【本編完結】星を継ぐ踊り子とスチールグレイの修復士~日誌に綴られた謎と、仄かな恋の旅

苺迷音

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 南の玄関口、ポート・メリディアン。
 そこは、季節の針が止まったような場所だった。

 暦の上ではもうすぐ冬が訪れようとしているというのに、この街には色濃い夏の名残があった。
 レンガ造りの建物に降り注ぐ陽光は眩しく、肌を撫でる海風には湿った熱が含まれている。北の国境や、あの凍える砂漠の夜が嘘のように、世界は鮮やかな色彩と気怠い熱気が溢れている。

 レンとアリアは、波止場近くにあった宿で二部屋を取り、そのまま石畳の坂道を下りて街へと繰り出した。
 
 だが、数分も歩かないうちに、二人は額に汗を滲ませていた。

「……暑いわね」

 アリアが手でパタパタと顔を仰ぐ。
 無理もない。二人が着ているのは、北への逃避行と砂漠越えのために用意した厚手の外套や、目の詰まった生地の服だ。元々こちらに来る予定がなかった二人の服装は、この南国の陽気の中では、季節外れにもほどがあった。

「ああ。このままじゃ、船を探す前に干からびてミイラになるな」

 レンは首元のボタンを外し、苦笑した。そして、自分の懐、列車『南十字号』での稼ぎが入った財布を軽く叩いた。

「まずは服を整えよう。ここには軍資金がある」

「ええ、賛成! あの素敵な陳列窓に並べてあるドレス、気になっていたの」

 アリアが弾んだ声を上げ、レンの手を引いた。

 二人が入ったのは、大通りに面した一軒の洋品店だった。店内には、南国特有の薄手の麻や、涼しげなコットンの服が並んでいる。
 
 レンは実用性重視で、通気性の良い白の開襟シャツと、動きやすい薄手の濃紺色のズボンを選んだ。着替えて試着室から出ると、身体が羽のように軽い。

「お待たせ、レン」

 暫くすると、隣のカーテンが開き、着替えを終えたアリアが現れた。それを見たレンは思わず、動きを止めた。

 彼女が選んだのは、淡い薄紫のワンピースだった。
 
 砂漠では隠されていた白い腕やデコルテが、南の光の下で瑞々しく露わになっている。ふわりとしたスカートの裾は、風をはらんで涼しげに揺れていた。髪も同色のリボンで、高い位置でひとつに纏められている。足元のブーツも、白いストラップサンダルに履き替えられている。

 いつもの神秘的な占い師の姿とは違う、溌溂とした光に包まれた一人の可憐な女性が居た。

「……どうかしら? 少し、派手すぎた?」

 レンの沈黙を不安に思ったのか、アリアが頬を染めて上目遣いになる。レンは慌てて咳払いをし、視線を逸らした。

「いや……よく似合っている。この街の風景にも、よく馴染んでる」

「ほんと? よかった。あなたも涼しそうで、とても素敵よ」

 二人は新しい服に身を包み、それまで着ていた服を店から宿へ運んでもらう手配を済ませて、再び街へと出た。



「凄い……! 見て、レン。市場に並んでいる魚、見たことない色をしてるわ」

 アリアが子供のようにはしゃぎながら、露店を指差した。そこには、青や黄色、鮮やかな縞模様の魚たちが、氷の上に所狭しと並べられている。

「南洋の魚だな。……ほら、はぐれるぞ」

 レンは人混みに流されそうになるアリアの二の腕を、自然な動作で引き寄せた。アリアは楽し気に微笑み、レンのシャツの裾を軽く掴んだ。
 
 風がシャツを通り抜ける。その心地よさと、隣を歩くアリアの軽やかな足取り。まるで普通の恋人同士が、休日の時間を楽しんでいるかのような錯覚に陥りそうになるが、二人の目的は観光では無い。
 
 彼らはその足で、船員や仲買人が集まる港湾管理所へと向かった。
 だが、二人の思いを余所に、そこで待っていたのは厳しい現実だった。

「アストロラビウム? 環礁遺跡へ行きたいだって?」

 カウンターの向こうで、赤ら顔の職員が目を見開き、次いで鼻で笑った。

「よしな、兄ちゃん。あそこは船食いの海域だ。複雑な海流と、水面下に隠れた珊瑚の迷路がある。まともな船乗りなら近づかねぇよ。現地に住んでる奴らでも、近づかねぇ」

 予想はしていたが、反応は冷ややかだった。その後、酒場や個人の船主を訪ね歩いたが、結果は同じだった。
 
『幽霊が出る』『呪われた海だ』『季節外れの台風が近づいている』

 理由は様々だが、誰も首を縦には振らない。

 そうやって、何度も首を横に振られ続けた昼過ぎ。
 
 歩き疲れた二人は、港を見下ろす広場のベンチに腰を下ろした。手には、屋台で買った魚の揚げ物の包み紙がある。

「……全滅ね」

 アリアが揚げたての白身魚を頬張りながら、肩を落とす。海風が、彼女の括られた髪の一部をサラサラと揺らしている。

「あそこは昔から、封印された場所扱いだからな。……まともなルートじゃ無理か」

 レンも熱々のじゃが芋を口に運び、眼下に広がる青い海を睨んだ。水平線には白い入道雲が湧き上がっている。あんなにも美しい海の向こうに、誰も行こうとしない場所がある。

「それにしても、この揚げ物、とっても美味しい」

 アリアが不意に顔を綻ばせた。

「船は見つからないけど……こうして新しい服を着て、レンと海を見ながらご飯を食べてると、なんだかピクニックに来たみたい」

 彼女は包み紙をレンに差し出した。
 
「ほら、レンも食べてみて? 頭を使ってばかりじゃ疲れちゃうわよ。物事は詰まったときほど、なんとかなるって思うことが大事!」

 その無邪気な笑顔に、レンの眉間の皺がほどける。アリアを見ていると、なぜか焦燥感が波音に溶けていくようだった。
 
「……そうだな。今は英気を養うのも仕事のうちか」

「もう! 今は、そういう難しいことはいらないの。この時間を楽しまないと損だよ?」

 二人は並んで、揚げたての魚とじゃが芋を食べた。広場には大道芸人がいて、子供たちの歓声が上がっている。海鳥が空を舞い、遠くで蒸気が上がり、汽笛が鳴る。
 
 もしも運命が違っていたら、こんなふうに二人で並び、穏やかな時間を過ごすだけの人生もあったのだろうか。普通に出会い、普通に……。

 レンは、そんなことをぼんやりと思っていると、ふと、アリアが海の方を指差した。

「ねえ、レン。あの船……少し変わってない?」

 彼女が指差したのは、港の端、古いドックの陰に停泊している一隻の船だった。
 
 周りの綺麗な白塗りの客船とは違い、その船は黒く煤け、継ぎはぎだらけの鉄板で覆われている。まるで巨大な鉄の鯨のようだ。

「……蒸気サルベージ船か?」

 レンが目を凝らす。船体には無骨なクレーンアームが付いており、煙突からは黒い煙が細く上っている。

「行ってみよう。あんな風変わりな船なら、変わり者な船長が乗ってるのかもしれない」

 レンが立ち上がり、手を差し伸べる。アリアはその手を取り、力強く立ち上がった。薄紫色のスカートが翻る。二人の影が、石畳の上に一つに重なって伸びる。

 希望を見つけた二人は、足取り軽く坂道を下り始めた。

 その賑わう背後の人波に紛れ、灰薄手のフードマントを着た二人組の男が、鋭い視線を二人に向けていたことに、彼らはまだ気づかない。
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