご馳走だ。 

「いただきます」

二人で手を合わせると、一楓はまず卵焼きを頬張った。歯が沈み、舌に甘みと出汁の香りが広がる。

「……うまい。俺、いつか再現できるかな」

「焦がさないところから、かな」

「道のりが長い!」

「ゆっくりでいいよ。失敗しても、笑えばいい」

ふっと目が合う。たったそれだけで、言葉より深い安心が互いに届く。

食後、一楓は意地になったのか、こっそりトースターの説明書を再び開いた。光希が食器を洗いながら振り返ると、彼は真剣な顔でボタン配置にシールを貼っていた。

「……勉強熱心だね」

「来年の記念日までに、黄金比を俺の手で出す。約束する」

「じゃあ、約束の前金として、今はキスで手を打とうか」

「なっ……いま、ここで?」

「シンクの前で」

耳まで真っ赤にしながら、それでも一楓は素直に近づいてきた。皿から落ちる水滴の音、窓の外で鳴く小鳥の声。唇が触れ、小さく離れる。ふわりと、湯気のようにやわらかい。

「……これ、黄金比よりずっと簡単だな」

「二人ならね」

まだ少し焦げの臭いが残るキッチンの空気を軽くしていく。
テーブルの端には、黒いトーストの欠片が小さな山になっている。光希はそれを一つ摘み、ほんの欠片だけ唇に当てた。

「ねえ、一楓さん。炭の味って、意外と記憶に残るんだよ」

「え、まさか――」

「来年の黄金比トーストを、ちゃんと褒めるために。今日の失敗は、覚えておく」

一楓はぽかんとしたあと、ゆっくり笑った。少し泣きそうな目で。

「じゃあ、来年、俺は君に記憶の更新をさせる」

「期待してる」 

こうして、1年目の記念日は炭の臭いで始まり、甘い出汁で満たされ、少しだけのキスで締めくくられた。完璧からはほど遠い朝。
でも、二人にとっては、完璧より大切な「一緒にいる朝」だった。

この家の換気扇には、今日もやさしい風が流れている。来年の約束まで、あと365日。失敗と笑いで埋め尽くされる、その道のりがもうすでに愛おしい。




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