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第2話 愚か者たち
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結界は、すでに無かった。
正確に言えば、残っているのは“残滓”だけだった。
長年、王都全体を覆っていた守りの魔力が、空気に染みついているだけの状態。形はない。機能もない。ただの名残だ。
神官長は、それを神殿の奥で感じ取っていた。
あと数日。
いや、早ければ今日か明日。
聖女がこの国を出たその日に、結界は解除されている。彼女は何も告げず、何も求めず、ただ役目を終えただけだった。
それを、この国の誰一人として理解していない。
「神官長、城から呼び出しです」
若い神官の声は、どこか切迫していた。
神官長は静かに頷き、外套を羽織る。
城に向かう道すがら、街の様子を見渡す。人々は普段通りに動いている。屋台の声、子どもの笑い声。危機感はない。
守られている“つもり”の街だ。
城の会議室には、王子と文官、騎士団の上役が集められていた。机の上には、南方から届いた報告書が並んでいる。
「魔物の群れだと?」
王子は書類を一瞥し、鼻で笑った。
「以前も似たような報告はあった。結界が弾くだろう」
神官長は、その言葉を否定しなかった。否定する必要がなかったからだ。彼らはもう、“結界が無い”という前提を受け入れられない。
文官が恐る恐る口を開く。
「ですが……今回は、結界の反応が確認できず……」
「反応が鈍いだけだ」
王子は即座に切り捨てた。
「聖女が張っていたものだ。そう簡単に消えるはずがない」
消えている。
正確には、消え“終わろうとしている”。
神官長は、内心でそう訂正した。
「神官長」
王子がこちらを見た。
「神殿の見解を聞こう。結界は、まだ保っているな?」
それは問いではなく、確認だった。
“保っている”という答えを前提にした言葉。
神官長は、短く答えた。
「結界そのものは、すでに解除されています」
室内が、一瞬静まり返る。
「……何だと?」
王子の眉がひそめられる。
「今、王都を覆っているのは、長年使われてきた魔力の残滓です。機能はありません。守りにはなりません」
文官の顔色が変わる。騎士の一人が、思わず椅子から身を乗り出した。
「で、ですが……今まで何も起きていない……」
「残滓が、まだ残っているからです」
神官長は淡々と続けた。
「それも、もう長くはありません」
王子は、不機嫌そうに舌打ちした。
「つまり、脅しているのか? 聖女を戻させるために」
神官長は首を振った。
「事実を述べているだけです」
だが、その事実を、彼らは受け取らない。
「大げさだ」
王子は言い切った。
「仮に結界が完全に消えたとしても、騎士団がいる。今さら魔物ごときに後れを取るはずがない」
騎士団長が、少し間を置いて頷いた。
「……その通りです。問題ありません」
声に、確信はない。
だが、異議を唱える者もいない。
その場に、貴族令嬢が入ってきた。聖女の妹だ。控えめな動き、潤んだ目。
「お姉さまのことが心配で……」
彼女はそう言い、王子の傍に立つ。
王子は、慰めるように微笑んだ。
神官長は、その光景を静かに見ていた。
誰も、結界の話を続けようとしない。
誰も、“消えたあとの国”を想像しようとしない。
彼らは今も、聖女が守っていた頃の感覚のまま立っている。
足元に、もう何もないことに気づかずに。
「準備は不要だ」
王子が会議を締めくくる。
「騎士団を通常警戒に戻せ。余計な不安を煽るな」
神官長は、それ以上何も言わなかった。
言葉は尽くされた。これ以上は、忠告ではなく干渉になる。
城を出ると、空気がひどく軽かった。
守りが失われた街の空気だ。
神官長は、神殿へ戻りながら思う。
結界が消えたことは、原因ではない。
結果だ。
聖女にすべてを押し付け、理解しようとしなかった者たちが招いた、当然の帰結。
残滓が消える頃、彼らは初めて“現実”を見るだろう。
だがその時には、もう遅い。
正確に言えば、残っているのは“残滓”だけだった。
長年、王都全体を覆っていた守りの魔力が、空気に染みついているだけの状態。形はない。機能もない。ただの名残だ。
神官長は、それを神殿の奥で感じ取っていた。
あと数日。
いや、早ければ今日か明日。
聖女がこの国を出たその日に、結界は解除されている。彼女は何も告げず、何も求めず、ただ役目を終えただけだった。
それを、この国の誰一人として理解していない。
「神官長、城から呼び出しです」
若い神官の声は、どこか切迫していた。
神官長は静かに頷き、外套を羽織る。
城に向かう道すがら、街の様子を見渡す。人々は普段通りに動いている。屋台の声、子どもの笑い声。危機感はない。
守られている“つもり”の街だ。
城の会議室には、王子と文官、騎士団の上役が集められていた。机の上には、南方から届いた報告書が並んでいる。
「魔物の群れだと?」
王子は書類を一瞥し、鼻で笑った。
「以前も似たような報告はあった。結界が弾くだろう」
神官長は、その言葉を否定しなかった。否定する必要がなかったからだ。彼らはもう、“結界が無い”という前提を受け入れられない。
文官が恐る恐る口を開く。
「ですが……今回は、結界の反応が確認できず……」
「反応が鈍いだけだ」
王子は即座に切り捨てた。
「聖女が張っていたものだ。そう簡単に消えるはずがない」
消えている。
正確には、消え“終わろうとしている”。
神官長は、内心でそう訂正した。
「神官長」
王子がこちらを見た。
「神殿の見解を聞こう。結界は、まだ保っているな?」
それは問いではなく、確認だった。
“保っている”という答えを前提にした言葉。
神官長は、短く答えた。
「結界そのものは、すでに解除されています」
室内が、一瞬静まり返る。
「……何だと?」
王子の眉がひそめられる。
「今、王都を覆っているのは、長年使われてきた魔力の残滓です。機能はありません。守りにはなりません」
文官の顔色が変わる。騎士の一人が、思わず椅子から身を乗り出した。
「で、ですが……今まで何も起きていない……」
「残滓が、まだ残っているからです」
神官長は淡々と続けた。
「それも、もう長くはありません」
王子は、不機嫌そうに舌打ちした。
「つまり、脅しているのか? 聖女を戻させるために」
神官長は首を振った。
「事実を述べているだけです」
だが、その事実を、彼らは受け取らない。
「大げさだ」
王子は言い切った。
「仮に結界が完全に消えたとしても、騎士団がいる。今さら魔物ごときに後れを取るはずがない」
騎士団長が、少し間を置いて頷いた。
「……その通りです。問題ありません」
声に、確信はない。
だが、異議を唱える者もいない。
その場に、貴族令嬢が入ってきた。聖女の妹だ。控えめな動き、潤んだ目。
「お姉さまのことが心配で……」
彼女はそう言い、王子の傍に立つ。
王子は、慰めるように微笑んだ。
神官長は、その光景を静かに見ていた。
誰も、結界の話を続けようとしない。
誰も、“消えたあとの国”を想像しようとしない。
彼らは今も、聖女が守っていた頃の感覚のまま立っている。
足元に、もう何もないことに気づかずに。
「準備は不要だ」
王子が会議を締めくくる。
「騎士団を通常警戒に戻せ。余計な不安を煽るな」
神官長は、それ以上何も言わなかった。
言葉は尽くされた。これ以上は、忠告ではなく干渉になる。
城を出ると、空気がひどく軽かった。
守りが失われた街の空気だ。
神官長は、神殿へ戻りながら思う。
結界が消えたことは、原因ではない。
結果だ。
聖女にすべてを押し付け、理解しようとしなかった者たちが招いた、当然の帰結。
残滓が消える頃、彼らは初めて“現実”を見るだろう。
だがその時には、もう遅い。
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