【本編完結】星を継ぐ踊り子とスチールグレイの修復士~日誌に綴られた謎と、仄かな恋の旅

苺迷音

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 やがて、長い汽笛が砂漠の空気を震わせた。  

 ガタン、と大きな衝撃と共に、車体が動き出す。

 窓の外を、駅の石造りの建物がゆっくりと後ろへ流れてゆく。速度が上がるにつれ、景色は建物から、見渡す限りの白い砂丘へと変わっていった。

 アリアは窓枠に頬杖をつき、その景色を見つめていた。

「……見て、レン。真っ白」

 彼女の言う通りだった。

 アッシュデューン特有の、塩を含んだ白い砂。それが朝日に照らされ、雪原のように眩しく輝いている。風紋が波のようにどこまでも続き、その上を陽炎が揺らめいていた。生命を拒絶するような、けれど息を呑むほどに美しい死の世界。

「昨日は、ここで終わると思っていたのに」

 アリアが窓ガラスに映る自分に向かって呟く。

「今は、通り過ぎていく景色のひとつになってる」

「通過点に過ぎなかったんだ。あの船も、この砂漠も」

 レンは向かいの席で、簡易なものではあったが、修理道具の手入れをしつつ答えた。だが、その視線は道具ではなく、窓の外の白さを追っていた。

 列車は、その白い海原を走り続けた。太陽が高くなるにつれ、車内の温度も上がってくる。二人は上着を脱ぎ、額の汗を拭った。

 変化が訪れたのは、そろそろ正午になりそうな頃だった。

 窓の外の白さが、徐々に濁り始めた。純白だった塩の砂が、赤茶けた土の色へと混じり合っていく。乾ききっていた大地に、ポツリポツリと低い潅木や、刺々しいサボテンのような植物が姿を見せ始めた。

 レンは窓を少しだけ開けた。途端、ゴウッという風切り音と共に、外気が流れ込んでくる。

「……匂いが、変わった」

 アリアが鼻先をひくつかせた。さっきまでの、喉が張り付くような乾いた塩の匂いではない。湿り気を帯びた、重たく、どこか甘い草の匂い。そして微かに混じる、水の気配。

「分水嶺を越えたんだ。ここから先は南の湿潤地帯に入る」

「湿潤……。じゃあ、もうあの乾いた風は吹かないのね」

「ああ。代わりに、海風が吹く」

 レンの言葉に、アリアは嬉しそうに目を細めた。

 風に煽られた彼女の金髪が、陽光を受けてキラキラと輝く。その表情は、砂漠で見た強張ったものから、年相応の女性の柔らかさを取り戻していた。

「海を見るのは、久しぶりだわ」

「アストロラビウムは、海の上に浮かぶような街だそうだ。満潮になれば、街の半分が水に浸かる」

「半分も? ふふ、靴が濡れちゃうわね」

 アリアは楽しげに笑い、それからふと、真剣な眼差しでレンを見た。彼女が席を立ち、レンの隣へと移動してくる。

「ねえ、レン」

 彼女の肩が、レンの腕に触れる。狭い個室のソファ席。寝台のベッドは個別に分かれているとはいえ、二人の距離は、呼吸が聞こえるほどに近い。

「どうして、ここまで付き合ってくれるの? この切符だって、決して安くはなかったはずなのに」

 レンは視線を逸らし、窓の外へ目を向けた。赤茶けた大地の上を、雲の影が走っていく。

「……乗りかかった船だからな。言っただろう? 俺は完璧に修復しなければ気が済まない。それに、アリア。君はどうやら、一人で買い物すると無駄なものまで買うだろ? ペテンに騙されかねない」

「それは否定できないわね」

 アリアはクスクスと笑い、そしてそっとレンの肩に頭を預けた。突然の重みと甘い香りに、レンの身体が強張る。

「ありがとう、レン。あなたがいてくれてよかった」

 アリアの手が、レンの膝の上に置かれた手に重ねられる。華奢な指先。だが、そこには確かな体温と、信頼の重みがあった。

「……少し、眠ってもいい? 昨日は、あまり眠れなかったから」

「ああ。次は給水塔のある駅まで止まらない。数時間は眠れる」

「うん……おやすみ、レン」

 すぐに、規則正しい寝息が聞こえ始めた。レンは身体がこわばったまま、動けなかった。道具を動かすことさえ躊躇われ、彼はただ、自分の肩に預けられたアリアの重みを感じていた。

 彼は動かせる方の手で上着を取り、そっと彼女の肩に掛けた。

 列車は南へ。

 白から赤へ、そして緑へと色を変える大地をひた走り、まだ見ぬ海を目指して進んでいく。
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