偽りの愛 ー 真実かどうかなんて、なぜわかるのでしょうか

苺 迷音

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102 覚醒 ーChapter セレイナ

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 セレイナが目を覚ましたのは、バザーの翌日、午後の半ば頃だった。

 窓から零れている僅かな陽光の角度で、だいたいの時刻は推測できた。
 伯爵邸の自室のいつもの天井。だが、なぜ自分がここにいるのか、セレイナには分からなかった。

 次に気づいたのは右側の顔に違和感。熱を持ったような、ひりひりとした痛み。手を伸ばすと、包帯の感触がある。

「お気づきになりましたか」

 傍らの椅子に、ガレーニャが座っていた。普段は身に着けていない白衣に、どうしたのだろうか?と思う。薄っすら目に映るそれは皺が寄り、眼鏡の奥の目は充血している。いつもであれば、きっちりと括られている深い茶髪が乱れている。随分と眠っていないだろうか。そう、セレイナはぼんやりと考える。

 そして、次にセレイナは、自身の記憶を辿った。
 バザーに行った。大聖堂の広場だった。母とガレーニャと出店して。早々に売り切れた天使の靴下。その後、母から離れ、皆で人混みの中を歩いていて。誰かとすれ違った。その瞬間、顔に冷たく熱いものがかかった。そこで記憶は途切れている。

「何が、あったの?」

 セレイナは、ゆっくりとガレーニャの方へ再び視線をやり、そこでやっと声を出す。

「覚えていらっしゃいませんか」

「わからない。何か……顔に、かけられたような気がする」

 ガレーニャの憔悴していながらも、柔らかくセレイナを見ていた表情が強張り、厳しさを含むものとなった。

「薬品です。酸性の……多分硝酸の可能性が。何者かが、それを顔にかけたと思われます」

 酸。

 その言葉の意味を、頭が理解するのに時間がかかった。
 セレイナは黙って右手を上げ、包帯に触れた。布の下で、皮膚が腫れているのが分かる。

「……見たい」

 セレイナは寝台の上で身を起こした。

「鏡を見せて」

「セレイナ様。今は負傷されたばかりですので、傷がまだ荒い状態です。もう少し落ち着かれてから」

「いいの。ちゃんと見たい」

 ガレーニャは一瞬躊躇したが、それ以上は何も言わなかった。椅子から立ち上がり、化粧台から手鏡を取る。その動作はゆっくりで、戻ってくる足取りも重そうに見えた。

 差し出された手鏡を受け取り、顔の前に掲げた。

 鏡を覗き込んだセレイナの表情が、凍りついた。

 右半分が包帯でぐるぐる巻きになっている。目の周りだけが僅かに空いており、そこから覗く右目だけが、かろうじて自分のものだと分かる。包帯の縁から僅か覗く横髪は焦げて縮れ、銀色の面影も無くなっていた。

「え?」

 声が漏れた。

 左手がゆっくりと上がり、包帯の上から右の頬に触れた。布越しでも、皮膚が腫れ上がっているのが分かる。指先を顎へ滑らせ、首元へと這わせていく。首筋にも、ざらついた感触があった。

「セレイナ様……」

 ガレーニャの声が聞こえた。

「大丈夫です。必ず治癒を――」

「いや……あぁっ、ああっ! いやあぁーーーっ!」

 手鏡が床に落ちた。ガシャン、と音が響いたが、セレイナの耳には届いていなかった。

「なんで……なんでなの……」

 言葉が勝手に口から溢れ出していた。

「なぜ……どうして……何もしてないのに……」

 涙が頬を伝い落ちた。左側だけ。右側は包帯に吸い込まれていく。両手で顔を覆おうとして、右側に触れられないことに気づいた。それがまた、現実を突きつけてくる。

「セレイナ様っ!」

 ガレーニャがベッドに身を乗り出し、セレイナを抱きしめた。
 その腕の中で、セレイナは声を上げて泣いた。体裁も矜持も、すべてがどうでもよくなっていた。

「必ず治癒します。必ず。私が、必ず……」


 どれほど泣いていただろうか。

 嗚咽が収まり、涙も枯れた頃、ガレーニャがそっと身体を離した。
 そのまま横に置いてある箱の中から何かを取り出す。その手には小さな瓶が握られていた。

「少し、眠られてください。気持ちが落ち着く薬です」

 セレイナは黙ってコクリと頷いた。差し出された薬を飲み込む。直後、意識がぼんやりとしてきて、瞼を開けているのが億劫になっていく。
 最後に見えたのは、ガレーニャの顔だった。眼鏡の奥の目が、赤く潤んでいた。

 そこで、セレイナの意識は途切れた。
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