【完結】獣王の番

なの

文字の大きさ
5 / 40
第一章:政略の番

第四話:見えざる棘

しおりを挟む
書庫での予期せぬ出会いから数日、ユリアンの日常に変化はなかった。

だが、ユリアンの内面には小さな、しかし確かな変化が生まれていた。

深夜の書庫通いは彼の密かな日課となった。
スリルと、それを上回る知的好奇心。そして何より、あの夜、王が見せたほんの僅かな不可解な反応が、彼の心を捉えて離さなかったのだ。無駄な知識だと切り捨てながらも、追い出すこともしなかった獣王。その真意は読めないままだが、あの出来事は、ユリアンの中に「ただ耐えるだけではない」という微かな意志を芽生えさせていた。

そんなある日、侍女が珍しく硬い表情で告げた。

「今宵、大広間で晩餐会がございます。ユリアン様もご出席いただくよう、宰相様からの達しです」

――晩餐会。
その言葉に、ユリアンの心臓が冷たく脈打った。これまで意図的に人目から遠ざけられてきた自分が、なぜ?

おそらく、和平を結んだ隣国への体面を保つため、形だけでも王の「献上品」を披露する必要が出たのだろう。

――行きたくない。
大勢の獣人たちの軽蔑の視線に、再び一身に晒されるのかと思うと胃が縮み上がるようだった。

しかし、これは宰相からの命令。王に次ぐ権力者からの召集を、人質の身であるユリアンが断れるはずもなかった。

それほどの晩餐会だというのに、ユリアンのための衣装は一着も用意されていなかった。
侍女が選び取ったのは、故郷から持ち込んだ中で、ただ一つ礼装と呼べる白い衣――あまりに質素なその衣だった。

袖を通し鏡の前に立つ。
そこに映るのは、これから晒し者にされる己の姿。ユリアンは一度強く目を閉じると静かに息を吐いた。

大広間は、きらびやかな装飾と獣人たちの熱気でむせ返るようだった。
ユリアンが姿を現すと、一瞬ざわめきが広がり、すぐに嘲笑あざわらう声と好奇の視線に変わる。

案内されたのは広間の最も末席。王の玉座からは遥か遠く、まるで存在しないかのように扱われる場所だった。

ライオネルは、すでに玉座に腰を下ろし、側近たちと談笑していた。こちらに一瞥もくれない。その完全な無関心は、ユリアンの胸を深く抉った。

晩餐会が始まっても、ユリアンの周りには誰も近寄らない。彼のテーブルだけが、まるでぽっかりと穴が空いたように静まり返っていた。時折、遠くのテーブルから投げかけられる悪意ある囁き声が耳に届く。

「見ろ、あの線の細いのが噂のΩか」
「王があんなものを番になさるわけがない。ああして飾っておくだけでも、虫唾が走る」

ユリアンは、ただ無心に目の前の皿を見つめた。
食事を喉に通すこと自体が、苦行のようだった。

その時だった。近くのテーブルにいた、熊のように大柄な貴族が立ち上がり、わざとらしくよろめいた。そして持っていた赤ワインのグラスが、まるで狙いを定めたかのようにユリアンの白い礼装にぶちまけられたのだ。

「うおっ、すまんな!手が滑った!」

男は悪びれもせずに笑い、周囲の者たちも、くつくつと喉を鳴らして笑っていた。

純白の衣に、どす黒い染みが醜く広がる。
それは、「王の番」という神聖なはずの存在を自分の手で汚してやったという、彼の歪んだ満足感の表れだった。

広間の空気が、一瞬止まる。誰もが、この不遇なΩがどう反応するかを見守っていた。泣き出すか、怒るか、あるいは屈辱に震えるか。

上座からその様子を冷ややかに見ていた男がいた。
――宰相のグレンだ。   

彼は、この政略の駒であるΩを信用していなかった。感情的で、か弱いΩなど国の安定を揺るがしかねない存在だと考えている。
おそらく、この辱めを受けて泣きわめき、場を乱すだろう。そう予測していた。

しかし、ユリアンの取った行動は、その場にいた全ての者の意表を突くものだった。

ユリアンは、ゆっくりと立ち上がった。汚れた衣を見下ろし、そしてワインをかけた男に視線を向ける。
その瞳に、怒りも、悲しみも、涙もなかった。ただ、氷のように静かな光が宿っているだけだった。

「……私(わたくし)の不注意で、皆様の席を汚してしまいました。申し訳ございません」

深く、しかし凛とした声でそう言うと彼は優雅に一礼した。

「このままでは皆様の気分を害してしまいますので、私はこれで失礼いたします」

その立ち居振る舞いは、あまりにも完璧で気高かった。まるで、自分が被害者であることなど微塵も感じさせない。むしろ、場の空気を乱したことを詫び、王族としての品格さえ漂わせていた。

呆気に取られる貴族たちを尻目に、ユリアンは静かに踵を返す。その背筋は、まっすぐに伸びていた。誰にも媚びず、誰にも屈しない。見えざる棘のような誇りをその身に纏って。

宰相グレンは、その小さな背中が人混みに消えていくのを無言で見送っていた。予測とは全く違う反応。
あの静かな瞳の奥に見た、強い光。

あれは、ただのか弱いΩのそれではない。グレンの眉間に、初めてかすかな戸惑いの皺が刻まれた。

自室に戻ったユリアンは、汚れた服を脱ぎ捨てた。
扉に背を預け、大きく息を吐く。涙は出なかった。代わりに、体の奥底から、冷たい怒りが湧き上がってくるのを感じていた。

――舐められてたまるか。
彼らが望むような、哀れな被害者には決してならない。この心まで彼らに汚させるものか。

ユリアンは固く拳を握りしめた。その夜を境に、彼の心に宿る棘は、さらに鋭く、硬く、研ぎ澄まされていくことになる。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

追放オメガ聖帝の幸せな結婚〜クールなスパダリ騎士に拾われて溺愛されるまで〜

あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
ノルディーナ王国の聖帝サーナは、教皇のありもしない嘘のせいで聖宮から追放されてしまう。 行く当てがないサーナが国境に向かうと、そこで隣国ルミルカ王国の騎士であるムーシュと出会う。ムーシュから諸事情により偽装結婚を提案されて、サーナは期限付きの偽装結婚ならばよいと承諾し、一時的に保護してもらうことに。 異国暮らしに慣れていく中で、やがてムーシュから溺愛されるようになり……?

【蒼き月の輪舞】 モブにいきなりモテ期がきました。そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!

黒木  鳴
BL
「これが人生に三回訪れるモテ期とかいうものなのか……?そもそもコレ、BLゲームじゃなかったよな?!そして俺はモブっ!!」アクションゲームの世界に転生した主人公ラファエル。ゲームのキャラでもない彼は清く正しいモブ人生を謳歌していた。なのにうっかりゲームキャラのイケメン様方とお近づきになってしまい……。実は有能な無自覚系お色気包容主人公が年下イケメンに懐かれ、最強隊長には迫られ、しかも王子や戦闘部隊の面々にスカウトされます。受け、攻め、人材としても色んな意味で突然のモテ期を迎えたラファエル。生態系トップのイケメン様たちに狙われたモブの運命は……?!固定CPは主人公×年下侯爵子息。くっついてからは甘めの溺愛。

転生DKは、オーガさんのお気に入り~姉の婚約者に嫁ぐことになったんだが、こんなに溺愛されるとは聞いてない!~

トモモト ヨシユキ
BL
魔物の国との和議の証に結ばれた公爵家同士の婚約。だが、婚約することになった姉が拒んだため6男のシャル(俺)が代わりに婚約することになった。 突然、オーガ(鬼)の嫁になることがきまった俺は、ショックで前世を思い出す。 有名進学校に通うDKだった俺は、前世の知識と根性で自分の身を守るための剣と魔法の鍛練を始める。 約束の10年後。 俺は、人類最強の魔法剣士になっていた。 どこからでもかかってこいや! と思っていたら、婚約者のオーガ公爵は、全くの塩対応で。 そんなある日、魔王国のバーティーで絡んできた魔物を俺は、こてんぱんにのしてやったんだが、それ以来、旦那様の様子が変? 急に花とか贈ってきたり、デートに誘われたり。 慣れない溺愛にこっちまで調子が狂うし! このまま、俺は、絆されてしまうのか!? カイタ、エブリスタにも掲載しています。

【新版】転生悪役モブは溺愛されんでいいので死にたくない!

煮卵
BL
ゲーム会社に勤めていた俺はゲームの世界の『婚約破棄』イベントの混乱で殺されてしまうモブに転生した。 処刑の原因となる婚約破棄を避けるべく王子に友人として接近。 なんか数ヶ月おきに繰り返される「恋人や出会いのためのお祭り」をできる限り第二皇子と過ごし、 婚約破棄の原因となる主人公と出会うきっかけを徹底的に排除する。 最近では監視をつけるまでもなくいつも一緒にいたいと言い出すようになった・・・ やんごとなき血筋のハンサムな王子様を淑女たちから遠ざけ男の俺とばかり過ごすように 仕向けるのはちょっと申し訳ない気もしたが、俺の運命のためだ。仕方あるまい。 クレバーな立ち振る舞いにより、俺の死亡フラグは完全に回避された・・・ と思ったら、婚約の儀の当日、「私には思い人がいるのです」 と言いやがる!一体誰だ!? その日の夜、俺はゲームの告白イベントがある薔薇園に呼び出されて・・・ ーーーーーーーー この作品は以前投稿した「転生悪役モブは溺愛されんで良いので死にたくない!」に 加筆修正を加えたものです。 リュシアンの転生前の設定や主人公二人の出会いのシーンを追加し、 あまり描けていなかったキャラクターのシーンを追加しています。 展開が少し変わっていますので新しい小説として投稿しています。 続編出ました 転生悪役令嬢は溺愛されんでいいので推しカプを見守りたい! https://www.alphapolis.co.jp/novel/687110240/826989668 ーーーー 校正・文体の調整に生成AIを利用しています。

この俺が正ヒロインとして殿方に求愛されるわけがない!

ゆずまめ鯉
BL
五歳の頃の授業中、頭に衝撃を受けたことから、自分が、前世の妹が遊んでいた乙女ゲームの世界にいることに気づいてしまったニエル・ガルフィオン。 ニエルの外見はどこからどう見ても金髪碧眼の美少年。しかもヒロインとはくっつかないモブキャラだったので、伯爵家次男として悠々自適に暮らそうとしていた。 これなら異性にもモテると信じて疑わなかった。 ところが、正ヒロインであるイリーナと結ばれるはずのチート級メインキャラであるユージン・アイアンズが熱心に構うのは、モブで攻略対象外のニエルで……!? ユージン・アイアンズ(19)×ニエル・ガルフィオン(19) 公爵家嫡男と伯爵家次男の同い年の乙女ゲー転生BLです。

婚約破棄を望みます

みけねこ
BL
幼い頃出会った彼の『婚約者』には姉上がなるはずだったのに。もう諸々と隠せません。

転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。

星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。 前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。 だが図書室の記録が冤罪を覆す。 そしてレイは知る。 聖女ディーンの本当の名はアキラ。 同じ日本から来た存在だった。 帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。 秘密を共有した二人は、友達になる。 人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。

異世界から戻ったら再会した幼馴染から溺愛される話〜君の想いが届くまで〜

一優璃 /Ninomae Yuuri
BL
異世界での記憶を胸に、元の世界へ戻った真白。 けれど、彼を待っていたのは あの日とはまるで違う姿の幼馴染・朔(さく)だった。 「よかった。真白……ずっと待ってた」 ――なんで僕をいじめていた奴が、こんなに泣いているんだ? 失われた時間。 言葉にできなかった想い。 不器用にすれ違ってきたふたりの心が、再び重なり始める。 「真白が生きてるなら、それだけでいい」 異世界で強くなった真白と、不器用に愛を抱えた朔の物語。 ※第二章…異世界での成長編 ※第三章…真白と朔、再会と恋の物語

処理中です...