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95 最後の証人~東方国境街道 ーChapter エリオス
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関所を抜けた先に、小さな宿駅が数件建っていた。
石造りの古い建物が連なり、軒先には馬が数頭繋がれている。そのうちのひとつの軒先に入ると、眠そうな駅吏が欠伸をかみ殺しながら、馬場の横にある机で帳簿に何やら書き記していた。
「馬を三頭、借りたいんだが」
シリルの声に、駅吏は顔を上げた。
「一頭、金貨一枚と銀貨五枚だ」
値段を告げられ、エリオスがそれに頷くと、オクターブが三人分の金を払う。
出された金貨銀貨を確認した駅吏は椅子から立ち、馬の傍まで歩いていくと「ほらよ」と言う言葉と共に、手綱を差し出した。
馬を借りて再び走り出す頃には、陽はとうに辺りを明るく照らしていた。
ナルヴァ東部の街道は、川に沿って続いていた。川霧が薄く漂い、ところどころに砦と徴税所がある。商人たちの荷馬車が列をなし、兵士たちが無言で往来を監視していた。
スパイスや香油、粉砂糖や土交じりの風。雑種多様な匂いがする。
鼻腔だけではなく、肌に触れ、目に映る。混じり合った色と音と匂いが、この土地が国境であることを示していた。
「この道は東方国境街道と呼ばれています」
馬を並べて走りながら、シリルが言った。
「ナルヴァの東端と東方の国を結ぶ、唯一の陸路です」
「第三国へ逃げ込まれたら」
「追うのが難しくなるでしょうね。国が違えば、なかなか手が届かない」
エリオスは、焦る気持ちを抑えるかのように、馬の腹を軽く蹴った。
国境沿いの道は、逃亡者にとって最も都合が良く、追う者にとっては時間との勝負になる場所だった。
朝霧がまだ僅かに残る中を、三人は北東へと駆けた。
☆
国境街道を走るにつれ、景色はゆっくりと変わっていった。
道の脇に続いていた石垣や荷置き場は次第に姿を消し、赤茶けた粉塵も風に流されて薄くなる。代わりに、色の褪せた草地が広がり、土の色は灰から淡い黄土へと変わっていった。
夏のはずなのに、風が頬に触れるとわずかに冷たく、日が沈む頃、中継地点の小さな宿に辿り着いた。
厩舎に馬を預け、部屋を取る。
荷物を置いてすぐ、三人は隣接している食堂へ向かった。
夕餉時の食堂は、それなりに賑わっていた。
身に纏う服装の変化はあれど、街道の宿・酒場とはどこも似たりよったりなのだろう。農夫らしき男たちが酒を酌み交わし、商人風の者たちが帳簿を広げ、談義を交わしている。
三人は喧騒の中、酒場の最奥の席を選んで腰を下ろした。
「何か適当なものと、エール酒を」
シリルが給仕に声をかける。給仕は頷いて奥へ消えていった。
料理が運ばれてくるまで、言葉は交わさなかった。周囲の耳を気にしてのことだ。
やがてそれぞれの前に、溶かしたスマレツを塗った黒パン、鶏肉の香草焼き、根菜がゴロゴロと入ったスープ、そしてエール酒が並んだ。給仕が離れていくのを確認してから、シリルが声を落とした。
「夜明け前にここを発てば、明日の午後過ぎに目的の街に着けるはずです」
「ああ」
「そこでミネルバ・アルサを探すわけですが……どう当たりましょうか」
エリオスはエール酒を、一口含み喉を潤す。
そのあとふっと一息つくと、黒パンをちぎりながら、シリルに問いかけた。
「貴殿の情報網では、どこまで掴めている?」
「国境を越える手前で、足が止まったところまでは。逃走資金が尽きたのでしょう。偽造の身分証はかなり高価だ。それを買う余裕もないはずです」
「潜伏するには、食と寝床がいる。そして人は生きていれば、必ず何らかの痕跡が残ってしまうものだ」
オクターブが低い声で、エリオスの話を継いだ。
「身分証なし、身寄りなしで受け入れてくれる場所は限られますね」
「教会か、宿駅か、飯場か……もしくは安娼館か。その辺だろうな」
シリルが頷く。オクターブは、スープを掬っていたスプーンを一旦止め、皿を見つめたままで話を続けた。
「しかし殿下、ひとつ気になることが」
「何だ?」
「ナルヴァも彼女を探していたはずです。他の三人は見つけて口を封じた。なのに、なぜミネルバだけ見つけられなかったのか。偽名をつかってたにしろ、シリルが足取りをつかめたように、ナルヴァの者たちもある程度は掴めたはずです」
確かにそうだ。ナルヴァは証人を消しにかかっていた。例に漏れず、最後の官女も探していたはずだ。それなのに、ミネルバだけが生き延びている。
「……女を探していたからか」
ふと、そんな考えが浮かび、エリオスの口から言葉が落ちる。
食事をする手を休めずに聞いていた、シリルとオクターブが顔を上げる。
「女の逃亡者を探していた。宿帳を調べ、女の旅人を洗い出し、国境の出入りを確認した。だが、見つからなかった」
「つまり……」
「男装している可能性がある」
シリルが大きく頷くと、杯に残っていたエール酒を飲む。
「なるほど。身元不明の女は目立つ。だが、男に見えれば、宿駅の裏方や、食堂などの下働きとして紛れ込める」
「短期雇用なら帳簿に名前も残らん。捜索対象から外れる」
オクターブも頷いた。
「それなら、探すべきは女ではなく……」
「ああ。身元不明の若い男だ。小柄で、言葉遣いが丁寧で、手が荒れていない。そういう特徴の者を探す。教会は、身を寄せられるが、稼ぎにはならんだろう。身分証を買いたいならば、金が要る。探す場所は限られてくるな」
シリルがエール酒を置いた。
「宿駅から当たりましょう。国境沿いの街なら、宿駅がいくつもあるはずです」
「手分けするか」
「いえ、三人で動いた方がいい。見つけた時に一人では押さえられないかもしれません。追い詰められた人間は、何をするかわかりませんから」
確かにそうだ。他の三人が口封じされたことを知っていれば、なおさら必死で逃げようとするだろう。
「では、明日。街に着いたら、すぐに動こう」
エリオスは、スープの中の大きな根菜をフォークで割り、口に運んだ。
明日、決着を付ける。
セレイナを傷つけた者たちの罪を証言できる、最後の証人。
何としても見つけ出す。
石造りの古い建物が連なり、軒先には馬が数頭繋がれている。そのうちのひとつの軒先に入ると、眠そうな駅吏が欠伸をかみ殺しながら、馬場の横にある机で帳簿に何やら書き記していた。
「馬を三頭、借りたいんだが」
シリルの声に、駅吏は顔を上げた。
「一頭、金貨一枚と銀貨五枚だ」
値段を告げられ、エリオスがそれに頷くと、オクターブが三人分の金を払う。
出された金貨銀貨を確認した駅吏は椅子から立ち、馬の傍まで歩いていくと「ほらよ」と言う言葉と共に、手綱を差し出した。
馬を借りて再び走り出す頃には、陽はとうに辺りを明るく照らしていた。
ナルヴァ東部の街道は、川に沿って続いていた。川霧が薄く漂い、ところどころに砦と徴税所がある。商人たちの荷馬車が列をなし、兵士たちが無言で往来を監視していた。
スパイスや香油、粉砂糖や土交じりの風。雑種多様な匂いがする。
鼻腔だけではなく、肌に触れ、目に映る。混じり合った色と音と匂いが、この土地が国境であることを示していた。
「この道は東方国境街道と呼ばれています」
馬を並べて走りながら、シリルが言った。
「ナルヴァの東端と東方の国を結ぶ、唯一の陸路です」
「第三国へ逃げ込まれたら」
「追うのが難しくなるでしょうね。国が違えば、なかなか手が届かない」
エリオスは、焦る気持ちを抑えるかのように、馬の腹を軽く蹴った。
国境沿いの道は、逃亡者にとって最も都合が良く、追う者にとっては時間との勝負になる場所だった。
朝霧がまだ僅かに残る中を、三人は北東へと駆けた。
☆
国境街道を走るにつれ、景色はゆっくりと変わっていった。
道の脇に続いていた石垣や荷置き場は次第に姿を消し、赤茶けた粉塵も風に流されて薄くなる。代わりに、色の褪せた草地が広がり、土の色は灰から淡い黄土へと変わっていった。
夏のはずなのに、風が頬に触れるとわずかに冷たく、日が沈む頃、中継地点の小さな宿に辿り着いた。
厩舎に馬を預け、部屋を取る。
荷物を置いてすぐ、三人は隣接している食堂へ向かった。
夕餉時の食堂は、それなりに賑わっていた。
身に纏う服装の変化はあれど、街道の宿・酒場とはどこも似たりよったりなのだろう。農夫らしき男たちが酒を酌み交わし、商人風の者たちが帳簿を広げ、談義を交わしている。
三人は喧騒の中、酒場の最奥の席を選んで腰を下ろした。
「何か適当なものと、エール酒を」
シリルが給仕に声をかける。給仕は頷いて奥へ消えていった。
料理が運ばれてくるまで、言葉は交わさなかった。周囲の耳を気にしてのことだ。
やがてそれぞれの前に、溶かしたスマレツを塗った黒パン、鶏肉の香草焼き、根菜がゴロゴロと入ったスープ、そしてエール酒が並んだ。給仕が離れていくのを確認してから、シリルが声を落とした。
「夜明け前にここを発てば、明日の午後過ぎに目的の街に着けるはずです」
「ああ」
「そこでミネルバ・アルサを探すわけですが……どう当たりましょうか」
エリオスはエール酒を、一口含み喉を潤す。
そのあとふっと一息つくと、黒パンをちぎりながら、シリルに問いかけた。
「貴殿の情報網では、どこまで掴めている?」
「国境を越える手前で、足が止まったところまでは。逃走資金が尽きたのでしょう。偽造の身分証はかなり高価だ。それを買う余裕もないはずです」
「潜伏するには、食と寝床がいる。そして人は生きていれば、必ず何らかの痕跡が残ってしまうものだ」
オクターブが低い声で、エリオスの話を継いだ。
「身分証なし、身寄りなしで受け入れてくれる場所は限られますね」
「教会か、宿駅か、飯場か……もしくは安娼館か。その辺だろうな」
シリルが頷く。オクターブは、スープを掬っていたスプーンを一旦止め、皿を見つめたままで話を続けた。
「しかし殿下、ひとつ気になることが」
「何だ?」
「ナルヴァも彼女を探していたはずです。他の三人は見つけて口を封じた。なのに、なぜミネルバだけ見つけられなかったのか。偽名をつかってたにしろ、シリルが足取りをつかめたように、ナルヴァの者たちもある程度は掴めたはずです」
確かにそうだ。ナルヴァは証人を消しにかかっていた。例に漏れず、最後の官女も探していたはずだ。それなのに、ミネルバだけが生き延びている。
「……女を探していたからか」
ふと、そんな考えが浮かび、エリオスの口から言葉が落ちる。
食事をする手を休めずに聞いていた、シリルとオクターブが顔を上げる。
「女の逃亡者を探していた。宿帳を調べ、女の旅人を洗い出し、国境の出入りを確認した。だが、見つからなかった」
「つまり……」
「男装している可能性がある」
シリルが大きく頷くと、杯に残っていたエール酒を飲む。
「なるほど。身元不明の女は目立つ。だが、男に見えれば、宿駅の裏方や、食堂などの下働きとして紛れ込める」
「短期雇用なら帳簿に名前も残らん。捜索対象から外れる」
オクターブも頷いた。
「それなら、探すべきは女ではなく……」
「ああ。身元不明の若い男だ。小柄で、言葉遣いが丁寧で、手が荒れていない。そういう特徴の者を探す。教会は、身を寄せられるが、稼ぎにはならんだろう。身分証を買いたいならば、金が要る。探す場所は限られてくるな」
シリルがエール酒を置いた。
「宿駅から当たりましょう。国境沿いの街なら、宿駅がいくつもあるはずです」
「手分けするか」
「いえ、三人で動いた方がいい。見つけた時に一人では押さえられないかもしれません。追い詰められた人間は、何をするかわかりませんから」
確かにそうだ。他の三人が口封じされたことを知っていれば、なおさら必死で逃げようとするだろう。
「では、明日。街に着いたら、すぐに動こう」
エリオスは、スープの中の大きな根菜をフォークで割り、口に運んだ。
明日、決着を付ける。
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