婚約破棄されましたが、私は愛よりも信じます。

夏乃みのり

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「……ゼクス・ランバート殿。貴殿のような英才が、あのような没落令嬢の元で、執事ごっじに興じているとは……実にもったいない」


王都の高級料亭の一室。保守派貴族の重鎮、バドス伯爵が、脂ぎった顔でゼクスに酒を勧めていました。


ゼクスは無表情のまま、差し出された杯に軽く口をつけるフリをします。


「もったいない、とは? 私は現在、ヒーナ様の『最高執行責任者(COO)』として、極めてやりがいのある職務に就いておりますが」


「COOだか何だか知らんが、所詮は家政婦の延長だろう! いいか、今の王宮はヒーナに牛耳られ、我々の利権が次々と削られている。あんな女、今のうちに排除せねばならんのだ」


バドス伯爵は身を乗り出し、声を潜めました。


「そこで相談だ。貴殿がヒーナの持つ『王宮予算の裏帳簿』と『不凍の碧玉』をこちらに渡してくれれば……。次期宰相の椅子を約束しよう。どうだ、悪い話ではなかろう?」


ゼクスは静かに手帳を取り出し、何かを書き留め始めました。


「……ほう、前向きに検討してくれるか!」


「いえ、伯爵。今、貴方が提示した『賄賂』の市場価値を計算していたところです」


ゼクスは淡々と、手帳を伯爵の方へ向けました。


「次期宰相の地位。推定年収、金貨五百枚。ただし、現在のカイル王子の無能な采配に付き合わされる精神的摩耗、およびミア様の浪費癖をカバーするための裏工作費用を差し引くと、実質的な手取りは……マイナス金貨二百枚ですね」


「……は?」


「一方、ヒーナ様の元で働いた場合。基本給こそ低いですが、彼女が他人の弱みを握って得た『特別報奨金』の配分、および彼女の天才的な投資術による資産運用益を合わせると……。向こう五十年で、私が手にする純利益は、貴方の提示した金額の約四百倍に達します」


ゼクスの瞳が、眼鏡の奥で冷たく光りました。


「つまり、貴方の提案に乗ることは、私にとって『圧倒的な赤字』を意味するのです。……お分かりいただけましたか?」


「き、貴様……! 栄誉ある宰相の椅子を、金と天秤にかけるというのか!」


「当然です。ヒーナ様は教えてくださいました。『名誉で腹は膨れないが、金利は人生に潤いを与える』と。……さて、これ以上は私のコンサルティング料が発生しますが、お支払いの準備は?」


その時、部屋の襖が勢いよく開かれました。


「そこまでよ、ゼクス。私の右腕をこんな安値で買い叩こうとするなんて、市場調査が甘すぎるんじゃないかしら?」


扇を広げ、不敵な笑みを浮かべた私が立っていました。


「ヒ、ヒーナ!? なぜここが……!」


「あら、当本部のセキュリティ部門は、王都中のネズミ一匹の動きさえ把握しておりますわ。バドス伯爵、貴方の隠し資産……南方の領地に隠した『秘密の金鉱山』の申告漏れ、私がすべて精査済みですわよ?」


バドス伯爵の顔が、一瞬にして土色に変わりました。


「な、な……っ!」


「ゼクス、彼の『脱税額』に対する追徴課税と、私の口止め料を合算して請求書を作成して。……あ、お急ぎ便なら、さらに三割増しでね」


「承知しました。……バドス伯爵、ペンはお持ちですか? それとも、この場で全財産をヒーナ様に『贈与』なさいますか?」


ゼクスが流れるような動作で契約書を差し出しました。


数分後、伯爵は魂が抜けたような顔で、震える手でサインを済ませ、逃げるように部屋を去っていきました。


「……ふう。ゼクス、お疲れ様。今日のあなたの対応、ボーナス査定で加点しておくわ」


「ありがとうございます、ヒーナ様。……しかし、宰相の椅子を断ったのは、金銭的な理由だけではありませんよ」


「あら、他にも何かあるの?」


ゼクスは一瞬だけ、微かに口角を上げました。


「……あんな退屈な王宮で働くよりも、貴女の隣で『世界を買い叩く』方が、知的な娯楽として遥かに効率的ですから」


「……っ。……そう。なら、もっと働いてもらわないとね」


私は少しだけ顔が熱くなるのを感じ、扇で顔を隠しました。


「さあ、帰るわよ! 明日は王宮の夜会の招待状が届くはず。カイル王子がどんな顔をして私に泣きついてくるか、今から楽しみだわ!」


私は背を向け、足早に歩き出しました。


婚約破棄され、悪役令嬢として追放された私。
けれど今、私の隣には、最強のパートナーと、無限に増え続ける金貨の山がある。


(見てなさい、カイル様。明日の夜会は、貴方のためのパーティーではなく、私のための『公開買収(TOB)』の舞台になるんですから!)


夜の王都に、二人の「効率主義者」の足音が、軽やかに響き渡りました。
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