偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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68 大聖堂 ーChapter セレイナ

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 伯爵邸の玄関先には、両親が姿勢を正して控えていた。

 エリオスの馬車が到着すると、伯爵夫妻は深く頭を下げたまま動かない。王子が降り立ち、声をかけるまで顔を上げることはしない。
 先日とは違い、伯爵夫妻もセレイナと会えて余裕が生まれたのか、今日はしっかりと臣下の礼を取っていた。

「顔を上げてくれ」

 エリオスの言葉に、ようやく両親が顔を上げる。

「エリオス殿下。本日は、娘のために足をお運びいただき、恐悦に存じます」

 それでも、父の声は硬かった。普段は商談で鳴らす伯爵も、やはり王子の前では緊張を隠せない。

「堅苦しいのは抜きにしてくれ。セレイナ、準備はいいか」

「はい」

 セレイナは両親に向き直り、深く頭を下げた。

「行ってまいります」

 母がセレイナに一歩近づき、小さな声で囁いた。

「もしお許しいただけるなら……王后陛下に、ご挨拶をお伝えしてもらえたら嬉しいわ。エルグレン伯爵家が、娘共々お目通りを賜りましたこと、光栄に存じますと」

 それが精一杯だった。王家に対して、それ以上のことは言えない。娘がどれほど辛い目に遭ったとしても、王族は王族なのだ。

「はい、お母様」

 セレイナは小さく頷いた。

 父は何も言わなかった。ただ、娘の顔をじっと見つめている。

 セレイナはエリオスに促され、馬車に乗り込んだ。隣にはガレーニャ、向かいにはエリオスとオクターブが腰を下ろす。
 ゆっくりと回りだした車輪が僅かに軋む。セレイナが馬車の窓越しに振り返ると、玄関先で頭を下げ続ける両親の姿が、距離とともに小さくなっていった。

「不安……か?」

 エリオスの声に、セレイナは視線を戻した。

「いいえ。不安は……でも、緊張はしています」

「無理もない。だが、心配するな。母上は、お前を責めるために会うのではない」

「はい。それは、わかっております」

 頭ではわかっている。けれど、王后陛下にお目通りするのだ。この国で最も高貴な女性に。自分のような者が、直接お会いできること自体が畏れ多い。緊張するなという方が無理だった。

「セレイナ様」

 ガレーニャが、そっと手を重ねてきた。

「大丈夫ですよ。私もおりますから」

「ガレーニャ……ありがとう」

 ガレーニャの手は温かかった。その温もりが、緊張で張り詰めた気持ちを溶かしていってくれる。

 馬車は王都の街並みを抜け、大聖堂へと向かっていた。




 大聖堂は、王都の中心部にそびえている。高く伸びた尖塔と、重い石を積み上げた外壁が特徴の、静かで荘厳な建物だ。尖塔の先には、太陽を受けて輝く聖印が掲げられていた。

 馬車が大聖堂の前で止まる。御者が扉を開けると、エリオスが先に降り、セレイナに手を差し伸べた。

「行くぞ」

「はい」

 セレイナはその手を取り、馬車を降りた。

 大聖堂の入り口には、数人の神父たちが控えていた。一行を見ると、深く頭を下げる。

「エリオス殿下、お待ちしておりました。王后陛下は、奥の部屋でお待ちです」

「案内を頼む」

 一行は大聖堂の中へ入った。

 ひんやりとした空気が、セレイナの肌を撫でる。高い天井から差し込む彩色光が、床に色とりどりの模様を描いていた。静謐な空間に、足音だけが響く。

 長い廊下を歩き、いくつかの扉を過ぎる。やがて、突き当たりの部屋の前で侍従が立ち止まった。

「こちらでございます」

 セレイナは深呼吸をした。心臓がまだ速く打っている。けれど、自分で会うと決めたのだ。ここから逃げ出すわけにはいかない。これからも前を向いて歩いていくために。

 
 侍従が扉を開けた。

 エリオスが先に入り、続いてセレイナ、ガレーニャが入室した。オクターブは扉の傍に控える。
 
 部屋は思っていたより小さかった。窓から柔らかな光が差し込み、簡素だが品のある調度品が置かれている。中央には小さなテーブルと椅子がいくつか並んでいた。

 そして、その椅子の一つに、王后エリザベルナが座っていた。傍らには、侍女長らしき女性が控えている。

 セレイナは部屋の入り口で立ち止まり、カートゥシーを披露する。

「王后陛下。本日はお目にかかれて、恐悦至極に存じます」

「顔を上げて、セレイナさん」

 柔らかな声だった。

 セレイナが顔を上げると、エリザベルナが微笑んでいた。その目は優しく、そしてどこか憂いを帯びていた。

「こちらへいらしてくださいね。さぁ、座って」

「はい」

 セレイナは促されるまま、向かいの椅子に腰を下ろした。テーブルを挟んで、王后と向き合う。

 近くで見るエリザベルナは、とても美しい人だった。年齢を重ねてなお、気品と優雅さを失っていない。金色の髪は艶やかでありながらも、きっちりと結い上げられ、深い青の瞳が静かにセレイナを見つめている。

「初めまして、セレイナさん」

「はい……。お初にお目にかかります。家の者も、このようにお目通り叶いましたことを光栄に思っております旨を、伝えて欲しいと申しておりました」

「そうなのね。ありがとう、ご伝言確かに受け取りました。そして……セレイナさん。エリオスから話は聞いていたけれど、こうして実際に会えて、安心したわ」

 エリザベルナの声は穏やかだった。責めるような響きは、どこにもない。

「王后陛下……」

「まずは、貴方に謝罪を」

 エリザベルナが、すっと背筋を伸ばした。

「貴方には、本当に申し訳ないことをしたわ。王家に嫁いでくださったのに、あのような目に遭わせてしまって。私たちの監督が行き届かなかったせいで、あなたを傷つけてしまった」

「王后陛下、そんな……」

「いいえ、これは王后としては勿論だけれども、母として、そして何より一人の女性として。貴方に対して、心の底から、申し訳ないことをしたと思っているわ。勿論、国王陛下も同じ気持ちよ」

 セレイナは静かに答えた。

「ありがとうございます、王后陛下。おかげさまで、周りの方々に支えていただきながら、穏やかに過ごしております」

「そう……よかった……わたくしたちは、あなたに恨まれても仕方がないと思っていたの。こちらの勝手で嫁いでもらい、傷つけ、揚げ句……酷い目にあわせてしまいました」

「王后陛下……」

「それなのに、こうしてお会いしてくださって。本当に、ありがとう」

「恨みなど、ございません。ですから……どうかもう、お気遣いは今、十分すぎるほどに頂きました」

 エリザベルナが立ち上がり、テーブルを回ってセレイナの傍に来た。そして、その手をそっと取った。

「私に何かできることがあれば、遠慮なく言ってちょうだい」

 セレイナは、王后の手を握り返した。

 温かい手だった。

「ありがとうございます、王后陛下」

 エリザベルナの目が、微かに潤んだように見えた。その整った口元には、柔らかな笑みを浮かべていた。

「強い方ね、あなたは」

「いいえ。支えてくださる方々がいるから、そう見えるだけです」

「そう。でも、支えを受け入れられることも、強さよ」

 それから、東辺境での暮らしの事など、他愛もない話を重ねた。そうしているうちに、半刻という時間は、あっという間に過ぎていた。

 だが、それでセレイナもエリザベルナも充分であった。伝えたいことは伝えられた。受け取りたいものは受け取れた。

 謁見の終わる時刻になり、その知らせを聞いたセレイナは、椅子から立ち上がると深く頭を下げた。

「本日は、お時間をいただきありがとうございました」

「こちらこそ。会えてよかったわ、セレイナさん」

 エリザベルナが微笑む。その笑顔は、最初に見た時よりも、どこか晴れやかに見えた。エリザベルナは「本当にお会いできてよかった」とそう呟き、セレイナの傍に再び来ると、身体をふわりと包み込んだ。セレイナの鼻腔に、王后としての気品と女性としての優雅さが漂う、清廉な香りが仄かに残った。

 謁見はそこで終了し、最後の挨拶を終えるとそのままエリザベルナは、連れてきた侍女長を伴いその場を辞した。

 二人を見届けた後にエリオスが

「まだ夕刻までには、時間がある。久方ぶりに王都で買い物でもしていかないか?」

 と、ぶっきらぼうにセレイナへ提案をする。

「それはいいですね!」

 ガレーニャもその話に乗り、オクターブも「では、そう致しましょう」と、足を扉の方へ向けた。

「あっ、でも、司教様にお礼を申しませんと」

 慌てたようにセレイナが言うと、エリオスは頷いた。

「ああ、そうだな。案内してもらおう」
 
 オクターブが神父の一人に声をかけ、案内に従い一行は司教のもとへ向かった。
 大聖堂の奥にある執務室で、白髪の司教が穏やかな笑顔で迎えてくれた。

「本日は場所をお貸しいただき、ありがとうございました」
 
 セレイナが頭を下げると、司教は優しく微笑んだ。

「いいえ。先ほど畏れ多くも王后陛下からも、謝辞のお言葉を頂いております。皆さまのお役に立てたのであれば、何よりでございます。どうぞ、また何かあればいつでもいらしてください」



 
 大聖堂を後にすると、夏の日差しが眩しかった。

「さて、どこへ行く?」
 
 エリオスが尋ねる。セレイナは少し考えた。

「私は……特に行きたい場所があるわけではないのですけれど」

「では、中央広場の方へ行きましょう」
 
 オクターブが提案した。

「あの辺りは店が多いですし、見て歩くだけでも楽しいですよ」

「そうだな。馬車は置いていく。歩いて回ろう」
 
 エリオスの言葉に、オクターブの目が僅かに真剣になる。

「御者には、夕刻にここへ戻るよう伝えておきます。が、殿下。御尊顔をお隠しになってください。お忍びにも程がありますから。暴漢などに襲われては……」

 オクターブが訥々と小言を重ねている声を、エリオスが遮った。

「わかった、わかった。もういい。暴漢など十人ほどなら、問題ないんだがな……」

「そういう問題ではございません」

「そういう問題だ」

 エリオスとオクターブのやり取りに、セレイナとガレーニャはいつもそうするように、顔を見合わせて小さく笑い声を零していた。
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