【本編完結】星を継ぐ踊り子とスチールグレイの修復士~日誌に綴られた謎と、仄かな恋の旅

苺迷音

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「南……?」

 アリアがレンの顔と、光が指し示す地図上の点を交互に見つめる。

「ああ。この座標が示しているのは、大陸横断鉄道の南の終着点。かつて観測都市として栄え、今は珊瑚の海に沈みかけている環礁都市……『アストロラビウム』だ」

「アストロラビウム……」

 アリアがその名を舌の上で転がす。星盤の名を持つその都市は、今はもう古い文献にしか出てこないような、失われた文明が残る場所だった。

「準備をしてくれ。朝一番の列車に乗る」

 レンはそう言うと、手早く解析機を分解し始めた。

 アリアはそれに頷き、自分の荷物を纏めて

「じゃあ、明日ね。レン……ありがとう。おやすみなさい」

「おやすみ。……暖かくして寝るんだぞ」

 分解する手を休めることなく、顔はその作業を見つめたままでレンが応えた。

「うん、レンもね」

 アリアもそう声をかけると、自分に割り当てられた部屋に戻る。

 窓の外では、砂漠の夜風がまだ冷たく吹き荒れていたが、二人の胸には確かな熱が灯っていた。



 翌朝。砂漠の太陽が地平線から顔を出し、白茶けた街を焼き尽くすような陽光で満たし始めた頃、二人は既に駅の切符売り場に並んでいた。

 早朝だというのに、駅は水や物資を運ぶ労働者たちでごった返している。

 レンは窓口のガラス越しに、眠そうな駅員へ硬貨と身分証を滑らせた。

「南行き急行『南十字号』 二等寝台を二枚」

「南行き? 物好きなこった。あっちじゃ今頃、季節外れの台風が来てるって話だぞ」

 駅員はあくび交じりに言いながら、分厚い紙の切符に日付のスタンプを乱暴に押し、それを二枚カウンターに放った。レンはそれを受け取り、アリアに一枚を手渡す。そして、手元の革袋の財布を開き、中身を確認する。

 残っているのは、綺麗に折りたたんだ紙幣が数枚。加えて金貨二枚と、銀貨と銅貨併せて十数枚。

「……心もとないな」

 レンが独り言ちた。決して、蓄えがないわけではない。工房のある中央都市の銀行には、一流の修復士として積み上げてきた十分な預金がある。だが、その口座はこの辺境の地では使えない。

 北港での高額なレンズ代、ここまでの旅費、そして今の切符代。手持ちの現金は、この砂漠の乾燥した空気のように蒸発して消えかけている。この先、南へ着くまでの食費と宿代、そして不測の事態を考えると、この薄くなった財布はあまりに頼りなかった。

「発車までまだ一時間ある。食料と水を買うぞ。車内販売は高いからな」

 レンは財布をしまい、努めて平静を装って言った。
 どこかの大きな都市か街で、預金を下ろすか……そんなことを考えながら。

 二人は駅前の朝市へと向かった。

 市場は活気に満ちていた。香辛料の匂い、焼き立ての肉の香り。レンは慣れた足取りで露店を回り、保存の効く干し肉と、水筒を満たすための水を買った。彼の買い物は素早く、実用的だ。迷いがない。

「レン、ちょっと待って」

 アリアが足を止めたのは、果物を山積みにした小さな屋台の前だった。白茶けた砂漠の街で、そこだけが鮮やかな色彩を放っている。黄色い瓜に、無骨な皮に包まれた赤い果実。

「……ザクロ、買っていきましょう」 

「食べるのが面倒だぞ。種ばかりだしな」 

「でも、干し肉ばかりじゃ喉が渇くわ。それに、見て。この赤、すごく綺麗」

 アリアは熟れて割れかけたザクロをひとつ手に取り、愛おしそうに眺めた。
 その横顔を見て、レンは小さく息を吐き、財布を取り出そうとした。だが、アリアが先に自分の小銭入れから銅貨を取り出し、店主に渡していた。

「これは私の奢り。レンは実用的なもの担当、私は彩り担当ね」

 彼女は悪戯っぽく微笑み、紙袋に入れた果物をレンに見せた。ただの買い物だ。けれど、こうして役割分担をして、同じ目的のために物を選ぶという行為が、レンにはひどく新鮮だった。

 買い物を終えた二人は、駅のベンチで簡単な朝食を取ることにした。露店で買ったばかりの、羊肉を挟んだパン。湯気が立つそれを、並んで食べる。

 レンはパンを齧りながらも脳内で、今後の出費と手持ちの現金を計算していた。眉間に深い皺が寄る。

「……レン、難しい顔してる」

 隣でパンを食べていたアリアが、彼の顔を覗き込んだ。

「正直に言って。お財布、厳しいんでしょう?」

 図星を突かれ、レンは口ごもる。資産はあると言ったところで、今ここで使えなければ無いのと同じである。

「……中央の口座にはあるんだがな。ここじゃ引き出せない。手持ちの現金が……そうだな。壊れかけている」

「ふふ、やっぱり。着くまでの宿代や食事はどうするの? 野宿するわけにもいかないでしょう?」

 アリアは小さく笑うと、食べかけのパンを置いて、レンに向き直った。

「ねえ? じゃあ、こういうのはどう?」

 彼女はパンを握るレンの手の甲を、指先でトントンと叩いた。

「旅をしながら、あなたは修理、私は占術で稼ぐの。これでも私、ジプシーの端くれなんだから。稼ぐ手立てはしっかりと身に着けてるんだよ?」

 レンは目を丸くした。目の前にいるのは、一見すると深窓の令嬢のような儚げな美女だ。だが、その口から出たのは、余りに逞しい提案だった。

「……君が、稼ぐ?」

「そう。人の集まる広場や酒場で、星を見たりカードを引いたり。青鈍亭でだってそうやって職を得たのよ。それに、あなたのその腕。列車の中でも、壊れたものを直してほしい人なんていくらでもいるわ」

 アリアは自信たっぷりに胸を張る。

「どう? 私とレンの『移動修復・占術店』悪くない商売だと思わない?」

 レンは呆気に取られ、やがて、堪えきれないように小さく吹き出した。

「……はは。移動修復・占術店、か」

「なんなら、踊ってもいいんだけど。青鈍亭の部屋に、衣装を置いてきちゃったのよね」

 そう言ったアリアは、微笑みながら肩を竦めた。

 持ち合わせがないなら稼げばいい。あまりに単純で、そして力強い解決策だ。しかも、その技術はあると自負していたはずだ。自分一人で背負い込み、彼女を守らなければと気負っていた自分が馬鹿らしくなる。彼女は守られるだけの存在じゃない。過酷な運命を生き抜いてきた、一人の気高い女性なのだ。

「悪くない。いや、最高の提案だ」

 レンが認めると、アリアは「でしょ?」と得意げに微笑んだ。

「交渉成立ね。じゃあ、これからの旅費は割り勘よ。よろしくね、相棒さん」

 彼女が差し出した手に、レンは自分の手を重ねた。ただの依頼人と請負人ではない。同じ目線で、同じ道を歩む相棒としての契約が、その朝のベンチで結ばれた気がした。

 レンは取り出した懐中時計の蓋を開け、時間を確認してからパチリと閉じ立ち上がる。

「よし。そろそろ時間だ」  

 ホームには、既に巨大な黒鉄の機関車が蒸気を上げて待機していた。蒸気の白煙が上がり、二人の髪を揺らし包む。

「行きましょう、レン」

 アリアが先に立ち、当然のようにレンが隣に来るのを待って歩き出す。レンは荷物を持ち直し、その横に並んだ。

 二人は列車に乗り込むと、指定された席へと荷物を置いた。
 
 レンとアリアの懐は軽いが、不思議と不安はなかった。テーブルの上には、アリアが買った赤いザクロがふたつ。砂漠の果実は、これから始まる賑やかな二人旅を予感させるように、ルビーのような色で転がっていた。
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