偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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23 速やかに ーChapter : at court

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 セラフィムは扉を押し、静かに閉める。

 王の執務室には、セリオルドが一人で机に向かっていた。窓の外に薄い昼光。机上には未決の書類が整然と並び、羽根ペンの影が長く伸びている。

 王は顔を上げず、ペンを止めることなくセラフィムに言った。

「先ほどエリオスより、セレイナ妃についての嘆願があった。自死をしようとしていたそうだ。そのことについては、聞き及んでおるな?」

「……はい」

 セラフィムの返答から間を置かず、王・セリオルドは続ける。

「奴は、審問会を開いてもよいと言っていた。仮に開いたとしてお前は、自らの行いが正しかったと証明できるか」

 短い沈黙が落ちた。

「……いいえ」

 セリオルドはそこでやっとペン先の動きを止め、僅かに視線を上げる。

「つまり、エリオスの言い分は概ね正しいのだな?」

「……はい」

「わかった。側妃セレイナ・エルグレンとの離縁手続きを本日の午後、速やかに執る。お前も同席せよ。以上だ」

 セラフィムはわずかに視線を落とした。

「承知いたしました」

 それ以上言葉は交わされない。セラフィムは一礼すると、足音も立てずに退出をした。
 
 セリオルドは視線を机に戻し、手元の小鈴を鳴らすと外で控えていた侍従が入室する。

「宰相を」

 短い命令のあと侍従が下がり、ほどなくして宰相ロドニーが姿を見せた。彼が深く一礼すると、セリオルドは端的に告げた。

「王太子セラフィムと側妃セレイナの離縁手続きの書式を急ぎ用意せよ。午後に執行する」

 ロドニーの眉が、わずかに寄った。
 急な命に、確かめたい事柄が浮かび口が開きかけるが、王の声音と端的な物言いに『今は言葉を挟むべきではない』と察した。

「立ち会いは私とセラフィム、宰相、法務卿、そしてエリオスとする。粛々と速やかに処理せよ」

 宰相が短く頷いた。

「御意に従い、法務卿カレドルと必要書類を直ちに整えます」

「それとセレイナ・エルグレンは静養の名目で移す。そのように記載した書類も用意せよ。後見はエリオス。公にはするな。全て内密に」



 午後の処理とは別に、王・セリオルドには確かめねばならぬことがあった。

 何も告げず、誰も伴わず、セリオルドは静かに歩き出した。セリオルドが向かうのは、エリオスの部屋。そこでセレイナの行方を聞かねばならない。


 
 エリオスは急に自室に現れた父・セリオルドにチラリと視線を投げたが、すぐに手元の書類へ目を戻す。その様子に、セリオルドは息子を責め立てることもなく、静かに問うた。

「セレイナ妃はどこにいる?」

 エリオスも短く返す。

「そこのベッドだ。一番安全だろ」

 セレイナ自身の部屋でも救護室でもなく、人目に触れず守りやすい場所という意図は言わずとも伝わる。

 セリオルドはゆっくりと歩を進め、一定の距離を置き眠るセレイナの姿を確かめた。

 そこにはかつての面影を失い、エリオスの言った通り老いの影を纏った、生きる亡霊のような女性が居た。

「……眠っているのか?」

「ああ」

「……可哀想なことをしたな」

「そう思うのであれば、迅速な手続きを」

「わかっておる。……子を持つ親としては、見ていられん。伯爵にも申し訳が立たんな」

「伯爵には、なんて説明する気だ?」

「暫くは離縁のことは伏す。お前には負担をかけるが、彼女の健康を取り戻せるよう尽力してやってくれんか」

 エリオスは父の横顔をじっと見た。そこには王ではなく、一人の父として語る姿があった。

「わかった」

「それと午後、評議会室へ来るように。侍従を迎えに来させる。彼女が今後保証を受けられるよう、文書を整えておく。お前を側妃の後見人とする」

 それだけ告げると、セリオルドは眠るセレイナにもう一度目を向け、軽く頭を垂れた。
 
 一国の王としてではなく、息子の過ちと共に自らも無為だったことへの謝罪だったのかもしれない。ここから先は、王としての判断と処理になるだろう。そのことへの詫びも含まれていたのかもしれない。

 静かに退出するセリオルドの背中を見ながら、エリオスはそんなことを思った。
 
 扉が閉まると、エリオスもベッドに眠るセレイナを一瞥した後、再び手元の書類に目を落とした。



 陽が西に傾きかける刻、評議の間には五つの席が整えられそれぞれに人が着いていた。王・セリオルド、王太子・セラフィム、第二王子・エリオス、宰相・ロドニー、そして法務卿・カレドル。余分な者はいない。高窓からの光が白い帯となって床石を渡り、室内の空気を淡く照らす。

 書類の最終調整を終えた宰相が、羊皮紙を広げ明瞭な声で読み上げる。

「王命により、王太子セラフィム・ウィンター殿下の側妃セレイナ・エルグレンの身分を本日をもって解く。以後は療養を名として城を離れ、詮索および無用な接触を禁ず」

 法務卿が別紙を差し出し、王の前に置く。

「保護に関する付記。保護の任はエリオス殿下が負うものとする」

 セリオルドは軽く頷いた。

「エリオス」

「拝命いたします」

 エリオスの返答は澱みがない。午前に荒れた熱は形を変え、守護しようとする決意となって彼の中に落ちた。

 宰相がもう一束の書類を開いた。

「付随条項。今回の件に伴う補償と静養に要する費用その他一切の賠償は、王太子セラフィム殿下の私財と私有財産をもって充てる」

 王が視線だけを落とし、短く言葉を添える。

「責任は取れ」

「……承知しております」

 セラフィムは、目の前に置かれた書類の署名欄に名を記した。筆先は一度だけ小さく揺れたが、すぐに静まる。

 法務卿が署名し宰相が続く。王は印璽箱の蓋を開け、蝋の上に印を押した。赤が静かに沈み、隣の紙にも正確に重なる。墨の匂いと蝋の微かな熱が、短い時間だけ室内に満ちた。

 読み上げと確認は簡素に進んだ。必要な欄に必要な印が置かれ、必要な者が必要な位置に立っている。王が最後の書面に目を落とし、短く頷く。

「これでよい」

 宰相と法務卿が書類を束ね、紐が締まり端がそろう。二人は深く一礼して退室すると、評議の間にあった緊張の空気が僅かに緩んだ。

 王は封筒を指先で押し、エリオスへ示した。

「頼んだぞ」

「はい」

「明日のうちに手配を済ませろ」

「承知しました」

 それだけ言うと封筒を手にしたエリオスが退室し、扉が静かに閉まる。

 広い部屋には王とセラフィムだけが残る。セリオルドは暫く何も言わなかったが、視線を机から外さぬまま声だけを零した。

「今後、同じ過ちは繰り返すな。心せよ」

 それだけだった。王は印璽箱の蓋を閉じる。金具が合わさる音が短く響き、すぐに静けさが部屋を覆う。外では、午後の光が回廊の床に四角い明かりを連ねている。ここで交わされた言葉は記録の形で残り、余計な噂は立たないだろう。

「心得ます……」
 
 セラフィムは王の言葉を聞き、頷いた後一礼し背を向けた。

 午前から続く緊張は、まだ身体のどこかに残っている。

 しかし手続きは終わった。

 本当に残るのは、それぞれが負うべき責の重さだけだった。
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