届かない声のそばで ― 元自衛官カウンセラー・篠原梓の傾聴録

藤原遊

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第32話(後半)

風が止まったまま

「……本当に、何がしたいんでしょうね、私」

相澤美咲は、自分に向けてつぶやくように言った。
その声は、答えを期待しているというより、
“問いを手放したくない”という執着に近かった。

梓は少し間をあけてから、静かに問いかけた。

「“何かをしたい”と考えるとき、
 美咲さんのなかに“してはいけない”という声が浮かぶことはありますか?」

「……あります。
 “それって意味あるの?”とか、
 “どうせ続かないでしょ”とか。
 自分で考えたことなのに、
 自分で先に否定してしまうんです」

「“やりたいことを考える”より前に、
 “ちゃんとしなければ”という声が割り込んでくるような感覚かもしれませんね」

相澤は、手元のティッシュを無意識に折りたたみながら頷いた。

「新しい環境に慣れるだけで精一杯だったはずなのに……
 “そろそろ成果を出さなきゃ”とか、
 “期待に応えなきゃ”とか、
 自分に向けるハードルだけがどんどん上がっていって……
 疲れてるのに、“頑張りが足りないせい”って思ってしまうんです」

「……心が疲れているときは、
 “頑張る”と“無理をする”の違いが曖昧になります」

「無理……してますかね、私」

「たとえば、今、呼吸が浅いことに気づいていますか?」

相澤は一瞬、息を止めたような顔をして、それからゆっくりと息を吐いた。

「……してませんでした。
 深呼吸って、最後にいつしたんだろう」

梓はそっと背筋を伸ばして、柔らかな口調で言った。

「“風が吹かない”と感じているとき、
 外からの刺激を求めてしまうことが多いですが――
 もしかすると、“息をすること”そのものを忘れていたのかもしれません」

相澤は、不思議そうな顔をして、でもその意味をすぐに理解したように目を伏せた。

「……大きく息を吸ってもいいんですよね。
 立ち止まっても、振り返っても」

「ええ。
 自転車を止めてもいいんです。
 降りて、少しだけ歩くことも、風を待つことも」

しばらくの沈黙のあと、相澤はゆっくりと背もたれに体を預けた。

その静かな動きは、“何もできない自分”を責める手を、少しだけほどいたようだった。
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