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第三章:獣の本能とΩの力
第十二話:夜の共犯者
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少年ノアとの出会いは、ユリアンの灰色だった城での生活に、小さな彩りをもたらした。
ノアはあれ以来、毎日薬草園に顔を出すようになった。最初は遠くから様子を窺うだけだったが、すぐにユリアンの隣に座り興味深そうにその手元を覗き込むようになる。
「この草は、お腹が痛い時に効くんだよ」
「じゃあ、こっちの赤い花は?」
「それは、熱を下げてくれるんだ。でも、根には毒があるから気をつけないと」
ユリアンは、書庫で得た知識をノアに教えながら、一緒に薬草の手入れをした。
無邪気な少年との交流は、張り詰めていたユリアンの心を少しずつ解きほぐしていく。
自分がこの城で、誰かの役に立てている。そのささやかな実感が、彼にとって大きな支えとなっていた。
一方、ライオネルは、日に日に大きくなる胸のざわめきを持て余していた。
あの日、窓から見たユリアンの笑顔が、まるで幻影のように脳裏にちらついて離れない。
政務に集中しようとしても、ふとした瞬間に、あの穏やかな光景が蘇る。
そのたびに、心臓が奇妙な音を立て思考が乱された。
(一体、何だというのだ、この感情は……)
ライオネルは、苛立ち紛れに執務室を抜け出し、城内を当てもなく彷徨う。
そして、まるで何かに引かれるように、その足は薬草園の見える回廊へと向いていた。
今日も、ユリアンは少年のノアと一緒だった。
二人は並んで地面に座り込み、楽しそうに何かを話している。その光景は、あまりにも平和で穏やかに見えた。
ライオネルは、柱の影に身を潜め、ただじっとその姿を見つめる。
近づきたいわけではない。話したいわけでもない。ただ、あの姿から目が離せないのだ。
あのΩが放つ穏やかで清らかな空気が、なぜか自分の荒れ狂う獣の本能を別の意味で掻き乱す。
独占したい。手に入れたいという、どす黒い欲求とは違う。
ただ、あの空気の中に、自分も身を置いてみたいと、柄にもなくそう感じてしまうのだ。
そんなある日の夜。
ユリアンは、いつものように深夜の書庫を訪れていた。昼間はノアとの交流や薬草園の仕事があるため、ゆっくりと本を読む時間が取れるのは、この静かな夜の時間だけだった。
今日は、獣王国の神話に関する古い書物を手に取った。そこには、代々の獣王と、彼らに仕えた聖獣たちの伝説が記されている。夢中になってページをめくっていると、不意に背後で聞き慣れた低い声がした。
「……また来ていたのか」
びくりとして振り返ると、そこにはライオネルが立っていた。
書斎で会った時のような冷たい拒絶のオーラはなく、どこか疲れたような静かな気配をまとっている。
「へ、陛下……。申し訳ありません、すぐに出ていき……」
「いや、いい」
ライオネルは、ユリアンの言葉を遮った。そして、こともなげにユリアンの隣の棚から一冊の本を抜き取ると近くの長椅子にどかりと腰を下ろし、それを読み始めたのだ。
ユリアンは、どうしていいか分からず、その場に立ち尽くす。
出て行け……とも言われない。
かといって、何かを話しかけられるわけでもない。ただ、同じ空間にいることを、許されている。
その事実が、ユリアンの心臓をぎこちなく脈打たせた。
書庫には、時折ページをめくる音と、二人の静かな呼吸の音だけが響く。
それは、奇妙な共犯関係のようだった。眠らない王と、眠れないΩ。
誰にも知られず、ただ静かに同じ時間を共有する。
どれくらいそうしていただろうか。ライオネルは、読んでいた本から顔を上げると、ぽつり、と呟いた。
「……昼間、ノアと話していたな」
その言葉に、ユリアンの肩が跳ねた。見られていたのだ。
「あ、はい……薬草園の手伝いを……」
「そうか……」
会話は、それきりだった。だが、ユリアンには分かった。彼は、自分のことを気にかけている。避け、遠ざけながらも、その視線は常に自分に向けられているのだと。
その日から、二人の奇妙な夜の密会が始まった。
毎晩のように、二人は書庫で顔を合わせた。言葉を交わすことはほとんどない。
それぞれが好きな本を読み、時折、視線が交錯するだけ。だが、その沈黙は、昼間のどんな会話よりも雄弁に二人の距離を縮めていた。
ライオネルは、ユリアンが隣にいると不思議と心が凪ぐのを感じていた。獣の血が騒ぐこともなく、ただ静かに満たされていくような感覚。それは、生まれて初めて感じる、穏やかな安らぎだった。
そして、ユリアンもまた、ライオネルの側にいることに心地よさを感じ始めていた。
あの圧倒的なαの香りに包まれていると不思議と心が安らぐ。彼がここにいる。それだけで、孤独な夜が、温かいものに変わっていくようだった。
ある夜、歴史書を読んでいたユリアンは、ふと眠気に襲われ、こくりこくりと舟を漕ぎ始めた。その様子に気づいたライオネルは、小さくため息をつくと、読んでいた本を閉じた。
そして、眠ってしまったユリアンの隣に静かに立つ。
月明かりに照らされた、無防備な寝顔。長い睫毛が白い頬に影を落としている。
昼間の凛とした姿とは違う、幼さを感じさせるその表情にライオネルは思わず手を伸ばしかけた。
その白い頬に、触れてみたい。
その柔らかな髪を、梳いてみたい。
そんな衝動に駆られ、ライオネルはハッとして手を引っ込めた。
自分は何を考えているのだ。こいつは、ただの人質で拒絶すべきΩだ。それなのに、なぜ……。
ライオネルは、己の内側でせめぎ合う感情に、音を立てて舌打ちをした。
そして、自分が羽織っていたガウンを脱ぐと、それを眠っているユリアンの肩に、そっとかけた。
「……風邪を引くぞ」
ライオネルはそう呟くと、一度も振り返ることなく、書庫を後にした。
やがて、肩に感じた重みと温もりで、ユリアンは目を覚ました。
肩にかかっているのは見覚えのある、そして嗅ぎ覚えのあるガウン。そこから立ち上る、ライオネル自身の香り。
(かけてくれたんだ……)
ユリアンは、そのガウンを胸に抱きしめた。
そこには、あの冷徹な王の、不器用で、そして隠しきれない優しさが染み込んでいる気がした。
拒絶と、安らぎ。
冷たさと、温もり。
二人の間にある見えない壁はまだ厚く、高い。だが、その壁の向こう側から、確かに温かい光が差し込んできているのを、ユリアンは確かに感じていた。
ノアはあれ以来、毎日薬草園に顔を出すようになった。最初は遠くから様子を窺うだけだったが、すぐにユリアンの隣に座り興味深そうにその手元を覗き込むようになる。
「この草は、お腹が痛い時に効くんだよ」
「じゃあ、こっちの赤い花は?」
「それは、熱を下げてくれるんだ。でも、根には毒があるから気をつけないと」
ユリアンは、書庫で得た知識をノアに教えながら、一緒に薬草の手入れをした。
無邪気な少年との交流は、張り詰めていたユリアンの心を少しずつ解きほぐしていく。
自分がこの城で、誰かの役に立てている。そのささやかな実感が、彼にとって大きな支えとなっていた。
一方、ライオネルは、日に日に大きくなる胸のざわめきを持て余していた。
あの日、窓から見たユリアンの笑顔が、まるで幻影のように脳裏にちらついて離れない。
政務に集中しようとしても、ふとした瞬間に、あの穏やかな光景が蘇る。
そのたびに、心臓が奇妙な音を立て思考が乱された。
(一体、何だというのだ、この感情は……)
ライオネルは、苛立ち紛れに執務室を抜け出し、城内を当てもなく彷徨う。
そして、まるで何かに引かれるように、その足は薬草園の見える回廊へと向いていた。
今日も、ユリアンは少年のノアと一緒だった。
二人は並んで地面に座り込み、楽しそうに何かを話している。その光景は、あまりにも平和で穏やかに見えた。
ライオネルは、柱の影に身を潜め、ただじっとその姿を見つめる。
近づきたいわけではない。話したいわけでもない。ただ、あの姿から目が離せないのだ。
あのΩが放つ穏やかで清らかな空気が、なぜか自分の荒れ狂う獣の本能を別の意味で掻き乱す。
独占したい。手に入れたいという、どす黒い欲求とは違う。
ただ、あの空気の中に、自分も身を置いてみたいと、柄にもなくそう感じてしまうのだ。
そんなある日の夜。
ユリアンは、いつものように深夜の書庫を訪れていた。昼間はノアとの交流や薬草園の仕事があるため、ゆっくりと本を読む時間が取れるのは、この静かな夜の時間だけだった。
今日は、獣王国の神話に関する古い書物を手に取った。そこには、代々の獣王と、彼らに仕えた聖獣たちの伝説が記されている。夢中になってページをめくっていると、不意に背後で聞き慣れた低い声がした。
「……また来ていたのか」
びくりとして振り返ると、そこにはライオネルが立っていた。
書斎で会った時のような冷たい拒絶のオーラはなく、どこか疲れたような静かな気配をまとっている。
「へ、陛下……。申し訳ありません、すぐに出ていき……」
「いや、いい」
ライオネルは、ユリアンの言葉を遮った。そして、こともなげにユリアンの隣の棚から一冊の本を抜き取ると近くの長椅子にどかりと腰を下ろし、それを読み始めたのだ。
ユリアンは、どうしていいか分からず、その場に立ち尽くす。
出て行け……とも言われない。
かといって、何かを話しかけられるわけでもない。ただ、同じ空間にいることを、許されている。
その事実が、ユリアンの心臓をぎこちなく脈打たせた。
書庫には、時折ページをめくる音と、二人の静かな呼吸の音だけが響く。
それは、奇妙な共犯関係のようだった。眠らない王と、眠れないΩ。
誰にも知られず、ただ静かに同じ時間を共有する。
どれくらいそうしていただろうか。ライオネルは、読んでいた本から顔を上げると、ぽつり、と呟いた。
「……昼間、ノアと話していたな」
その言葉に、ユリアンの肩が跳ねた。見られていたのだ。
「あ、はい……薬草園の手伝いを……」
「そうか……」
会話は、それきりだった。だが、ユリアンには分かった。彼は、自分のことを気にかけている。避け、遠ざけながらも、その視線は常に自分に向けられているのだと。
その日から、二人の奇妙な夜の密会が始まった。
毎晩のように、二人は書庫で顔を合わせた。言葉を交わすことはほとんどない。
それぞれが好きな本を読み、時折、視線が交錯するだけ。だが、その沈黙は、昼間のどんな会話よりも雄弁に二人の距離を縮めていた。
ライオネルは、ユリアンが隣にいると不思議と心が凪ぐのを感じていた。獣の血が騒ぐこともなく、ただ静かに満たされていくような感覚。それは、生まれて初めて感じる、穏やかな安らぎだった。
そして、ユリアンもまた、ライオネルの側にいることに心地よさを感じ始めていた。
あの圧倒的なαの香りに包まれていると不思議と心が安らぐ。彼がここにいる。それだけで、孤独な夜が、温かいものに変わっていくようだった。
ある夜、歴史書を読んでいたユリアンは、ふと眠気に襲われ、こくりこくりと舟を漕ぎ始めた。その様子に気づいたライオネルは、小さくため息をつくと、読んでいた本を閉じた。
そして、眠ってしまったユリアンの隣に静かに立つ。
月明かりに照らされた、無防備な寝顔。長い睫毛が白い頬に影を落としている。
昼間の凛とした姿とは違う、幼さを感じさせるその表情にライオネルは思わず手を伸ばしかけた。
その白い頬に、触れてみたい。
その柔らかな髪を、梳いてみたい。
そんな衝動に駆られ、ライオネルはハッとして手を引っ込めた。
自分は何を考えているのだ。こいつは、ただの人質で拒絶すべきΩだ。それなのに、なぜ……。
ライオネルは、己の内側でせめぎ合う感情に、音を立てて舌打ちをした。
そして、自分が羽織っていたガウンを脱ぐと、それを眠っているユリアンの肩に、そっとかけた。
「……風邪を引くぞ」
ライオネルはそう呟くと、一度も振り返ることなく、書庫を後にした。
やがて、肩に感じた重みと温もりで、ユリアンは目を覚ました。
肩にかかっているのは見覚えのある、そして嗅ぎ覚えのあるガウン。そこから立ち上る、ライオネル自身の香り。
(かけてくれたんだ……)
ユリアンは、そのガウンを胸に抱きしめた。
そこには、あの冷徹な王の、不器用で、そして隠しきれない優しさが染み込んでいる気がした。
拒絶と、安らぎ。
冷たさと、温もり。
二人の間にある見えない壁はまだ厚く、高い。だが、その壁の向こう側から、確かに温かい光が差し込んできているのを、ユリアンは確かに感じていた。
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