堕天使様との恋は前途多難です!〜この恋は筋書きにありません!〜

明夏 向日葵

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微笑みの裏側

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――あの朝から数日が経った。

セレスタイン城に、ゆるやかな時間が流れていた。

変わらない静けさ。変わらない空。
だが、ただ一つだけ、変わってしまったものがあった。

それは――ラファエルの視線だった。

* * *

食堂。午後のティータイム。

「……今日は少し、甘い紅茶にしてみたの。疲れてる時には、砂糖が効くって、クラウス様が言ってたから」

いつも通りの紅茶を用意して、スカーレットはラファエルの前にカップを差し出した。
その笑顔は、完璧だった。淑女らしく、優雅で、どこか柔らかく――

「……ありがとう」

ラファエルは受け取ったカップを見つめたまま、口を開かない。

(……変わらない。まるで何もなかったかのように、あの夜のことも忘れたかのように)

だが――彼の胸の奥は、静かに、そして確かに、痛んでいた。

あの夜、自分はスカーレットを殺しかけた。
首筋の痕。それを見た瞬間の、冷たい現実。

(あの時……ほんの僅かでも、力の加減を間違っていたら)

ラファエルは、そっと視線を上げた。
スカーレットは、微笑んでいた。まるで何もなかったかのように。

(……違う)

その笑顔は、“何もなかった顔”をしていただけだった。

よく見れば、視線は泳いでいた。
笑う唇は震えていた。
手元のカップを持つ指先に、かすかに力が入りすぎていた。

――あれは、本物の笑顔じゃない。

無理に、傷を隠そうとしている顔だった。

(……笑うなよ)

(俺が、お前をあんな目に遭わせたんだ)

自分のせいで、彼女は怖がっている。
それなのに、気遣わせている。

「……やめろ」

「……え?」

スカーレットが驚いたように目を見開いた。

「……無理に笑うな」

それは思わず漏れた、本音だった。

「俺を気遣う必要はない。あの時……お前は本気で、怖かっただろう」

「……」

スカーレットは、そっとカップを置いた。

「……本当は、怖かったわ。息ができなくなるほど。でも……それ以上に、あなたのあの姿が、辛そうだったの。苦しそうで、壊れそうで」

「……!」

「だから、私が笑わなきゃ、って……思ったのよ。少しでも、あなたが……楽になるならって」

ラファエルの胸が、ぎゅっと締め付けられた。

(……なんなんだ、お前は)

“悪役令嬢”。
“監視対象”。
“他者を蹴落とし、マリアを貶める存在”。

そう言われていたはずの女が、なぜ自分のために笑おうとする?

なぜ、あの時逃げずに傍にいた?

(お前は……本当に、悪女なのか?)

ラファエルの視線が、スカーレットの手元に落ちた。
その細い手首には、加護を示す印はない。

聖女マリアの手には、月の紋章“ルナリア”が浮かぶという。
王家の者なら、太陽の痕跡。貴族には星の導きを。

だが――

(……この女には、何もないはずだった。はず、だったのに)

「……ひとつ、聞かせろ」

ラファエルは声を低くした。

「お前、本当に……何の加護も持たずに生まれたのか?」

スカーレットはきょとんとした顔をした。

「ええ……そうだけど?」

「……そうか」

(だとすれば――どうして、あの夜の発作で、俺の力が落ち着いた?)

聖女の加護がなければ抑えられないはずの“ダスクファング”。
だが、彼女が来た直後、俺は――落ち着いた。

それは偶然か、それとも――

(……まさか)

ラファエルは、無意識のうちにスカーレットの手に、もう一度目をやった。

確かに印はない。
けれど――何かがある気がしてならない。

彼女の存在が、あの夜、自分を“救った”としか思えなかった。

「……君は、何者だ?」

ぼそりとこぼれた呟きに、スカーレットは首をかしげた。

「ふふ、何者も何も。ただの、公爵家令嬢・スカーレットですわ」

――その言葉には、どこか皮肉めいた笑みが混じっていた。

ラファエルはその表情から、もう目を離すことができなかった。

(違う。お前は……)

その先にある“正体”を、彼はまだ知らなかった。
だが確かに、心のどこかが囁いていた。

この女は――まだ、何かある。彼女自身さえ気づいていない何かが。

そしてそれは、やがて世界の運命さえ揺るがす“真実”に、繋がっているのかもしれなかった。
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