聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした

藤原遊

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第4話 祈らない朝

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翌朝、王都はいつも通りだった。

鐘の音が街に響き、人々は家を出て、市場が動き始める。
昨夜、私が祈らなかったことを知る者はいない。

パン屋の前には行列ができ、
露店では野菜の値段を巡って小さな口論が起きていた。
どれも、昨日と変わらない光景だ。

神殿へ向かう道を歩きながら、
私は足元の石畳を見つめていた。
冷たい感触が、やけにはっきりと伝わってくる。

空気は澄んでいる。
邪気が溢れた気配も、
土地が軋むような違和感もない。

――当然だ。

人の悪意や欲が、一晩で国を壊すことはない。
私がこれまで祈りで払ってきたのも、
長い時間をかけて積もったものだった。

それでも、今日は少しだけ違って見えた。

人々の声が、わずかに刺々しい。
市場で交わされる言葉に、以前よりも余裕がない。
ほんの小さな変化だ。
気づく者はいない程度の。

通り過ぎる人の肩が、
昨日よりも強くぶつかってくる気がした。
謝罪の言葉はなく、
代わりに、苛立った視線だけが残る。

私は、それを見送る。

神殿に入ると、神官たちが忙しなく動いていた。

祈祷の準備、供物の確認、
巡礼者への対応。
どれも滞りなく進んでいる。

「聖女様、本日の祈りですが――」

声をかけられ、私は足を止める。

「いつも通りで構いません」

そう答えた神官は、
私の顔を一瞬だけ見た。
何かを感じ取ったのか、それとも気のせいか。
すぐに視線を逸らし、準備の指示を出す。

私は祭壇の前に立った。

高い天井。
磨かれた床。
何度も繰り返してきた場所。

いつもなら、
ここに立つだけで体が反応した。
胸の奥が重くなり、
祈りの言葉は考えなくても口をついて出る。

それが、当たり前だった。

けれど今日は、何も起きない。

胸の奥に、あの重さがない。
邪気が集まってくる気配もない。

代わりにあったのは、静けさだった。

私は初めて、
祈らずに立っている自分を
はっきりと意識した。

何も起きていないのに、
何も失われていないのに、
それが正しい選択だと分かってしまった。

これでいいのだと、
思ってしまった。

祈れば、また同じことが繰り返される。
誰かが切り捨てられ、
私はその後始末をする。

それが国の平穏だと言うのなら、
私はもう、その役を引き受けない。

「聖女様?」

呼びかけに、
私はゆっくりと顔を上げた。

神官の表情には、
戸惑いと、わずかな不安が浮かんでいる。

「少し、体調が優れません」
「本日の祈りは、控えさせてください」

沈黙が落ちた。

祈りを控える、という言葉が、
この場でどれほど異例かを
誰もが理解していた。

神官は困惑した表情を浮かべたが、
強くは言わなかった。

聖女の言葉は、
まだこの国では重かったからだ。

私は祭壇を離れた。

その背中を、
誰も引き止めなかった。
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