届かない声のそばで ― 元自衛官カウンセラー・篠原梓の傾聴録

藤原遊

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間章:風が吹かない日(スーパービジョン)

「“止まってもいいんです”って言葉、
 使うとき、ちょっと勇気が要りますね」

梓は静かにそう言った。
河合は椅子の背にもたれたまま、目尻を緩める。

「まあな。“動いてること”がえらいっていう風潮、まだまだ強いさかいな。
 せやけど、動かへんかったことでしか見えんもんも、ある」

「私、自衛官だった頃は、常に“次の指令”に備える生活でした。
 立ち止まるという選択肢そのものが、訓練では排除されていた気がします」

「そういう環境やったんやな。
 でも、“止まる”って、ほんまはよう考えたら、めっちゃ能動的な行動なんやで?」

梓は、手元の記録用ノートをそっと閉じた。

「今の相談者さん――“風が吹かない”って言ってましたけど、
 私にも、似た感覚があった気がします。
 何も壊れていないのに、何も感じられない。
 “このままでいいのか”って自分に問い続けながら、
 それでも日々の任務はこなしていた。
 ……それが一番、体力を削るんですよね」

「ほんまや。心が止まっとるのに、体だけが前に進んでると、
 中から壊れてまう」

「……そうなる前に、止まれればよかったんでしょうか」

河合はしばらく黙ってから、ゆっくりと言った。

「それは、今の梓さんが過去の自分にそう思えるってことやろ?
 せやったら、ちゃんと“気づけた”ってことや。
 その言葉が、次に会う誰かの“風”になるかもしれへん」

梓は少しだけ目を細めて、うなずいた。

「……“今の自分”が、過去の自分の救済になってるとしたら、
 少しだけ、報われる気がします」

河合は湯呑みを片手に、穏やかに微笑んだ。

「せやろ。“止まること”の意味を知った人間は、強いで」

初夏の光が、ブラインドのすき間から差し込んでいた。
風はまだ、ゆっくりだったけれど――
その静けさの中に、“次に吹く風を待てる人間”としての梓が、確かにいた。
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