【完結】獣王の番

なの

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第一章:政略の番

第三話:予期せぬ出会い

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獣王国に来てから、十日以上が過ぎた。
ユリアンの生活は静かで冷たく、そして孤独だった。まるで止まってしまった時計のように変化のない毎日がただ繰り返されていく。

朝、目が覚め、無言の侍女が運んでくる食事をとり、陽の当たらない部屋で一日を過ごす。夜になれば、再び冷え切った食事を口にし、広いベッドで一人、長い夜を耐える。

それでも、ユリアンは無為に時間を過ごすことだけはしなかった。このまま思考まで止めてしまえば、本当にただの置物になってしまう。

彼は侍女に、数冊の本を持ってきてほしいと頼み込んだ。最初は怪訝な顔をされたが、無害なΩのささやかな願いは聞き届けられ、埃をかぶった数冊の本が部屋に運び込まれた。

その中の一冊、獣王国の古い法律に関する分厚い本のページをめくっていた時、指先に硬い感触が当たった。そっと取り出してみると、それは象牙で作られた小さな札だった。
細かな彫刻が施されたその札こそ、城の書庫を自由に利用できる許可証であることに気づいたのは、全くの偶然だった。

おそらく、以前この本を読んでいた誰かが、栞代わりに挟んだまま忘れてしまったのだろう。ユリアンは数日迷った末、一つの決意を固める。人々の活動が少なくなる深夜、誰にも見つからないように書庫を訪れることにしたのだ。

それは、危険な賭けだった。もし王や兵士に見つかれば、「目障りな真似」をしたとして、何をされるか分からない。だが、知識は力になる。この国の歴史や文化、地理を知ることは、いつか自分を守る盾になるかもしれない。何より、分厚い壁に囲まれた部屋で心をすり減らすより、ずっと有意義に思えた。

その夜、ユリアンは息を殺して自室を抜け出した。月明かりだけが頼りの薄暗い廊下を、影のように進む。幸い、深夜の北塔は静まり返っており、誰の気配もなかった。巨大な書庫の扉の前に立った時、心臓は早鐘のように鳴っていたが、彼の瞳には強い意志の光が宿っていた。

書庫の中は、古い紙とインクの匂いで満たされていた。天井まで届く本棚が迷宮のように立ち並び、その全てが知識で埋め尽くされている。ユリアンは夢中になって読み漁った。

獣王国の成り立ち、代々の王の記録、そしてこの地に自生する薬草に関する書物。故郷では学ぶ機会のなかった全てが新鮮で、彼の知的好奇心を強く刺激した。

どれくらいの時間が経っただろうか。一冊の歴史書に没頭していたユリアンは、不意に背後で重い扉が開く音を聞き、心臓が凍りついた。

――しまった、誰か来た!

慌てて本を棚に戻し、物陰に隠れようとした、その時。

「――そこにいるのは誰だ」

地を這うような低い声に、全身が縫い付けられたように動けなくなった。聞き間違えるはずもない。この城でただ一人、絶対的な支配者の声。獣王ライオネルだった。

ゆっくりと振り返ると、入口に立つ巨大な影と目が合った。ライオネルは夜着の上に分厚いガウンを羽織っただけのラフな格好だったが、その威圧感は揺るがない。むしろ、謁見の間で見た、王の威光を示す豪奢な鎧姿でさえ感じられた圧倒的な覇気より、より生々しい獣の気配を放っていた。

「……ユリアンか。なぜ、お前がここにいる」

琥珀の瞳が、驚きと苛立ちと、そしてほんの僅かな探るような色を浮かべてユリアンを射抜く。ユリアンは恐怖で震えそうになる体を必死で堪え、その場に深く膝を折った。

「も、申し訳ありません、陛下。許可なく……。
ただ、この国のことを少しでも知りたくて……。すぐに出てまいります」

声が震える。顔を上げることもできず、ただ床の一点を見つめる。処分されるかもしれない。あの冷たい声で、「失せろ」と命じられるかもしれない。だが、ライオネルの言葉はすぐには降ってこなかった。代わりに、重い足音が近づいてくる。

ユリアンの目の前に、ライオネルの足が止まった。見上げることのできないまま、息を詰める。

「……何を読んでいた」

「え……?」

予想外の問いに、思わず顔を上げてしまう。ライオネルは、ユリアンが先程まで読んでいた棚を顎で示した。その視線は相変わらず冷たいが、謁見の時のような絶対的な拒絶とは、どこか違う色を帯びているように感じられた。

「……建国の歴史について、です。初代の王が、いかにして獣人の氏族をまとめ上げられたのか……大変、興味深く……」

消え入りそうな声で答えると、ライオもネルはふん、と鼻を鳴らした。

「小国のΩが、学ぶだけ無駄な知識だ」

相変わらずの辛辣な言葉。だが、それだけだった。ライオネルはユリアンを一瞥すると、興味を失ったように奥の棚へと向かっていく。そして目的の書物を抜き取ると、一度も振り返ることなく書庫を出て行った。

残されたのは、圧倒的なαの残り香と、呆然とするユリアンだけだった。

(……なぜ、見逃されたのだろう)

もっと罵倒されても、追い出されてもおかしくなかった。それなのに、王はただ、そこにいることを許した。

自室に戻り、冷たいベッドに横たわる。ライオネルの予期せぬ行動が、心をかき乱して眠れそうにない。あの琥珀の瞳に宿っていた、ほんの僅かな感情の変化。それはきっと、自分の思い過ごしだ。そう言い聞かせても、一度生まれた小さな波紋は、静かな心に広がり続けていた。

その夜、ユリアンは久しぶりに声を殺して泣いた。

見逃されたことへの安堵ではない。王の気まぐれに一喜一憂してしまう自分が、不甲斐なくて、情けなかったからだ。拒絶され、価値がないと断じられた相手の、ほんの些細な行動に縋りそうになる。そんな弱い自分が、たまらなく嫌だった。

枕に顔を埋め、静かに零れる涙だけが、彼の気高い孤独を濡らしていた。

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