13 / 21
第十三章 亡国の臨界
しおりを挟む
一九四五年七月下旬、ワシントンD.C.。
OSS(戦略情報局)の暗号班に、スイス・ベルン経由の写真電報が届いた。
解析官が現像液から引き上げた乾板の上には、白い紙に走る黒い波形と、
《Riken – Critical achieved.》の文字。
フランクリン・ストーン博士は、その写真を光にかざした。
「……間違いない。これは臨界の波形です」
隣の士官が顔を強張らせる。
「臨界? 日本が、ウランの連鎖反応を?」
「ええ。しかも、この波形を見る限り、彼らは反応を制御して止めている。
つまり、設計が安定している。――実験炉の段階ではありますが、技術的には兵器転用可能です。」
報告はすぐにホワイトハウス地下の防衛会議室へ回された。
中央の机には、ハンフォード、ロスアラモス、そして東京駒込を示す地図。
ハンフォードの印には赤い×が記されている。
グローヴス将軍は、その印を見つめながら唇を結んだ。
「半年の遅れが、こういう形で返ってきたか。――ハンフォードの停電事故が、やつらに時間を与えた」
「その通りです。」ストーンは答える。「彼らのウラン濃縮効率は高い。理論的には、兵器級に到達可能です。プルトニウムではなく、遠心分離によるウラン型原爆ですね。」
オッペンハイマーが報告書をめくりながら言った。
「理研の設備は空襲を逃れたようだな。臨界を超えていないなら、まだ爆発は起きていない。」
「だが、その“まだ”が問題だ。」グローヴスは低く言う。「ハンフォードの復旧が間に合わなければ、我々の実験は八月にも実施できない。」
「つまり――」
「――奴らが先に“原爆を完成させる”かもしれん。」
沈黙。
会議室の空気が、ゆっくりと凍っていく。
オッペンハイマーが煙草に火をつけた。
「将軍、臨界のデータを持っているのは理研だけです。実験施設を空襲で破壊すれば、戦争は確かに短くなる。だが、我々は何も学べなくなる。」
「学ぶために戦争をやっているわけじゃない。」
「だが、戦争の後に残るのは“学んだこと”だけだ。」
言葉のぶつかり合いに、ストーンが割って入った。
「冷静に考えましょう。今、日本は爆発実験の段階にはいません。
だが、臨界データの存在だけで、政治的には十分な威嚇になります。
もし彼らが“原爆保有を示唆”すれば、我々の交渉力は失われます。
だから必要なのは、空爆ではなく情報戦です。」
グローヴスが眉を上げた。
「どういうことだ?」
「日本国内で“理研は臨界に達したが、兵器化は倫理的理由で中止した”という情報を意図的に流す。
彼らが科学者としての自制を誇りに思うよう仕向ける。
それが一番確実な“封じ込め”になります。」
「つまり、道徳を利用して抑止するというわけか?」
「ええ。爆弾を落とすより、彼らの“良心”を利用する方が安いし速い。」
オッペンハイマーが短く笑った。
「博士、君は戦争を“化学反応”のように扱うな。」
「そうですよ。反応の結果は環境次第です。」
グローヴスは苛立ちを隠さずに言った。
「俺は軍人だ。結果が出る方法しか興味がない。」
「ならば結果を保証します。もし我々が情報操作に失敗した場合、あなたはそのとき爆弾を使えばいい。」
グローヴスはしばらく考え、静かに頷いた。
「いいだろう。――両方進めろ。」
机の上に赤いペンで新たな指示が書き込まれる。
《ハンフォード再稼働:最優先》
《理研施設:監視継続》
《情報工作:日本科学界内に“自制の栄誉”を拡散》
オッペンハイマーはその文字を見つめ、呟いた。
「戦争の形が変わったな。今は爆発ではなく、情報が世界を燃やす。」
OSS内部。
暗号課の机の上に、続報が届いた。
送り主は“木村”と名乗る協力者。
写真の裏に、日本語で一行――
《記録紙は封印、警備強化。実験停止。》
ストーンは短く指示を出した。
「この報告を公式文書に変換しろ。
タイトルは“理研、実験停止を宣言”。」
女技師が首を傾げる。
「本当に停止したとは限りませんよ。」
「いいんだ。停止したと世界が信じれば、それが事実になる。」
彼は小さく息を吐き、封筒を閉じた。
「もし彼らが本当に“止めた”なら、我々はそのまま競争を終わらせることもできた。だが、もう誰にも止められない。」
夜、ロスアラモス。
砂漠の風が砂を運び、テントのロープを鳴らす。
オッペンハイマーとストーンが、計器の並ぶテントの前に立っていた。
「ハンフォードの再稼働はいつだ?」
「早くて十一月。燃料管をすべて作り直す必要があります。」
「そのころには戦争は終わっているかもしれないな。」
「終わっていないかもしれません。」
ストーンは、夜の向こうにある見えない国を見た。
「日本は臨界を越えた。あとは、どちらが爆発させるかだけです。」
オッペンハイマーは目を閉じた。
「いや。あとは、どちらが“止めることを続けられるか”だ。」
風が止み、砂漠に沈黙が落ちた。
遠くで雷のような低い音が聞こえた気がした。
それは実際の音ではない。
だが、世界のどこかで燃え続ける連鎖反応のように、耳の奥に残った。
OSS(戦略情報局)の暗号班に、スイス・ベルン経由の写真電報が届いた。
解析官が現像液から引き上げた乾板の上には、白い紙に走る黒い波形と、
《Riken – Critical achieved.》の文字。
フランクリン・ストーン博士は、その写真を光にかざした。
「……間違いない。これは臨界の波形です」
隣の士官が顔を強張らせる。
「臨界? 日本が、ウランの連鎖反応を?」
「ええ。しかも、この波形を見る限り、彼らは反応を制御して止めている。
つまり、設計が安定している。――実験炉の段階ではありますが、技術的には兵器転用可能です。」
報告はすぐにホワイトハウス地下の防衛会議室へ回された。
中央の机には、ハンフォード、ロスアラモス、そして東京駒込を示す地図。
ハンフォードの印には赤い×が記されている。
グローヴス将軍は、その印を見つめながら唇を結んだ。
「半年の遅れが、こういう形で返ってきたか。――ハンフォードの停電事故が、やつらに時間を与えた」
「その通りです。」ストーンは答える。「彼らのウラン濃縮効率は高い。理論的には、兵器級に到達可能です。プルトニウムではなく、遠心分離によるウラン型原爆ですね。」
オッペンハイマーが報告書をめくりながら言った。
「理研の設備は空襲を逃れたようだな。臨界を超えていないなら、まだ爆発は起きていない。」
「だが、その“まだ”が問題だ。」グローヴスは低く言う。「ハンフォードの復旧が間に合わなければ、我々の実験は八月にも実施できない。」
「つまり――」
「――奴らが先に“原爆を完成させる”かもしれん。」
沈黙。
会議室の空気が、ゆっくりと凍っていく。
オッペンハイマーが煙草に火をつけた。
「将軍、臨界のデータを持っているのは理研だけです。実験施設を空襲で破壊すれば、戦争は確かに短くなる。だが、我々は何も学べなくなる。」
「学ぶために戦争をやっているわけじゃない。」
「だが、戦争の後に残るのは“学んだこと”だけだ。」
言葉のぶつかり合いに、ストーンが割って入った。
「冷静に考えましょう。今、日本は爆発実験の段階にはいません。
だが、臨界データの存在だけで、政治的には十分な威嚇になります。
もし彼らが“原爆保有を示唆”すれば、我々の交渉力は失われます。
だから必要なのは、空爆ではなく情報戦です。」
グローヴスが眉を上げた。
「どういうことだ?」
「日本国内で“理研は臨界に達したが、兵器化は倫理的理由で中止した”という情報を意図的に流す。
彼らが科学者としての自制を誇りに思うよう仕向ける。
それが一番確実な“封じ込め”になります。」
「つまり、道徳を利用して抑止するというわけか?」
「ええ。爆弾を落とすより、彼らの“良心”を利用する方が安いし速い。」
オッペンハイマーが短く笑った。
「博士、君は戦争を“化学反応”のように扱うな。」
「そうですよ。反応の結果は環境次第です。」
グローヴスは苛立ちを隠さずに言った。
「俺は軍人だ。結果が出る方法しか興味がない。」
「ならば結果を保証します。もし我々が情報操作に失敗した場合、あなたはそのとき爆弾を使えばいい。」
グローヴスはしばらく考え、静かに頷いた。
「いいだろう。――両方進めろ。」
机の上に赤いペンで新たな指示が書き込まれる。
《ハンフォード再稼働:最優先》
《理研施設:監視継続》
《情報工作:日本科学界内に“自制の栄誉”を拡散》
オッペンハイマーはその文字を見つめ、呟いた。
「戦争の形が変わったな。今は爆発ではなく、情報が世界を燃やす。」
OSS内部。
暗号課の机の上に、続報が届いた。
送り主は“木村”と名乗る協力者。
写真の裏に、日本語で一行――
《記録紙は封印、警備強化。実験停止。》
ストーンは短く指示を出した。
「この報告を公式文書に変換しろ。
タイトルは“理研、実験停止を宣言”。」
女技師が首を傾げる。
「本当に停止したとは限りませんよ。」
「いいんだ。停止したと世界が信じれば、それが事実になる。」
彼は小さく息を吐き、封筒を閉じた。
「もし彼らが本当に“止めた”なら、我々はそのまま競争を終わらせることもできた。だが、もう誰にも止められない。」
夜、ロスアラモス。
砂漠の風が砂を運び、テントのロープを鳴らす。
オッペンハイマーとストーンが、計器の並ぶテントの前に立っていた。
「ハンフォードの再稼働はいつだ?」
「早くて十一月。燃料管をすべて作り直す必要があります。」
「そのころには戦争は終わっているかもしれないな。」
「終わっていないかもしれません。」
ストーンは、夜の向こうにある見えない国を見た。
「日本は臨界を越えた。あとは、どちらが爆発させるかだけです。」
オッペンハイマーは目を閉じた。
「いや。あとは、どちらが“止めることを続けられるか”だ。」
風が止み、砂漠に沈黙が落ちた。
遠くで雷のような低い音が聞こえた気がした。
それは実際の音ではない。
だが、世界のどこかで燃え続ける連鎖反応のように、耳の奥に残った。
0
あなたにおすすめの小説
鋼鉄海峡突破戦 ーホルムズ海峡ヲ突破セヨー
みにみ
SF
2036年4月9日第六次中東戦争が開戦 中露の支援を受けたイランは中東諸国へと攻勢を強める
無論ホルムズ海峡は封鎖 多くの民間船がペルシャ湾に閉じ込められ世界の原油価格は急高騰
そんな中ペルシャ湾から4月28日 ある5隻のタンカー群がホルムズ海峡を強行突破しようと試みる
自衛用兵装を施した日本のある燃料輸送会社のタンカーだった 今彼らによる熱い突破劇が始まろうとしていた
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
米国戦艦大和 太平洋の天使となれ
みにみ
歴史・時代
1945年4月 天一号作戦は作戦の成功見込みが零に等しいとして中止
大和はそのまま柱島沖に係留され8月の終戦を迎える
米国は大和を研究対象として本土に移動
そこで大和の性能に感心するもスクラップ処分することとなる
しかし、朝鮮戦争が勃発
大和は合衆国海軍戦艦大和として運用されることとなる
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる