偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

文字の大きさ
30 / 107
現在

30 彼女の真実 ーChapter リージェリア

しおりを挟む
「理解して欲しい、リージェリア。これは君の負担を軽減するための制度利用だ。決して、妻として迎えるわけではないんだ」

 まだ朝が昇りきらない寝室で、ベッドに横たわるリージェリアの隣に、夫であるセラフィムが添い寝ている。艶のある薄紅の髪を撫でながら、彼は諭すように言葉を続ける。
 
 リージェリアは窓の外に視線を向けたまま、決して彼を見ようとはしなかった。

「君に誓うよ。側妃には手を出さない。いや、側妃とは名ばかりで、政務官として君の役に立つのが役目なんだ。だからこそ、君の承諾を得てから制度を実行するんだ。君が大事だから」

(理解? できるわけないでしょう)
 
 どんな形であれ、妻を二人にするなど屈辱でしかない。

 お互いが一目惚れで恋に落ち、そのことが国益に繋がると両国王は、掌を広げて二人の愛を受け入れた。

 周りにも祝福されて、この地に嫁いできた。それから約一年。
 いまだ世継ぎが出来ない。幾度となく夜を共にしても、兆候もない。

 そのことが、日に日にリージェリアの焦燥へと繋がっていた。であるのに、側妃という肩書を持つ者が来ると言う。
 
 セラフィムが、側妃を持とうとしている理由は理解している。何度も彼から説明されることを聞いた。だが建前であっても『側妃』として他の女性を迎え入れようとしていることが、リージェリアの胸を刺した。

 リージェリアが政務をできないフリをしていたのは、隣国ナルヴァの時期国王となる兄王太子を刺激しないためだった。
 
 彼女が政治の場で有能さを誇示すれば、その報は確実に兄の耳に届く。兄は『妹を通じて他国を動かせる』と考え、王太子妃となったリージェリアを、駒のように扱うだろうことはわかりきっていた。兄はそういう性格だ。
 
 この国とナルヴァの国境には、両国が共有する鉱山がある。鉱脈は境を跨ぎ、どちらの国も手放せない。だからこそ両国の均衡を保つため、リージェリアとセラフィムの婚姻は、和平を支える梯としても結ばれたのだ。
 
 しかも、その地を治めるのは、かつて学舎で机を並べた友・ミレーユが嫁いだ公爵家である。兄が動けば、まずその領が揺らぐ。
 兄の密偵は、恐らくこの国にも潜んでいる。気づかぬうちに、身近へも忍び寄っているかもしれない。だからこそリージェリアは、政の表に出ることをやめた。無能を装うことが兄の干渉を防ぎ、国と友を守る最も確実な方法だった。

 但し、リージェリアは完全に沈黙しなかった。
 
 この国に嫁いだ意味のひとつである架け橋になるべく、社交の役割だけは手放さなかった。それを怠れば自身の存在意義が失われ、セラフィムにも呆れられるかもしれない。
 
 それだけは避けたかった。
 
 だから彼女は、笑みと礼節と知識を武器に、誰よりも優雅に振舞い穏当に人を繋いだ。

「君の笑顔を、曇らせたくないんだ」

 セラフィムの言葉に、その身体をゆっくりと翻したリージェリアは、彼の顔を見た。困ったように眉を下げて、小さく微笑みながらも、愛おしそうに見つめてくるセラフィムの表情。

 髪を撫でていた大きな掌が、リージェリアの頬に滑り落ちて来る。その温もりを感じつつ、一度目を瞑ったリージェリアは、ため息交じりに彼に告げた。

「……わかったわ、セラフィム。でも、本当に誓って。側妃は建前であり、決して閨を共にしないと」

「当然だ。ありがとう、リージェ」

 セラフィムはそう言うと、リージェリアの唇に軽く口づけ、抱きしめた。
 
 その腕の温もりを感じながらも、彼女は胸の奥に小さな痛みを覚えていた。



 その日がとうとう来た。王太子セラフィムが側妃を迎える日。
 
 空は泣き出しそうな曇天だった。
 
 一体、誰の心の内を映したものなのだろうか。
 
 リージェリアは空を見上げつつ、ぼんやりとそんなことを思った。

 リージェリアには、書類上で報告がされた。側妃の名前や経歴などの情報がそこには記載されている。そして彼女がすべく役割についても。

 近く、彼女と対面する日がくるだろう。その時自分は、どんな顔をして会えばいいのか。政務補佐の才を買われた女性。頭では理解していても、心がまだ追い付いていない。

 この気持ちは時間が解決してくれるのだろうか。セラフィムの愛を疑うべきではない。

 そう言い聞かせるしかなかった。

 だが、セラフィムの仕事は日に日に増え、夜の執務も続いた。

 小さな違和感。
 
 彼がどんな顔で机に向かっているのか、リージェリアは知らない。
 
 けれど、知るべきときは突然訪れた。



 ほどなくしたある日の午後、予定表を届けにセラフィムの執務室へ向かった。扉は半ば開いていた。中から紙の擦れる音。
 
 そこには、見慣れない女性が居た。

 流れるような銀髪の、美しい人。

 例えるのであれば『儚げ』な女性だった。男性が、手にしたいと思うような欲を煽る。そして、手に入れたのであれば、失いたくないと熱望するような。それが異性に対し、どんな意味を持つのかということも、嫌と言う程わかっていた。

 自分とはまるで違うタイプ。自身が庇護欲を掻き立てるのだろうことは、十分に理解していた。それを武器に、セラフィムの目をこちらに向けたのだから。

 それとはまるで違う、清廉さと気高さが彼女にはあった。

 そうか。あの人が側妃か。

 隙間から見える女性のシルエットに、リージェリアは直ぐにそう理解した。

 セレイナが地図の上を指でなぞり、数値を説明している。声は聞こえないが、その所作や表情から落ち着いて話せる、理知的な人なのだろうことが伺いしれる。
 
 セラフィムは頷きながら書類を持ち直し、目を落とす。
 
 だが視線はすぐに文字を離れ、彼女の横顔に止まった。

 扉の向こう。
 
 リージェリアからは距離があるはずなのに、セレイナを見るセラフィムの喉元が、大きく上下に動くのが、はっきりと見えた。
 
 言葉を発したわけでも、咳をしたわけでもない。
 
 音は無いはずなのに、何かを飲み込む音が部屋の奥まで響くような、そんな動き。
 
 それを見た瞬間、リージェリアは確信した。
 
 あれは理性ではない。男の、抑えようのない『欲』だ。
 
 きっと……あの誓いは遠くない未来に、簡単に破られるだろう。

 リージェリアは、部屋の中に入ることはせず、そのまま踵を返した。

 足早に歩きながら思う。

 このままでは駄目だ。

 強い危機感が、リージェリアの胸に深く刻まれた。

 それから数日後。側妃との謁見、顔合わせの時間が設けられた。儀礼的に挨拶を交わす。政務に関しても、側妃・セレイナが執り行うことの説明をうけるが、分からない『フリ』理解できない『フリ』をする。

 そんな事務的なやり取りを終えた。

 短いやり取りではあったが、リージェリアにとって彼女の存在が、やはり脅威的であることを確認するだけの時間となった。

(毒芽は早く、摘まないと……)
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

嘘をありがとう

七辻ゆゆ
恋愛
「まあ、なんて図々しいのでしょう」 おっとりとしていたはずの妻は、辛辣に言った。 「要するにあなた、貴族でいるために政略結婚はする。けれど女とは別れられない、ということですのね?」 妻は言う。女と別れなくてもいい、仕事と嘘をついて会いに行ってもいい。けれど。 「必ず私のところに帰ってきて、子どもをつくり、よい夫、よい父として振る舞いなさい。神に嘘をついたのだから、覚悟を決めて、その嘘を突き通しなさいませ」

【完結】さよならのかわりに

たろ
恋愛
大好きな婚約者に最後のプレゼントを用意した。それは婚約解消すること。 だからわたしは悪女になります。 彼を自由にさせてあげたかった。 彼には愛する人と幸せになって欲しかった。 わたくしのことなど忘れて欲しかった。 だってわたくしはもうすぐ死ぬのだから。 さよならのかわりに……

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
【3月中――完結!】 積み上がった伏線の回収目前!! 夫にも子どもにも、私は選ばれなかった。 長年の裏切りを抱え、離縁状を置いて家を出た――。 待っていたのは、凍てつく絶望。 けれど同時に、それは残酷な運命の扉が開く瞬間でもあった。 「夫は愛人と生きればいい。  今さら縋られても、裏切ったあなたを許す力など残っていない」 それでも私は誓う―― 「子どもたちの心だけは、必ず取り戻す」 歪で、完全な幸福――それとも、破滅。 “石”に翻弄された者たちの、狂おしい物語。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

完結 殿下、婚姻前から愛人ですか? 

ヴァンドール
恋愛
婚姻前から愛人のいる王子に嫁げと王命が降る、執務は全て私達皆んなに押し付け、王子は今日も愛人と観劇ですか? どうぞお好きに。

処理中です...