上 下
31 / 175
一章 入学旅行一日目

1-15a 屋台での買い物

しおりを挟む
 霧たち一行は、昼食を調達するために競技場の外に繰り出した。
 競技場の周辺は相変わらずお祭りのような賑わいで、飲食店や出店があちこちに立ち並び、多くの人が行き交っている。
 霧は目移りしながら「あ、あれも食べたい。それからあれも、これも、それも、あっ、これは何?!」とはしゃいでいた。
 ありがたいことに、入学旅行中のすべての費用は学園負担となるため、霧たちに費用の面での心配は要らない。もちろん、常識的な範囲内での消費に限られるが。

(タダ食い、ヒャッホー!! 夢でも大歓迎!! 夢の中でお腹いっぱいにしちゃお! 現実じゃ、割引シールの貼った菓子パンですらあたしには贅沢品ぜいたくひんだもん)

 霧はそんな風に心の中で叫びながら、ウキウキしながら屋台を物色していた。
 驚くことに、この物語の世界には通貨が存在しない。遥か昔、「かね」という悪魔の交換媒体ばいたいは完全に撤廃てっぱいされた。それ以降、『クク・アキ』にはファンタジックで特殊な設定のシステムが導入されている。
 それがまた、この物語『クク・アキ』の世界観の面白いところだ。

 この『ククリコ・アーキペラゴ』と呼ばれる世界では、誰もが生まれた時に一冊の特殊な『辞典』と、一人の特別な存在『辞典妖精』を授かる。『辞典』と『辞典妖精』は二つで一つ、常にセットだ。
 そして『クク・アキ』には、上記セットを媒介ばいかいして繋がる特殊なネットワークが構築されており、独特の売買システムが確立されている。
 その洗練された仕組みは、人々に等しく豊かな暮らしをもたらした。

 しかし1540年より以前は、この『クク・アキ』の世界もまた、格差社会だった。
 専制君主とそれに付随ふずいする貴族階級で構成されていたその昔、当時の辞典魔法士は君主や貴族に使い捨てにされる奴隷のような存在で、民もまた、圧政に苦しんでいた――と、物語の中の歴史で語られている。
 そんな世界が根底から変わったのは、1540年前のこと。伝説の辞典魔法士たちが団結し、人々を権力者の圧政から解き放ったことがきっかけだ。未曽有みぞうの革命によって世界中に大掛かりなパラダイムシフトが起こり、世の中の仕組みがガラリと変わった。その変革の一つとして、辞典魔法士だけの魔法アイテムだった『辞典』がすべての人に配られ、その結果、一部の特権階級だけが享受きょうじゅしていた豊かさを、すべての人が受け取るに至ったのだ。
 万人にもたらされた辞典魔法の便利さは、人々の生活にあっという間に根付き――今に至る。

 そういうわけで現在、この世界の経済はかねというものを介しない。金という概念がいねんは、もはや過去の遺物。
 この独自設定が物語の中で紹介されているのをはじめて読んだ時、霧はものすごく感動してうらやましくなった。霧の生まれた日本をはじめ、地球上はどこもかしこも、かねと言う名のかせで縛られていたから。

 そして霧は今、お好み焼き屋と思われる屋台の前で、少し戸惑っていた。
 旅行中の費用は学園持ちなので霧たちに負担はないが、辞典妖精のネットワークに売買を登録する必要があるため、みんなおのおの、自分の『辞典』をお店の台座に置いて、食べ物を受け取っている。みんなの『辞典』からは一瞬、小さな妖精が飛び出し、台座に吸い込まれ、また『辞典』に戻ってくるのが見えた。
 それを見て、霧は自分の辞典の中には妖精はいないんじゃ……と不安を募らせる。

(だってこれ……日本で買った字引だもんな……。どうしよ。いや……でもこれ、夢だし……何とかなるよね? そうそう、これは夢。うんうん、夢。やけに長くてリアルだけど……。……夢……だよね?)

 何だか動悸どうきがしてきた霧は、お店の台座の前で固まっていた。霧のその様子を覗き込み、リューエストが声をかけてくる。

「どうしたの、キリ。大丈夫、簡単だよ。ホラ、こうするんだ。何も心配いらないからやってごらん」

 リューエストが目の前で実演してくれた。霧はゴクンと唾を呑み込むと、辞典を取り出す。

(ええい、ままよ!)

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

忘れられた妻

毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。 セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。 「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」 セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。 「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」 セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。 そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。 三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません

私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】

小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。 他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。 それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。 友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。 レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。 そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。 レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます

まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。 貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。 そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。 ☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。 ☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。

婚約者を奪われて冤罪で追放されたので薬屋を開いたところ、隣国の殿下が常連になりました

今川幸乃
ファンタジー
病気がちな母を持つセシリアは将来母の病気を治せる薬を調合出来るようにと薬の勉強をしていた。 しかし婚約者のクロードは幼馴染のエリエと浮気しており、セシリアが毒を盛ったという冤罪を着せて追放させてしまう。 追放されたセシリアは薬の勉強を続けるために新しい街でセシルと名前を変えて薬屋を開き、そこでこれまでの知識を使って様々な薬を作り、人々に親しまれていく。 さらにたまたまこの国に訪れた隣国の王子エドモンドと出会い、その腕を認められた。 一方、クロードは相思相愛であったエリエと結ばれるが、持病に効く薬を作れるのはセシリアだけだったことに気づき、慌てて彼女を探し始めるのだった。 ※医学・薬学関係の記述はすべて妄想です

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

処理中です...