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20 虚構 -Chapter セラフィム
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執務室の中に、セラフィムは一人取り残され、机の上に視線を落とす。
積み重ねられた書類。領地からの報告書、政務の記録、財政の帳簿。すべてが整然と配置されている。秩序と統治。そして、王太子としての責務。
山積みとなるその一覧の中に、彼女のことは一行たりとも記されていない。
セレイナ側妃。
王太子妃の政務を補助する立場として、宮廷に迎えた女性。
側妃を迎えるという決断は、リージェリアを救うためにセラフィム自らが行使した制度だった。
政務に不適応で、どんどん不安定になっていく妻・リージェリア。その重圧から彼女を解放し、得意な社交に専念させる。
その為に、セレイナが側妃として選ばれた。
肉体的な関係を伴わず、政務のみに携わる立場。王太子妃に代わって、宮廷の実務を担当する者。リージェリアにはそう諭して、迎え入れたはずだった。
エリオスが机に両手をついた時、セラフィムを射貫いたその目の冷たさと理の圧力。
『塔から身を投げようとしていた』
エリオスの声が、セラフィムの耳の中で反響する。
「……そんなはずはない」
彼は呟いたが、その言葉にも確信を持てなかった。
いつからだろう。
セレイナを見ないようにするようになったのは。
☆
セレイナが側妃として迎え入れられたのは、セラフィムとリージェリアの婚姻から、およそ一年後のことだ。
彼は父王に相談し、側妃という制度の行使を提案した。名目は、リージェリアの政務不適応という一点に絞られていた。実際のところ、それは正確な判断だった。
異国から来たリージェリアは、ウィンター国のしきたりになかなか馴染めず、政務のやり方も隣国とは大きく異なっていた。彼女は、是正しようと努力した。だが、その試みはなかなか上手くいかず、どんどん不安定になっていった。
政務に滞りが生まれ、それは見る見る間に蓄積されていった。
ただし、リージェリアには一つ、得意なことがあった。
社交だ。
薄紅髪の可愛らしい顔立ちと、ナルヴァ国の王女としての気品を兼ね備えた彼女は、宮廷の社交の場では本来、自分の力を発揮できるはずだった。
国益の懸け橋として、彼女の存在は極めて重要だった。
だがその社交さえも、政務の重圧と不安定さの影響を受けるようになっていった。心が政務の失敗で満たされれば、社交の場での笑顔も本物ではなくなる。
セラフィムは、その悪循環を目の当たりにした。
そして、彼は決断した。
側妃という制度を使い、政務の負担をリージェリアから取り除くと。
本来なら、政務官を数人置いても良かったが、それだと結局、妃の裁可が必要となる。ならば側妃を迎え、裁可も『王族』という名目の元、側妃が代わりに行えば不要な手続きが簡素化される。リージェリアも社交に専念でき、国益の懸け橋としての役割を十分に果たせるようになる。
だが問題は、条件を満たす人物が居るのか? という点だった。
側妃として政務を行える人間。独身で、婚約者がなく、一定の貴族としての家格を持ち、政務をこなせるだけの有能さを兼ね備えた令嬢。
「そんな都合のいい人物が、本当にいるのか?」
セラフィムはそう自問する中で、改めて父王に相談した。
すると、側近がある令嬢の候補を持ってきたのだ。
その名は、セレイナ・エルグレン伯爵令嬢。多くの求婚を受けながらも、すべてを断ってきた女性。
そして、美しいと評判の――
セラフィムが、その令嬢の名を聞いた時、心は高鳴りを覚えた。
知っていたのだ。彼女のことを。噂で、そして何度か社交の場で見かけたことがあった。その美しさを。
まさかその彼女が、側妃候補になるとは。
その時は天の采配だと、仄かな喜びがセラフィムの脳裏を掠めた。
☆
セレイナを初めて目の前で見た時、セラフィムは改めて彼女の美しさに驚いた。噂は本当だった。寧ろ、目の当たりにした彼女は、想像以上に美しい女性だった。
王城の光に照らされた彼女の銀髪。彼女の瞳。彼女の唇。全てが、セラフィムの心を激しく揺さぶった。
セラフィムは彼女が側妃にと申し出ることに、寸分の迷いは無かった。
「側妃になってくれないか」
その言葉を彼女にかけた時、セラフィムは自分の目の中に欲望が宿っているのを感じた。それは政務上の必要性ではなく、純粋に、彼女を傍に置きたいという欲だ。同時に、彼の心にある考えが浮かんだ。
自分の側妃は、肉体的な関係を伴わない立場として迎え入れるはずだった。それが、異国から嫁いで来てくれたリージェリアへ対する誠意だと思っていた。実際、リージェリアは激しく抵抗を見せた。それを根気よく諭し、なんとか漕ぎつけた側妃制度の実施。
そう思っていたのに。
セレイナと対面した途端、そんなものは音もなく崩れ去った。
側妃とはいえ、王太子の妃であることに変わりはない。
その身分であれば、彼女と閨を共にする夜が訪れてもいいのではないか。そう考えることは、不当ではないのではないか。
欲望が、セラフィムの心に深く根差してゆく。胸の高鳴りを抑えることも出来なかった。
その髪に、唇に、身体に、触れたい。
そんなセラフィムの心を知ってか、知らずか。
セレイナは、その申し出を承諾した。
静かに微笑んだセレイナをその目に映した時、セラフィムの理性は、胸の奥のほうで焼き尽くしていった。そして、リージェリアに対する誠意も、破り捨てようとしていた。
積み重ねられた書類。領地からの報告書、政務の記録、財政の帳簿。すべてが整然と配置されている。秩序と統治。そして、王太子としての責務。
山積みとなるその一覧の中に、彼女のことは一行たりとも記されていない。
セレイナ側妃。
王太子妃の政務を補助する立場として、宮廷に迎えた女性。
側妃を迎えるという決断は、リージェリアを救うためにセラフィム自らが行使した制度だった。
政務に不適応で、どんどん不安定になっていく妻・リージェリア。その重圧から彼女を解放し、得意な社交に専念させる。
その為に、セレイナが側妃として選ばれた。
肉体的な関係を伴わず、政務のみに携わる立場。王太子妃に代わって、宮廷の実務を担当する者。リージェリアにはそう諭して、迎え入れたはずだった。
エリオスが机に両手をついた時、セラフィムを射貫いたその目の冷たさと理の圧力。
『塔から身を投げようとしていた』
エリオスの声が、セラフィムの耳の中で反響する。
「……そんなはずはない」
彼は呟いたが、その言葉にも確信を持てなかった。
いつからだろう。
セレイナを見ないようにするようになったのは。
☆
セレイナが側妃として迎え入れられたのは、セラフィムとリージェリアの婚姻から、およそ一年後のことだ。
彼は父王に相談し、側妃という制度の行使を提案した。名目は、リージェリアの政務不適応という一点に絞られていた。実際のところ、それは正確な判断だった。
異国から来たリージェリアは、ウィンター国のしきたりになかなか馴染めず、政務のやり方も隣国とは大きく異なっていた。彼女は、是正しようと努力した。だが、その試みはなかなか上手くいかず、どんどん不安定になっていった。
政務に滞りが生まれ、それは見る見る間に蓄積されていった。
ただし、リージェリアには一つ、得意なことがあった。
社交だ。
薄紅髪の可愛らしい顔立ちと、ナルヴァ国の王女としての気品を兼ね備えた彼女は、宮廷の社交の場では本来、自分の力を発揮できるはずだった。
国益の懸け橋として、彼女の存在は極めて重要だった。
だがその社交さえも、政務の重圧と不安定さの影響を受けるようになっていった。心が政務の失敗で満たされれば、社交の場での笑顔も本物ではなくなる。
セラフィムは、その悪循環を目の当たりにした。
そして、彼は決断した。
側妃という制度を使い、政務の負担をリージェリアから取り除くと。
本来なら、政務官を数人置いても良かったが、それだと結局、妃の裁可が必要となる。ならば側妃を迎え、裁可も『王族』という名目の元、側妃が代わりに行えば不要な手続きが簡素化される。リージェリアも社交に専念でき、国益の懸け橋としての役割を十分に果たせるようになる。
だが問題は、条件を満たす人物が居るのか? という点だった。
側妃として政務を行える人間。独身で、婚約者がなく、一定の貴族としての家格を持ち、政務をこなせるだけの有能さを兼ね備えた令嬢。
「そんな都合のいい人物が、本当にいるのか?」
セラフィムはそう自問する中で、改めて父王に相談した。
すると、側近がある令嬢の候補を持ってきたのだ。
その名は、セレイナ・エルグレン伯爵令嬢。多くの求婚を受けながらも、すべてを断ってきた女性。
そして、美しいと評判の――
セラフィムが、その令嬢の名を聞いた時、心は高鳴りを覚えた。
知っていたのだ。彼女のことを。噂で、そして何度か社交の場で見かけたことがあった。その美しさを。
まさかその彼女が、側妃候補になるとは。
その時は天の采配だと、仄かな喜びがセラフィムの脳裏を掠めた。
☆
セレイナを初めて目の前で見た時、セラフィムは改めて彼女の美しさに驚いた。噂は本当だった。寧ろ、目の当たりにした彼女は、想像以上に美しい女性だった。
王城の光に照らされた彼女の銀髪。彼女の瞳。彼女の唇。全てが、セラフィムの心を激しく揺さぶった。
セラフィムは彼女が側妃にと申し出ることに、寸分の迷いは無かった。
「側妃になってくれないか」
その言葉を彼女にかけた時、セラフィムは自分の目の中に欲望が宿っているのを感じた。それは政務上の必要性ではなく、純粋に、彼女を傍に置きたいという欲だ。同時に、彼の心にある考えが浮かんだ。
自分の側妃は、肉体的な関係を伴わない立場として迎え入れるはずだった。それが、異国から嫁いで来てくれたリージェリアへ対する誠意だと思っていた。実際、リージェリアは激しく抵抗を見せた。それを根気よく諭し、なんとか漕ぎつけた側妃制度の実施。
そう思っていたのに。
セレイナと対面した途端、そんなものは音もなく崩れ去った。
側妃とはいえ、王太子の妃であることに変わりはない。
その身分であれば、彼女と閨を共にする夜が訪れてもいいのではないか。そう考えることは、不当ではないのではないか。
欲望が、セラフィムの心に深く根差してゆく。胸の高鳴りを抑えることも出来なかった。
その髪に、唇に、身体に、触れたい。
そんなセラフィムの心を知ってか、知らずか。
セレイナは、その申し出を承諾した。
静かに微笑んだセレイナをその目に映した時、セラフィムの理性は、胸の奥のほうで焼き尽くしていった。そして、リージェリアに対する誠意も、破り捨てようとしていた。
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