聖女を追放した国は、私が祈らなくなった理由を最後まで知りませんでした

藤原遊

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第5話 追放

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その日の午後、神殿に小さな騒ぎが起きた。

王都南区の井戸で、水が濁ったという報告だった。

腐臭がするわけでもなく、
毒が入った様子もない。
ただ、澄んでいたはずの水に、
薄く灰色の膜が張ったのだという。

井戸の周囲には、すでに人だかりができていた。

桶を手にしたまま立ち尽くす者。
顔をしかめて水面を覗き込む者。
誰も騒ぎ立ててはいないが、
空気には確かな不安が漂っている。

「昨日までは、何ともなかったんだ」
「朝は普通に使えた」

そんな声が、ひそひそと交わされていた。

神殿から派遣された神官が調査を行い、
しばらくして戻ってくる。

「原因は不明です」

そう告げた神官の声には、
わずかな苛立ちが混じっていた。

水質に問題はない。
毒でもない。
魔術的な反応も、ごく微弱だ。

説明がつかない、という事実だけが残った。

「聖女様の祈りがあれば、
すぐに元に戻るはずですが……」

私は、その言葉を聞いても動かなかった。

井戸の水は、
長い間、人々の暮らしを支えてきた。
同時に、数え切れないほどの欲と不満を
受け止めてもきた場所だ。

不満をぶつけられ、
怒りを吐き出され、
助けを求められた声も、
きっとその水に溶けてきた。

昨日までなら、
私は迷わず祈り、邪気を払っていただろう。

けれど今日は違う。

「今日は祈りを控えています」

そう告げると、
周囲の空気がわずかに変わった。

「……控えている、とは?」

問い返す声に、
私は同じ言葉を繰り返す。

「体調が優れません」
「明日以降にしてください」

誰かが、困ったように息を吐いた。
別の誰かは、視線を逸らした。

沈黙が落ちる。

誰も、
井戸の水より先に、
その原因について考えようとはしなかった。

「では、念のため報告を」

そう言って神官は引き下がったが、
その背中には、
納得していない色がはっきりと見えた。

井戸は封鎖され、
人々は別の水源へと向かった。

その様子を、
私は少し離れた場所から見ていた。

不安はあるが、
まだ怒りはない。
けれど、
何かが壊れ始めている気配だけは確かだった。

その日のうちに、
井戸の話は別の形で広まった。

「聖女の力が弱まっているらしい」
「最近、奇跡が少ない」
「国の守りが不安定になっているのではないか」

誰も、
井戸がどんな場所だったのかを語らない。

私が祈らなかった。
それだけだ。

だが、その“それだけ”は、
彼らにとっては都合の悪い事実だった。

翌日、私は王城へ呼び出された。

理由は告げられない。
けれど、
何の話になるのかは察しがついていた。

祭壇の前。
王と大神官、数名の貴族。

そこに並べられたのは、
井戸の異変と、
それに続く不安の声だった。

「民は不安がっている」
「聖女の力が衰えているのではないか、とな」

私は、何も弁明しなかった。

祈れば、水は澄んだだろう。
そうすれば、この場はなかった。

けれどそれは、
同じことを繰り返すだけだ。

「反論はありますか?」

その問いに、
私は首を横に振った。

そして、追放が告げられた。

奇跡が減ったこと。
期待に応えられなかったこと。
役目を果たしていないこと。

どれも、本質ではない。

彼らが恐れていたのは、
私が祈らないという選択そのものだった。

私は静かに頭を下げる。

「承知いたしました」

その言葉を最後に、
私は聖女ではなくなった。
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