堕天使様との恋は前途多難です!〜この恋は筋書きにありません!〜

明夏 向日葵

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気まずい朝の余韻

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セレスタイン城の朝は、いつものように静かだった。

だが――その静けさの中で、ラファエルは目を覚ました瞬間、違和感に眉をひそめた。

「……体が、軽い……?」

いつもなら、発作の翌朝は地獄のような苦痛に襲われる。
筋肉が裂けたような痛み。神経を針で刺されるような後遺症。
自らの闇に身体を蝕まれた証――それが毎回の代償だった。

だが今日は、驚くほどに何もない。

「……どういうことだ……?」

ベッドに手をつき、静かに身体を起こす。
ふと、昨夜の記憶が断片的に蘇る。

黒い霧。燃えるような怒りと悲しみ。そして、赤く染まった視界。

(……そうだ。昨夜、発作が起きた……)

そのとき、自室の扉が――開いた。

(……誰かが、来た)

記憶は朧げだが、その姿ははっきりしていた。

(……スカーレット)

――そう、スカーレットが部屋に入ってきた。
闇に囚われ、自我を失っていたはずの自分の前に、恐れもせず現れた女。

(……俺の“本当の姿”を、見た)

額の角。牙。黒い翼。
人々が「魔物」と呼び、忌み嫌う異形の姿を――彼女は。

(あの女は……何を思った? やはり、俺を化け物と罵るか? 他の奴らと同じように、恐れ、拒絶するのか?)

それとも――

(……なぜ、あの夜、あれほど苦しかったのに……今、こんなにも……楽なんだ)

まるで、誰かに救われたかのように。

* * *

朝食の時間。

ラファエルは食堂の扉の前で立ち止まったまま、手を伸ばすのを一瞬ためらった。

(……来ているだろうか)

ドアを開けると、やはりそこにはいた。

スカーレットはテーブル席に座り、湯気の立つ紅茶を前に、静かにスプーンを弄っていた。

「……おはようございます、ラファエル様」

いつも通りの丁寧な口調。
だが――その声音には、どこかぎこちなさが滲んでいた。

(……覚えている。やはり、昨夜のことを)

ラファエルは彼女の向かいに無言で腰を下ろす。

「クラウス様は、体調が優れないので、今朝は私が用意しましたの」

「……そうか」

沈黙が落ちた。

ぎこちない。ひどく、居心地が悪い。

ラファエルは、ふと視線を逸らすようにして――彼女の首元を見た。

その時だった。

「っ……!」

首筋に、くっきりと残る赤い痕。

――牙の痕。

(……俺が、彼女を……!?)

瞬間、息が詰まった。

昨夜の自分は、自我を失っていた。
だがこの痕は――理性を保てていたとは、とても言えない証拠だった。

(……本当に、あのまま噛んでいたら――殺していた……!)

指先が震える。

(俺は…スカーレットを、殺そうとしたんだ)

言い訳も、言葉も出てこない。

スカーレットは、そんな彼の視線に気づいて――そっと、スカーフを引き上げた。

その仕草に、ラファエルは何も言えなかった。

「……昨日のことは、お気になさらず」

ようやく口を開いたスカーレットの声は、淡々としていた。
「私は……大丈夫ですわ。貴方がああなる理由、少しだけ思い出しました。ゲームの記憶、ですけど」

「……」

「それでも、少しだけ安心したの。……あの時、貴方は最後の瞬間で、ちゃんと止まった」

ラファエルは、ぎゅっと手を握りしめた。

「……なぜ、逃げなかった」

「それは……」

スカーレットは、一瞬だけ言葉に詰まり、ふっと笑った。

「きっと……私、バカなのよ。悪役令嬢って、もっとズルくて冷たいはずなのに。なぜか、あなたの顔が苦しそうだったのが、気になってしまっただけ」

昨日の闇の中で、彼女は何を見て、何を感じて、何を思ったのか。

わからない。

だが――

「……すまなかった」

ラファエルは、静かに頭を下げた。

「俺は……お前を、本当に殺しかけた」

その謝罪に、スカーレットは驚いたように目を見開いた。

「あなたが……謝るなんて」

「……二度とああはならないようにする。それしか言えない」

気まずさと重い沈黙の中――紅茶の湯気だけが、変わらず立ち上っていた。

けれどその朝、ラファエルの心の奥底で、ほんのわずかに何かが動いたのは確かだった。

それはまだ、名前のつかない“感情”だった。
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