偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

文字の大きさ
19 / 107
現在

19 対峙 -Chapter セリオルド

しおりを挟む
 王の執務室は静まり返っていた。
 厚いカーテンが風を受けてわずかに揺れ、紙の端がかすかに鳴る。

 その扉が勢いよく開かれ、沈黙を切り裂いた。

 碧眼が鋭く光らせた、黒髪の青年が入ってくる。
 
 第二王子、エリオス。

 執務机の奥にいたセリオルド王は、顔を上げた。黒髪には白い筋が混じり、灰青の瞳が深い光を湛えている。

「乱暴な入り方だな」

「急を要する話だ」
 
 短い返答。その声には冷たさよりも、苛立ちが強く滲み出ている。

「セレイナ妃の件だ」

 王の手が止まる。だが表情は変わらない。

「塔の上で身を投げようとしていた。俺が止めなければ、今頃は死んでいた。……骨のように痩せ細っていた。まるで人形だ。兄上は何をしていた? そして、あなたもだ。何をしていた」

 言葉のひとつひとつが刃のように、王・セリオルトの耳を突く。

「……お前は誰に、何を、言っているのか理解しているのか」

「もちろんだ」
 
 エリオスは、吐き捨てるように言う。

「王太子の無為も罪だが、放置した王の沈黙も同じだ。俺はこの目で見た。セレイナ妃は明らかに助けを求めていた。にも拘らず、誰も手を伸ばさずにただ、衰弱していくのを黙って見ていた。いや、それさえも観ていなかったんじゃないのか?」

「口の利き方に気をつけろ」

「気をつけていたら、誰も救えなかった。今すぐ、離縁させろ。そして彼女を解放すべきだ」

 その瞬間、セリオルドの眉がわずかに動いた。普段何事にも冷めている息子の声色には、聞いたことのない様な熱い何かが込められていた。

 セリオルドはゆっくりと立ち上がる。黒髪に銀の光が差す。長身の体から放たれるものは、口を開かずともその場を支配するような圧。

「お前は、王の決定に楯突くつもりか」

「命を見捨てる決定なら、従う理由はないだろ」
 
 エリオスは一歩踏み出した。そして、自身を落ち着かせるように一呼吸おいてから、言葉を続ける。

「この国の名に、恥を刻ませたくないだけだ。彼女をこのまま殺したら、王家が何を語る?『王の足元で、妃が飢えて死んだ』それが歴史に残る。飢えて、だぞ? あり得ない。あの姿をみて何もしない者がいるならば、それこそ愚か者だ」

 セリオルドは息を吐いた。その吐息は短く、冷たい。

「脅しているのか」

「警告しているだけだ。もしこの件を握り潰すなら、俺は審問会を開く。証人も記録も出す。兄上の名も、王家の名も関係ない」

 セリオルドは机に手を置いた。その目に、短い怒りの光が宿ったが、すぐに消えた。灰青の瞳には、王としての責任と、息子であるエリオスに問い詰められている屈辱と疲労が浮かんでいる。

「……正義を掲げる者ほど、危ういものはないぞ」

「俺は理想を語っているわけじゃない。現に、一人の妃が城の中で死にかけていた。見て見ぬふりをするほうが、よほど危うい」

 沈黙が降りた。セリオルドは机の端に手を置き、喉の奥から低い声を出す。

「……わかった。セレイナ妃は、心を病んだことにする。療養のため王城を離れさせる。お前が連れて行け。辺境の方が安全だ」

 エリオスの肩が、小さく漏れた吐息と共にわずかに緩む。

「離縁も、すぐに。セレイナ妃の希望だ」

「進める。だが忘れるな。情で動く王は脆い」

「情を捨てた国の方が、先に崩れる」

 返答は静かだった。
 だが、エリオスのその一言に、セリオルドの瞳が一瞬だけ揺れた。

 やがてエリオスは短く頭を下げ、扉に向かった。黒髪が翻り、背は真っすぐに伸びている。

 執務室に再び静寂が戻る。
 セリオルドはその椅子に再び腰を下ろすと、机上の印章に手を伸ばし、封蝋を押した。

 短い沈黙ののち、王は控えていた侍従に目を向けた。

「セラフィムを呼べ。今すぐだ」

 侍従が低く頭を下げ、足早に部屋を出ていく。

 その背を見送りながら、セリオルドは視線を落とした。
 
 一体何が起こった?
 
 エリオスが帰城しているのは承知していた。だがなぜ、王太子の側妃がという話をしだしたのだ。しかも身を投げようとしていたとは? 思考を巡らすが、今は事態を確認する方が先だと判断する。

 エリオス。

 自分の資質を兄・セラフィムよりも色濃く受け継いだ、二人目の息子。
 有能すぎるが故に、最も危険でもある。

 情よりも理。そして、理よりも情。

 エリオスは、自らが納得すれば、国など簡単に捨てるだろう。

 己の信念を貫くためならば。

 それは、民心よりも彼にとって、優先すべきこととなるはずだ。

 対して王太子であるセラフィムは、柔軟性があり、政治的な緩和剤となり得る。

 国王としてはエリオスの方が向いているのかもしれない。
 だが、国を円く保つためにはセラフィムの資質のほうが、今は大事だったはず。

 なのに。

 奴は何をしているのだ。隣国との王女の件は、僥倖だと思ったのは間違いだったのか?
 それとも、自身の王としての采配の甘さか。

 セリオルドは、その手元の書類ををじっと見つめながらも、この先の対処に深い疲労を覚えずにはいられなかった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

【完結】さよならのかわりに

たろ
恋愛
大好きな婚約者に最後のプレゼントを用意した。それは婚約解消すること。 だからわたしは悪女になります。 彼を自由にさせてあげたかった。 彼には愛する人と幸せになって欲しかった。 わたくしのことなど忘れて欲しかった。 だってわたくしはもうすぐ死ぬのだから。 さよならのかわりに……

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】 積み上がった伏線の回収目前!! 夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。 長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。 待っていたのは、凍てつく絶望。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。 「夫は愛人と生きればいい。  今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」 それでも私は誓う―― 「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」 歪で、完全な幸福――それとも、破滅。 “石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

完結 殿下、婚姻前から愛人ですか? 

ヴァンドール
恋愛
婚姻前から愛人のいる王子に嫁げと王命が降る、執務は全て私達皆んなに押し付け、王子は今日も愛人と観劇ですか? どうぞお好きに。

処理中です...