雪に名を呼ばれず

藤原遊

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第1章:春まだ遠い東京

 

風が頬を刺す。
雪国ほどじゃないけれど、東京の風は心まで冷やしてくる気がした。
ビルの隙間を吹き抜けるその冷たさに、私はコートの襟をかき寄せた。

 

最終面接、不合格。
通知を見た瞬間、深いため息と一緒に、何かが心からこぼれ落ちた気がした。
頑張っても届かない場所があるということを、もう何度目かで痛感していた。

 

「戻ってきたら?」
母の声が頭の中で反響する。
地元の役場で臨時職員の募集が出たらしい。
「都会は疲れるでしょう? こっちに帰ってきて、のんびりやればいいじゃない」

 

たしかに、その選択肢は温かい。
雪かきの音で目覚めて、実家の味噌汁をすすりながら、駅までの一本道を歩く日々。
誰かの娘として、誰かの期待に沿って生きる日々。
あの世界には優しさがあった。
でも、もうあの優しさのなかに自分がすっぽり収まれる気がしなかった。

 

私はまだ、どこにも所属していない。
名刺もなければ、会社員としての自覚もない。
けれど、東京に来て、自分の名前で何かを掴もうとしていたことだけは、誇りにしたいと思っていた。

 

気づけば、ふらりと歩き出していた。
いつも通らない路地を抜け、人気のない公園へ。
地面にうっすら残る雪が、足元でしゃりっと音を立てる。

 

視線を上げると、桜の木が枝を広げていた。
まだつぼみは固く、春の気配は遠い。
でも、その静けさの中で、私はふと思った。
――まだ終わりたくないな。

 

ポケットの中でスマホが震えた。
母からのメッセージ。「この前のコート、まだあるよ」
優しい。だけど、やっぱり今は違う。

 

私はスマホをしまい、背筋を伸ばした。
雪が少しずつ、東京の地面に溶けていく。

それはきっと、季節のせいだけじゃない。
私の中の、何かが変わり始めていた。
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