偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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96 最後の証人~ミネルバ・アルサ ーChapter エリオス

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 翌日のまだ夜が明ける前。
 暁の明星が、黒い空の中でひと際、強く輝いている時刻。

 宿を出て、裏手側にある宿駅で馬を乗り換えた一行は、そのまま目的地へと駆けた。

 途中で水分を取るために小休憩は挟んだが、延々と馬を走らせる。

 そして、丁度午後を過ぎた頃、目的の街が見えてきた。

 国境の街は、川沿いの街道を進んだ草原地帯の先に広がっていた。
 鉱山帯の乾いた風景はもう遠く、ここでは川霧が薄く漂い、空気に湿り気がある。
 微かに鼻腔の中に、潮の香りも運んできた。

 同じ街道の続きなのに、石畳の並べ方が変わり、道幅も少し狭くなる。荷車の列ができ、通行税を払うための小屋がいくつも並んでいる。

 通貨が混ざりあうのだろう、看板には二つの言語が併記されていた。
 
 東の国境沿いの街は、想像していたよりも雑然としていた。
 様々な言葉が飛び交い、客引きの声が重なり合う。

 物価が安いのだろう。粗末な身なりの者たちが多い一方で、商人風の者たちは派手な装飾品を身につけている。貧富の差が、そのまま街の景色に表れていた。

 馬を宿駅に預け、三人は街の中へ足を踏み入れた。

「雑多だな」

「国境の街は、どこもこんなものです。様々な国から人が集まり、様々なものが売り買いされる。身元を問われない代わりに、何が起きても自己責任です」

 シリルが周囲を見回し、鞄の紐を肩に掛け直す。

「逃亡者には都合がいいのです」

「ああ。だが、見つけにくいということでもあるな」

 オクターブが眉をひそめた。

「この人混みの中から一人を探し出すのは、容易ではありませんね」

「まずは、宿駅を当たる。潜伏するなら、どこかで働いているはずだ」

 馬を預けた最初の宿駅は、街の入口近くにあった。三人はまず、そこの駅吏に声をかけ、身元不明の若い男か女、どちらか知らないかと尋ねる。だが、心当たりはないと首を振られた。

 二つ目の宿駅でも、同様だった。

 三つ目。四つ目。どこも同じ答えが返ってくる。

 日が傾き始めた頃、街の外れにある小さな宿駅に辿り着いた。

 他の宿駅に比べると、随分と寂れている。壁は煤けて、看板の文字も半分消えかかっていた。

 中に入ると、年老いた駅吏が帳簿を捲っている。

「すまない、少し聞きたいことがある」

 シリルが声をかけると、駅吏の爺さんは顔を上げ、三人を胡散臭そうに見た。

「なんじゃい」

「ここで働いている者の中に、身元不明の若い男、もしくは女はいないか。小柄で、言葉遣いが整っていて、一定の教養もある」

 駅吏の爺さんの目が、僅かに揺れ動く。

「……さあなぁ。わしゃ知らんがね」

 嘘だ。エリオスは直感した。この男は、何かを知っている。

「いるんだな?」

「だから知らんと……」

「俺たちは、その者を傷つけるつもりはない。ただ話がしたいだけだ」

 駅吏の爺さんは黙り込み、三人の顔をゆっくりと見比べた。
 エリオスたちの服装は平民のものだが、そこに漂う気品と威圧感は隠せない。爺さんは、長年いろいろな身分の者を見てきたのだろう。
 細められた目が、ここで知らぬふりを決め込むのは得策ではないと、雄弁に語っていた。

 やがて、観念したように爺さんは、大きく息を吐いた。

「本当に話すだけじゃろな?」

「もちろんだ」

「……裏手の馬小屋におる。今、馬の世話をしてるはずじゃ」

「感謝する」

 エリオスは爺さんに、金貨を一枚握らせた。

 言われた通り裏手に回ると、古びた馬小屋が見えた。中から藁を掻く、ガシャッ、ガシャッと言う音が聞こえてくる。

 錆びた蝶番が取れかかっている、色褪せ灰色に変色した木の扉の影に立ち、小屋の中に目をやる。

 薄暗い馬小屋の中に、人影があった。小柄な体躯に、首上まで短く切られた赤茶髪。男物の服を着ているが、その仕草や体の線には、どこか女の気配が残っていた。

 エリオスは一歩、中へ踏み込んだ。

「ミネルバ・アルサ」

 名前を呼んだ。

 その瞬間、相手の肩が大きく震えた。手にしていた熊手が、藁の上に落ちる。

「……誰」

 振り向いた顔は、恐怖に引きつっていた。声を低くしようとしているが、無理がある。

「ウィンターから来た。お前を探していた」

 エリオスの静かな低い声を聞き、ミネルバの顔から血の気が引いていく。後ずさりしようとするが、背後にはオクターブが回り込んでいた。シリルが入口を塞いでいる。逃げ場はない。

「殺しに来たわけじゃない」

「嘘よ……」

「他の三人がどうなったか、知っているだろ?」

 ミネルバの体が、びくりと震えた。

「病死、事故死、遺体で発見。全部口封じだ。ナルヴァ国がやった。お前だけが生き残っている。それがどういうことか、言わずともわかるだろ」

「私は……私は何も……」

「リージェリア王太子妃の元官女、ミネルバ・アルサ。セレイナ妃に毒を盛っていたな?」

 後ずさるミネルバの足が止まった。もう逃げる気力も残っていないようだった。

「選べ」

 エリオスはさらに一歩、ミネルバに詰め寄った。その目の鋭さを隠すこともせず、低く力強い声で、彼女に言い放つ。

「俺たちと一緒にウィンターへ来て、全てを証言するか。それとも、ここで死を待つか」

「ウィンターへ行ったところで……処刑されるだけ……でしょう?」

「少なくとも、ナルヴァ国の手は届かない。証言すれば、命は保証する。ウィンターの極刑は、何も命を取ることだけではない」

 それを聞いたミネルバは、押し黙った。

 馬小屋の中に、静かな時間が訪れる。それは、危険なほどに緊張感が漂うものだった。その後ろで何も知らない馬たちが、鼻を鳴らす音だけが妙に大きく聞こえる。

 やがて、ミネルバの肩から力が抜けた。

「……わか、りました」

 その声は、もう男を装ってはいなかった。

「証言を……全部、お話、致します」

 藁の上に崩れ落ちたミネルバを、エリオスは何も言わずに見下ろしていた。

 ミネルバの口から嗚咽が漏れ、肩が小刻みに震えわせていたが、そのうちに、震えが収まっていった。顔を覆っていた手が、ゆっくりと下がる。

 そしてエリオスを見上げたミネルバは、ゆっくりと小さく呟くように、囁くような声で話し出した。

「……ひとつだけ、お願いがございます」

「何だ、言ってみろ」

「私が借りている部屋に、お連れいただけませんか。お見せしたいものがあるのです」

「見せたいもの?」

「証拠になるものを……持っております」

 シリルと目を合わせた。小さく頷きが返ってくる。

「案内しろ」

 ミネルバはふらつきながら立ち上がり、馬小屋を出た。その後に続く。

 街の外れにある、古びた下宿屋だった。壁の漆喰は剥げ、窓枠は歪んでいる。狭い階段を上がり、突き当たりの部屋の前でミネルバが足を止めた。

「こちらです」

 扉を開けると、狭い部屋が現れた。粗末なベッドと、小さな卓と椅子。それだけの簡素な部屋。窓から差し込む夕日の筋の中を、白い埃がゆっくりと舞っていた。

 ミネルバはベッドの側に膝をつき、その下に手を伸ばした。引きずり出されたのは、小さな木箱。錆びた鍵がついている。

 震える指で鍵を開け、蓋を持ち上げると、中には小さな瓶が横たわっていた。

「……これは」

「あの御方から、渡された薬でございます」

 瓶を取り出し、両手で捧げるようにエリオスへ差し出した。

「私が毎日、セレイナ妃殿下のお食事に入れていたものでございます。……捨てることができませんでした。もしもの時の、最後の……」

 ミネルバの言葉が途切れた。

 エリオスが、彼女の手から瓶を受け取る。掌の中で赤鈍色の瓶の中の液体が、僅かに揺れた。

 これが。

 セレイナを蝕んでいたもの。

 指先に力が籠ってゆく。握り潰してしまいたい衝動を、かろうじて押さえる。
 だが、やっと。やっとだ。確実な証人と証言を手に入れたのだ。

 怒りと達成と焦燥。様々な感情がエリオスの胸の内から一気に湧き上がってくる。

「……よく、持っていた」

 エリオスの背後で、シリルが息を呑む気配がした。振り返らなくても、その表情は想像できた。妹を傷つけた実行犯が、目の前にいる。怒りを押し殺しているのだろう。

「支度をしろ。ウィンターへ戻るぞ」

 全てを押し殺し、飲み込んだエリオスは、周りへそう声を掛けた。

 その声に、ミネルバは深く頭を下げた。
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