【本編完結】星を継ぐ踊り子とスチールグレイの修復士~日誌に綴られた謎と、仄かな恋の旅

苺迷音

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 『リラム』の夜は、水と光が織りなす魔法のようだった。

 迷路のように張り巡らされた水路を、この街の交通手段なのだろう、乗合ゴンドラが行く。屋根付きの細長い船には、仕事帰りの住人や、市場へ向かう婦人たちが乗り合わせている。レンとアリアはその隅に並んで座り、流れる景色を眺めていた。

 船頭が操る長い竿が、静かに水を切る。時折、他の船とすれ違うたびに、船べりが軽く触れ合い、挨拶のような振動が伝わってくる。

「……不思議ね。初めて来たはずなのに、角を曲がった先に何があるのか、なんとなく分かるの」

 アリアが細い水路の奥を指差した。

「あそこを曲がると、小さな広場があるはず」

 船が緩やかに舵を切ると、視界が開けた。
 そこには古びた噴水のある、小さな水上広場があった。周囲を囲む建物の窓には花が飾られ、穏やかな生活の匂いが漂っている。

「……正解だ」

 レンが感心して呟くと、アリアは照れくさそうに小さく微笑んだ。

 ゴンドラが船着き場に寄る。二人はそこで船を降りた。アリアは広場の片隅にある、古いパン屋の軒先を見つめた。
 
 そこには、店仕舞いをしている年老いた女性がいた。しっかりとした足取りの、優しそうな老婆だ。

 アリアが吸い寄せられるように老婆に近づく。

「あの……すみません」

 老婆は顔を上げアリアを見ると、驚いたように目を見開く。

「おや……まあ。なんて綺麗な髪と目だろうねぇ」

 アリアの顔を覗き込むようにした老婆は、その瞳の奥に懐かしさと警戒のような色が混じえつつ、まじまじと見つめる。

「昔のことを、お聞きしたいんです。覚えておられるかわかりませんが……二十年以上前……この街で、もしくはこの辺りで……私と同じ髪色の女性と、青い目の男性……見掛けたことはありませんか?」

 老婆の動きが止まった。彼女は口元を引き結び、視線を泳がせた。

「……さあねぇ。この街には訳ありの人間が多いからね。昔のことを詮索するのは、野暮ってもんだよ」

 老婆は背を向け、店の中へ戻ろうとする。
 
 だが、アリアはその背中に縋るように声をかけた。

「お願いします。……私の、母と……父かもしれない、両親なんです」

 その言葉に、老婆の背中が震えた。彼女はゆらりと怯えるように振り返り、もう一度、アリアの碧眼を凝視した。そして、ああとため息のような声を漏らした。

「……ああ……ああ、そうか。やっぱり、そうなのかい」

 老婆の声が震えている。

「お前さん……あの時の、赤ん坊かい?」

 アリアが無言で頷くと、老婆は胸の前で十字を切った。

「……忘れるもんかね。あんなに気品のあるお方は、後にも先にも見たことがない」

 老婆は周囲を憚るように声を潜め、ポツリポツリと語り始めた。

「女の人は、この裏の小さな部屋にひっそりと住んでいたよ。宝石みたいに輝いている相当な別嬪だった。でも、決して目立たないように暮らしていたさ。そのうちに、女の人が身籠ってね。ここで赤ん坊を産んだんだ……でも、旦那の方……男の人は、ここには住んでいなかったね」

「え?」

「時々、夜明け前に小舟でやってくるんだよ。人目を避けるようにね。……きっと、一緒にいると危険な身分のお方だったんだろう。それでも、あの人は必ず焼きたてのパンを買って、女の人と我が子の顔を見に来ていた」

 つかの間の逢瀬。何かの事情があって離れていても、家族の時間を守ろうとしていた父と母。そしてある日、二人は幼子を連れて忽然と姿を消したのだという。

「パン屋の朝は早いからね。時々、店ん中にある椅子に座って、他愛のない話をしたもんさ。そん時言ってたよ。本当は一緒にいたんだけど、仕事で、ってね」

「やっぱり父様……だったんだ。私、ちゃんと父様の記憶を持っていたんだ……」

 アリアはその場に崩れ落ちそうになり、レンが慌ててその肩を支えた。
 
 老婆はアリアに何も聞かず、ただ優しく微笑んで

「良かったら持って行きな。あの頃から味は変わって無い。いつもこのパンを買ってくれてたんだ」

 と、焼きたての堅焼きパンを二つ、彼女の手に握らせてくれた。

「ありがとう、ありがとうございます……」

 アリアは大きく頭を下げた。

 店を後にする頃には、生暖かい湿った風が頬を打ち始めていた。先ほどまでの穏やかな水面の揺らぎは消え、運河の水は黒く波立ち、石造りの建物の基礎を不気味にうねりながら叩き出していた。

 ポツリ、と大粒の雨が石畳に黒い染みを作ったかと思うと、一気に視界が煙るほどの豪雨となった。
 二人が逃げ込むように宿へ戻った直後、外は本格的な暴風雨となった。



 リラムの街には宿屋は、数少ない。そもそも、ここへ来る人間が限られている。
 大抵は、荒くれものがあつまる酒場の上の部屋を、簡易的に貸し出しているだけの店ばかり。

 ラスティー・タートル号の一行も例に漏れず、宿は酒場の上の部屋を借りることにした。

 それでもアリアのことを気遣ったガルドが、数少ないそう言った場所でも、落ち着いた清潔感のある宿を選んでくれていた。

 窓ガラスが風圧で軋み、叩きつけられる雨粒が絶え間なく流れていく。
 
 酒場のテーブルの上には、冷めかけた食事と、酒の入った木杯が置かれている。

 ガルドは窓の外の嵐を忌々しげに睨みつけながら、木杯に入った酒を煽った。

「プハッ……。予報通りか。この嵐じゃ、明日の出航も怪しいな」

 彼は手の甲で口元を拭うと、ニヤリと笑ってアリアを見た。

「……で、話を戻そうか。嬢ちゃんの親父さんがこの街にいたってのは分かった。だが、解せねぇのは、あの軍の連中だ」

 ガルドの声が、雨音に負けないよう低く響く。

「十年前、ジプシーの一団を襲ったのが奴らだと言ったな。なら、どうして今まで放っておいた? 嬢ちゃんはずっと逃げてたのか?」

「ううん」

 アリアは首を横に振った。雷光が一瞬、彼女の蒼白な横顔を照らす。

「私は十六歳になるまで、襲われた場所から離れた遠くの教会に匿われていたわ。そこを出てからは、ずっと一人旅。街から街へ、踊り子として転々としながら……」

 レンが口を挟む。

「その間、追手らしきものと対峙したことは?」

「一度もないわ。誰かに見られていると感じたこともなかった。本当に、平和な旅だったの」

 アリアの言葉に、レンは眉間に皺を寄せる。

「十年間、音沙汰なしだった。それが、俺たちが旅を始めた途端、軍の特務部隊が出てきた。……妙だと思わないか」

「ああ。奴らは嬢ちゃんの居場所を知らなかったってことだ。それが急にバレた。……何かきっかけがあったはずだ」

 ガルドの鋭い指摘。
 
 レンの中で、ある一つの可能性が鎌首をもたげた。心当たりなら、ある。ありすぎるほどに。

「……俺だ」

 レンが重苦しく呟くと、二人の視線が集まった。

「俺が、北港のルートを使って特殊レンズを取り寄せた。あれが原因だ」

 レンは拳を握りしめ、眉間の皺を深くする。

「あのレンズは、軍の放出品だ。俺は裏ルートを使ったつもりだったが、おそらくその購入履歴が検閲に引っかかったんだ。……すまない、アリア。俺が迂闊だった」

 レンが頭を下げると、アリアは驚いたように目を見開き、そして優しく首を振った。

「謝らないで、レン。あなたは何も悪くないわ。だって、あのレンズがなければ、この場所には辿り着けなかったもの」

「……嬢ちゃんの言う通りだ。過ぎたことを悔やんでも仕方ねぇ」

 ガルドが空気を変えるように、酒を呑みきる。そして、空になった木杯を雑にテーブルに置くと、意味ありげな視線をレンとアリアに向けた。

「しかし、レンズ一つで軍の暗部が動くたぁな。……そこまでして、奴らは何を探してやがるんだ? そのレンズでお前らは何を見たんだ?」

 ガルドの問いに応えたのはアリア。

「私の持っている、古い日誌。母様から託された父様の形見なの」

 それを聞いたガルドは「ほう?」と小さく零し、自らの顎の下にある短い無精髭を数回撫でる。

「ただの古い日誌に、何の価値がある?」

 ガルドは口元の髭を撫で続け、独り言のように低い声で囁いた。

「だが……もしかしたらその日誌が、財宝か何かのありかを示す手がかりと、軍の奴らは思ってたりしてな」

「財宝?」

 アリアが首を傾げる。ガルドはニヤリと笑った。

「ああ。アストロラビウムの遺跡には、王家の財宝が眠っているって話があるんだ。数十年前のクーデターの時、密かに生き残っていた王家の血筋が隠したとかなんとか……よくある話だ。ま、俺たちみたいな荒くれ者の間じゃ有名な都市伝説だがな」

 ただの噂話、都市伝説。いつもなら笑い飛ばす類の話だ。だが、今の状況と奇妙に符合する。軍の異常な執着や、過去の虐殺。そして、アリアの両親が『高貴な人』だったかもしれないという老婆の言葉。

「……もし、その伝説が本当だとしたら」

 ガルドの話に、レンが静かに言葉を零す。

「奴らは、アリアが持つ日誌が狙いなのか?」

 アリアは息を呑み、レンの顔を見つめた。
 
 ただ父の背中を追いたかっただけ。けれど運命は、嵐のように彼女を巨大な渦の中心へと引きずり込んでいた。

 窓の外、雨は激しさを増し、滝のようにガラスを叩き続けている。
 この街に忍び寄る灰の影の足音を隠すかのように。
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