くたばれオッペンハイマー

ぼを

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第十一章 恐怖の対称性

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 一九四五年六月、ワシントンD.C.。

 ホワイトハウス地下の防衛会議室には、湿った夏の空気と焦燥の匂いがこもっていた。
 戦局は終わりに向かっていたはずだった。だが――科学者たちの目の前には、
 まだ終わりの形をした“始まり”があった。

 中央の長机の上に広げられた太平洋地図。
 赤い線がハワイから硫黄島を経て本州沿岸に伸び、その先端にはTOKYO BAYの文字。
 レスリー・グローヴス将軍が指先でそこを叩いた。
 「諸君、情報部が新しい報告を上げてきた。
 日本が、“理化学研究所(RIKEN)”で原爆の研究を進めている可能性がある」

 ざわめきが広がる。
 「情報源は?」
 「スイス経由の諜報網だ。スウェーデン商船を通じて入手した技術書の一部に、
 “遠心分離装置”という単語があった。加えて、“六フッ化ウラン”の実験記録の断片。
 要するに――奴らは“理論段階”を超えている可能性がある」

 オッペンハイマーがゆっくりと煙草に火を点けた。
 「日本が臨界実験まで進んだというのか?」
 「その通りだ。現時点では証拠は薄い。だが、ハンフォードの遅延を考えれば、
 “彼らが先に光を見た”可能性を排除できない」
 「……“光”?」
 「“爆光”だ、博士。原爆の閃光だよ」
 グローヴスの言葉に、室内の空気が一瞬止まった。

 沈黙のあと、ストーン博士が口を開いた。
 「理論的にはあり得ます。彼らが遠心分離法に成功していれば、
 ウラン235の高濃縮体を、数キログラム単位で確保できるかもしれない」
 「ハンフォード事故が、奴らに時間を与えた……そういうことか?」
 グローヴスの声が低く沈む。
 「結果的には、そうなります」
 「つまり、貴様の失敗が敵に猶予を与えたと?」
 「もしそうなら、科学の神は悪趣味ですな」
 「皮肉を言うな」
 グローヴスは地図に手を置き、指で東京湾沖をなぞった。

 「見ろ。もし日本が原子爆弾を完成させ、“示威”のためにこの海域――
 東京湾沖、我々の艦隊が進出を予定しているエリア――へ投下したらどうなる?」
 誰も言葉を発せなかった。
 オッペンハイマーがゆっくりと呟く。
 「湾岸の水は即座に蒸発する。熱線は半径十キロを焼き尽くし、
 放射能の雨が東京を覆う。……彼ら自身も、死ぬ」
 「つまり、日本は“自国ごと原爆で心中する”可能性がある、ということか?」
 「そうだ」
 グローヴスは顔を上げた。
 「狂気の民族だ。特攻を選ぶ国なら、原爆を自分に向けてもおかしくない。
 あれは兵器ではなく、“国家の墓標”だ」

 オッペンハイマーはその言葉に、ゆっくりと首を振った。
 「違う。狂気ではない。――彼らも我々と同じ人間だ。
 火を見た者が、火に呑まれるのは、文化ではなく本能だ。」
 グローヴスが鋭く睨みつける。
 「貴様は敵を擁護するのか?」
「科学者として、理解しているだけだ」
「理解などいらん! 勝利があればいい!」

 ストーンが割って入った。
 「将軍、彼の言うことにも理がある。
 原爆を“理解”しない者が、どうして“使える”?」
 「お前たちは使うためにいるんだ!」
 「いいえ、知るためにです」
 静かな反論だった。
 ストーンの瞳は暗く光っていた。
 「我々は神の火を奪うためではなく、
 “火が神を奪う瞬間”を見届けるためにここにいる」

 沈黙。
 扇風機の回転音だけが部屋を回っていた。
 オッペンハイマーがその静寂を裂いた。
 「将軍、あなたは“日本が原爆を使う”と恐れている。
 だが、私が恐れているのは、“我々が原爆を使えること”だ」
 「何だと?」
 「“恐怖の対称性”ですよ。
 彼らが爆弾を手にした瞬間、我々も引き金を引ける理由を得る。
 ――そのとき、世界は両側から燃える」

 グローヴスは無言で拳を握った。
 「それでも、我々は先に使う。七月までに。トリニティ計画を加速する」
 「間に合う保証は?」
 「間に合わせる。それが軍の仕事だ」
 将軍は椅子を蹴るように立ち上がり、命令書を机に叩きつけた。
 「この戦争を終わらせるのは、議論じゃない。爆発だ」

 扉が閉まる音が響く。
 残された三人の科学者は、長い間黙っていた。
 オッペンハイマーがようやく口を開いた。
 「ストーン、君はハンフォードの事故を悔やんでいるのか?」
 「はい。だが、あの遅延が“もう一つの実験”を救ったなら、
 少しだけ報われます」
 「“もう一つ”とは?」
 「理研です。……彼らは我々と同じ道を歩いている。
 ただ、少し早く、少し違う方向から」
 「日本が先に原爆を手にしたら、どうなる?」
 ストーンはしばらく考え、静かに言った。
 「――誰も“勝者”と呼ばれなくなるでしょう」



 夜。ロスアラモスの砂漠。
 月明かりに照らされた実験場で、ファインマンがノートを抱えて立っていた。
 ストーンが隣に立つ。
 「何を考えている?」
 「“どこまでが臨界で、どこからが罪か”を計算してる」
 ファインマンは軽口を叩きながらも、目は真剣だった。
 「君たちは数式で世界を動かすと思ってるだろ。でも、
 世界はいつも、“誰かの恐怖”で動くんだ」
 「その恐怖が、対称的になりつつある」
 ストーンは空を見上げた。
 遠くの山の向こう、雷のような光が一瞬走る。
 「あれは?」
 「実験だよ。小規模な。……だが、もうすぐ“大きい”のが来る」
 ファインマンはノートを閉じ、低く笑った。
 「なあ、ストーン博士。
 もし日本が先に“爆発”させたら、俺たちの研究はどうなる?」
 「そのとき、我々は“被験者”になる」

 風が吹き、砂が二人の足跡を消した。
 その音は、まるで世界そのものが息を潜めているようだった。



 翌朝、作戦室。
 机の上に、新しい通信報告が置かれていた。
 《日本・理化学研究所、臨界近傍実験の兆候》
 グローヴスが報告書を握りつぶす。
 「急げ。七月までに、“我々の太陽”を爆発させろ」
 「それが人類の夜明けになると?」
 オッペンハイマーの問いに、将軍は短く答えた。
 「夜明けでも、地獄の火でもいい。勝てば、どちらも歴史だ」

 会議が終わり、人が去ったあと。
 ストーンは机の隅に置かれたコーヒーカップを見つめた。
 底に沈んだ黒い液面が、微かに光を反射していた。
 それは、まだ生まれていない原爆の閃光のようだった。
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