23 / 31
第5章 人間側との決裂
5-3
しおりを挟む
夜も更け、魔王城は静まり返っていた。
扉を叩く音は、控えめだった。
リュミエールが応じると、そこに立っていたのはヴァルだった。手には、湯気の立つミルクと、小さな皿に載せた菓子。
「……遅くにすまない」
そう言いながら、どこか気まずそうに差し出す。
その光景に、リュミエールは思わず笑った。
「あなたが、ミルクとお菓子を持って人の部屋を訪ねてくるような人だって分かっていたら」
肩の力を抜いたまま、冗談めかして言う。
「戦わなかったかもしれないわ」
ヴァルは一瞬、言葉に詰まり、それから小さく息を吐いた。
「……それは困るな」
「え……?」
「君は余計な被害を出さないように戦ってくれていた。君が戦ってくれなければ被害はもっと大きかっただろう」
部屋に入り、簡素な卓にミルクを置く。
沈黙が落ちるが、それは居心地の悪いものではなかった。
しばらくして、ヴァルが低く問いかける。
「……悲しくはならないのか」
視線は合わせないまま、けれど声音は真剣だった。
「自分が守った人間に、ああやって裏切られて。
辛くないわけがないだろう」
その言葉と同時に、ヴァルの手が伸び、そっとリュミエールの頬に触れる。
指先は、驚くほど優しい。
堪えていたものが、そこで決壊した。
一筋、涙が頬を伝う。
リュミエールは何も言わない。
ヴァルも、何も言わず、その涙を静かに拭った。
「……もう割り切ったはずなのに」
小さく、独り言のように呟く。
「おかしいわね」
ヴァルは、距離を詰めるでもなく、ただ隣に腰を下ろす。
「何も、おかしくない」
短く、はっきりと。
「君は、ちゃんと傷ついた。
それだけだ」
少し間を置いて、続ける。
「今は対等な仲間だ。
……頼っていい」
その言葉に、リュミエールはゆっくりと息を吐いた。
「……羨ましかったの」
視線を伏せたまま、正直に言う。
「魔王軍の、仲間同士の信頼関係が。
命を預け合って、役割を分かち合って……」
ヴァルは、穏やかに言った。
「もう、その仲間だろう?」
リュミエールは顔を上げ、涙を残したまま、泣き笑いになる。
「こんなお人好しが魔王だったなんて。
私に負けるわけだわ」
ヴァルは、少しだけ目を細める。
「だからこそ、仲間に恵まれた」
その答えに、リュミエールは声を立てて笑った。
二人は顔を見合わせ、同じように笑う。
それは、勝者と敗者でも、聖女と魔王でもない。
ただ、同じ夜を共有する者同士の笑顔だった。
静かな部屋に、温いミルクの香りが残る。
この夜、二人の間にあったのは誓いではない。
約束でもない。
ただ――
確かな信頼だけだった。
扉を叩く音は、控えめだった。
リュミエールが応じると、そこに立っていたのはヴァルだった。手には、湯気の立つミルクと、小さな皿に載せた菓子。
「……遅くにすまない」
そう言いながら、どこか気まずそうに差し出す。
その光景に、リュミエールは思わず笑った。
「あなたが、ミルクとお菓子を持って人の部屋を訪ねてくるような人だって分かっていたら」
肩の力を抜いたまま、冗談めかして言う。
「戦わなかったかもしれないわ」
ヴァルは一瞬、言葉に詰まり、それから小さく息を吐いた。
「……それは困るな」
「え……?」
「君は余計な被害を出さないように戦ってくれていた。君が戦ってくれなければ被害はもっと大きかっただろう」
部屋に入り、簡素な卓にミルクを置く。
沈黙が落ちるが、それは居心地の悪いものではなかった。
しばらくして、ヴァルが低く問いかける。
「……悲しくはならないのか」
視線は合わせないまま、けれど声音は真剣だった。
「自分が守った人間に、ああやって裏切られて。
辛くないわけがないだろう」
その言葉と同時に、ヴァルの手が伸び、そっとリュミエールの頬に触れる。
指先は、驚くほど優しい。
堪えていたものが、そこで決壊した。
一筋、涙が頬を伝う。
リュミエールは何も言わない。
ヴァルも、何も言わず、その涙を静かに拭った。
「……もう割り切ったはずなのに」
小さく、独り言のように呟く。
「おかしいわね」
ヴァルは、距離を詰めるでもなく、ただ隣に腰を下ろす。
「何も、おかしくない」
短く、はっきりと。
「君は、ちゃんと傷ついた。
それだけだ」
少し間を置いて、続ける。
「今は対等な仲間だ。
……頼っていい」
その言葉に、リュミエールはゆっくりと息を吐いた。
「……羨ましかったの」
視線を伏せたまま、正直に言う。
「魔王軍の、仲間同士の信頼関係が。
命を預け合って、役割を分かち合って……」
ヴァルは、穏やかに言った。
「もう、その仲間だろう?」
リュミエールは顔を上げ、涙を残したまま、泣き笑いになる。
「こんなお人好しが魔王だったなんて。
私に負けるわけだわ」
ヴァルは、少しだけ目を細める。
「だからこそ、仲間に恵まれた」
その答えに、リュミエールは声を立てて笑った。
二人は顔を見合わせ、同じように笑う。
それは、勝者と敗者でも、聖女と魔王でもない。
ただ、同じ夜を共有する者同士の笑顔だった。
静かな部屋に、温いミルクの香りが残る。
この夜、二人の間にあったのは誓いではない。
約束でもない。
ただ――
確かな信頼だけだった。
104
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです
鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。
理由は――
「王太子妃には華が必要だから」。
新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。
誰もが思った。
傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。
けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。
「戻りません」
彼女は怒らない。
争わない。
復讐もしない。
ただ――王家を支えるのをやめただけ。
流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。
さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。
強いざまあとは、叫ぶことではない。
自らの選択で、自らの立場を削らせること。
そして彼女は最後まで戻らない。
支えない。
奪わない。
――選ばれなかったのではない。
彼女が、選ばなかったのだ。
これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。
「偽物の聖女は要らない」と追放された私、隣国で本物の奇跡を起こしたら元の国が滅びかけていた件
歩人
ファンタジー
聖女リーゼロッテは、王太子カールに「お前の加護は偽物だ」と断じられ、
婚約を破棄された。代わりに聖女の座に就いたのは、愛らしく微笑む男爵令嬢エルゼ。
追放されたリーゼロッテが隣国に辿り着いたとき、その地は疫病に苦しんでいた。
彼女が祈ると、枯れた泉が蘇り、病は癒え、荒野に花が咲いた。
——本物の聖女の力が、ようやく枷を外されて目覚めたのだ。
一方、リーゼロッテを失った王国では結界が綻び始め、魔物が溢れ出す。
カールは今さら「戻ってくれ」と使者を送るが、リーゼロッテの隣には、
彼女の力を最初から信じていた隣国の若き王がいた。
「あの国に戻る理由が、もう一つもないのです」
婚約破棄されたので、隠していた聖女の力で聖樹を咲かせてみました
Megumi
恋愛
偽聖女と蔑まれ、婚約破棄されたイザベラ。
「お前は地味で、暗くて、何の取り柄もない」
元婚約者である王子はそう言い放った。
十年間、寡黙な令嬢を演じ続けた彼女。
その沈黙には、理由があった。
その夜、王都を照らす奇跡の光。
枯れた聖樹が満開に咲き誇り、人々は囁いた。
「真の聖女が目覚めた」と——
婚約破棄された聖女は、愛する恋人との思い出を消すことにした。
石河 翠
恋愛
婚約者である王太子に興味がないと評判の聖女ダナは、冷たい女との結婚は無理だと婚約破棄されてしまう。国外追放となった彼女を助けたのは、美貌の魔術師サリバンだった。
やがて恋人同士になった二人。ある夜、改まったサリバンに呼び出され求婚かと期待したが、彼はダナに自分の願いを叶えてほしいと言ってきた。彼は、ダナが大事な思い出と引き換えに願いを叶えることができる聖女だと知っていたのだ。
失望したダナは思い出を捨てるためにサリバンの願いを叶えることにする。ところがサリバンの願いの内容を知った彼女は彼を幸せにするため賭けに出る。
愛するひとの幸せを願ったヒロインと、世界の平和を願ったヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(写真のID:4463267)をお借りしています。
【完結】私を捨てた国のその後を見守ってみた。
satomi
恋愛
侯爵令嬢のレナは公然の場でというか、卒業パーティーで王太子殿下イズライールに婚約破棄をされた挙句、王太子殿下は男爵令嬢のラーラと婚約を宣言。
殿下は陛下や王妃様がいないときを狙ったんでしょうね。
レナの父はアルロジラ王国の宰相です。実家にはレナの兄が4名いますがみんなそろいもそろって優秀。
長男は領地経営、次男は貿易商、3男は情報屋、4男は…オカマバー経営。
レナは殿下に愛想をつかして、アルロジラ王国の行く末を見守ろうと決意するのです。
次男監修により、国交の断絶しているエミューダ帝国にて。
私の人生に、おかえりなさい。――都合のいい「お姉ちゃん」は、もうどこにもいません
しょくぱん
恋愛
「お姉ちゃんなんだから」
――それは私を縛る呪いの言葉だった。
家族の醜い穢れを一身に吸い込み、妹の美しさの「身代わり」として生きてきた私。
痛みで感覚を失った手も、鏡に映らない存在も、全ては家族のためだと信じていた。
でも、、そんな私、私じゃない!!
―― 私は、もう逃げない。 失われた人生を取り戻した今、私は、私に告げるだろう。
「私の人生に、おかえりなさい。」
【完結】婚約破棄して泥を投げつけた元婚約者が「無能」と笑う中、光り輝く幼なじみの王子に掠め取られました。
ムラサメ
恋愛
「お前のような無能、我が家には不要だ。今すぐ消えろ!」
婚約者・エドワードのために身を粉にして尽くしてきたフィオナは、卒業パーティーの夜、雨の中に放り出される。
泥にまみれ、絶望に沈む彼女の前に現れたのは、かつての幼なじみであり、今や国中から愛される「黄金の王子」シリルだった。
「やっと見つけた。……ねえ、フィオナ。あんなゴミに君を傷つけさせるなんて、僕の落ち度だね」
汚れを厭わずフィオナを抱き上げたシリルは、彼女を自分の屋敷へと連れ帰る。
「自分には価値がない」と思い込むフィオナを、シリルは異常なまでの執着と甘い言葉で、とろけるように溺愛し始めて――。
一方で、フィオナを捨てたエドワードは気づいていなかった。
自分の手柄だと思っていた仕事も、領地の繁栄も、すべてはフィオナの才能によるものだったということに。
ボロボロになっていく元婚約者。美しく着飾られ、シリルの腕の中で幸せに微笑むフィオナ。
「僕の星を捨てた報い、たっぷりと受けてもらうよ?」
圧倒的な光を放つ幼なじみによる、最高に華やかな逆転劇がいま始まる!
虐げられた聖女が魔力を引き揚げて隣国へ渡った結果、祖国が完全に詰んだ件について~冷徹皇帝陛下は私を甘やかすのに忙しいそうです~
日々埋没。
恋愛
「お前は無能な欠陥品」と婚約破棄された聖女エルゼ。
彼女が国中の魔力を手繰り寄せて出国した瞬間、祖国の繁栄は終わった。
一方、隣国の皇帝に保護されたエルゼは、至れり尽くせりの溺愛生活の中で真の力を開花させていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる