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第5章 人間側との決裂
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朝の魔王城は、思ったよりも静かだった。
尖塔の影が中庭に落ち、石畳の隙間を冷たい風が抜けていく。人間の城と変わらない造りなのに、そこに流れる空気だけが少し違う。急かすような緊張も、誰かの視線を気にする息苦しさもない。
リュミエールは回廊を歩きながら、ふと足を止めた。
向こうから、下級魔族が荷を抱えて小走りに来る。目が合うと、彼らは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに軽く頭を下げ、そのまま通り過ぎていった。
呼び止められもしない。
跪かれもしない。
「……静かね」
独り言のように呟く。
人間の国では、聖女が歩けば声が上がった。期待、敬意、畏怖。どれもが重く、息が詰まるほどだった。
けれどここでは、誰も彼女に役割を求めない。
必要なら力を使う。
不要なら、ただそこにいる。
それだけだった。
中庭に出ると、リリスが魔族たちに指示を出しているところだった。帳簿を抱えたまま、早口で何事かを告げ、最後に一言付け足す。
「あと、昼の配給は少し増やして。最近、動きが多いから」
それを聞いていた魔族たちが、素直に頷いて散っていく。
リリスは振り返り、リュミエールに気づくと片眉を上げた。
「何?散歩?」
「ええ、そんなところ」
「暇なら、後で農園の区画見てくれる? あんたの一言で話が早くなるから」
頼み方は雑で、遠慮もない。
でもそこに、命令の色はなかった。
「分かったわ」
自然にそう答えている自分に、リュミエールは気づく。
――ああ。
胸の奥で、小さく何かが落ち着く音がした。
ここでは、私は「聖女」じゃない。
役目を果たす存在でも、祈りの器でもない。
ただ、リュミエールとして扱われている。
その事実が、思っていた以上に心を軽くした。
執務室の前を通りかかると、扉が少しだけ開いていた。中ではヴァルが書類に目を通している。魔王としての顔だが、こちらに気づくと視線だけを上げた。
「何か用か?」
「いいえ。通りかかっただけ」
それで会話は終わる。
引き留められもしないし、去ることを惜しまれることもない。
なのに、彼女は立ち止まらなかった。
歩き続ける。
ここを離れなければならない理由は、どこにもなかった。
人間の国の城を思い出す。
聖女として必要とされ、守られ、称えられ、それでも最後は――役目が終われば、切り離された。
必要だったから、居場所があった。
ここでは違う。
必要でなくても、居ていい。
「……居心地がいい、なんて」
思わず小さく笑う。
自分で選んだわけでも、宣言したわけでもない。
それでも、気づけばここに立っている。
戻るか、戻らないか。
そんな問いは、もう意味を持たなかった。
リュミエールは中庭のベンチに腰を下ろし、空を見上げる。
闇の神の領域に近いはずの空は、思いのほか澄んでいた。
「不思議ね」
誰に向けるでもない言葉が、風に溶ける。
世界を救った聖女は、今、何者でもない。
そしてその状態を――悪くないと思っている。
その事実だけが、静かに、確かに、彼女の中に根を張り始めていた。
尖塔の影が中庭に落ち、石畳の隙間を冷たい風が抜けていく。人間の城と変わらない造りなのに、そこに流れる空気だけが少し違う。急かすような緊張も、誰かの視線を気にする息苦しさもない。
リュミエールは回廊を歩きながら、ふと足を止めた。
向こうから、下級魔族が荷を抱えて小走りに来る。目が合うと、彼らは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに軽く頭を下げ、そのまま通り過ぎていった。
呼び止められもしない。
跪かれもしない。
「……静かね」
独り言のように呟く。
人間の国では、聖女が歩けば声が上がった。期待、敬意、畏怖。どれもが重く、息が詰まるほどだった。
けれどここでは、誰も彼女に役割を求めない。
必要なら力を使う。
不要なら、ただそこにいる。
それだけだった。
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それを聞いていた魔族たちが、素直に頷いて散っていく。
リリスは振り返り、リュミエールに気づくと片眉を上げた。
「何?散歩?」
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でもそこに、命令の色はなかった。
「分かったわ」
自然にそう答えている自分に、リュミエールは気づく。
――ああ。
胸の奥で、小さく何かが落ち着く音がした。
ここでは、私は「聖女」じゃない。
役目を果たす存在でも、祈りの器でもない。
ただ、リュミエールとして扱われている。
その事実が、思っていた以上に心を軽くした。
執務室の前を通りかかると、扉が少しだけ開いていた。中ではヴァルが書類に目を通している。魔王としての顔だが、こちらに気づくと視線だけを上げた。
「何か用か?」
「いいえ。通りかかっただけ」
それで会話は終わる。
引き留められもしないし、去ることを惜しまれることもない。
なのに、彼女は立ち止まらなかった。
歩き続ける。
ここを離れなければならない理由は、どこにもなかった。
人間の国の城を思い出す。
聖女として必要とされ、守られ、称えられ、それでも最後は――役目が終われば、切り離された。
必要だったから、居場所があった。
ここでは違う。
必要でなくても、居ていい。
「……居心地がいい、なんて」
思わず小さく笑う。
自分で選んだわけでも、宣言したわけでもない。
それでも、気づけばここに立っている。
戻るか、戻らないか。
そんな問いは、もう意味を持たなかった。
リュミエールは中庭のベンチに腰を下ろし、空を見上げる。
闇の神の領域に近いはずの空は、思いのほか澄んでいた。
「不思議ね」
誰に向けるでもない言葉が、風に溶ける。
世界を救った聖女は、今、何者でもない。
そしてその状態を――悪くないと思っている。
その事実だけが、静かに、確かに、彼女の中に根を張り始めていた。
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