26 / 30
26
しおりを挟む
銃口は、アリアの心臓を正確に狙っていた。
だが、アリアは一歩も引かなかった。
震えていないわけではない。ドレスの裾は小刻みに揺れ、顔色は蝋のように白い。それでも彼女は、レンを背に隠し、両手を広げて立ち塞がる。
その姿は、かつて荷馬車の中、炎に囲まれながら隻眼の前に立ちはだかったアリアの母の姿と、痛いほどに重なって見えた。
「……どけ、小娘」
将軍が低く唸る。その碧色の瞳には、理性を焼き尽くすほどの憎悪が宿っている。
「邪魔をするなら、お前もあの母親と同じように切り刻んでやる」
「嫌よ」
アリアの声が、静寂を取り戻した地下空間に凛と響いた。
「もう、誰も傷つけさせない。母様も、父様も、そしてレンも……あなたが奪うことなんて許さない!」
「奪うだと?」
将軍は鼻で笑い、顎で背後の装置をしゃくった。
「奪われたのは俺の方だ! 二十年だぞ! 俺はこの『力』を手に入れるために、国を正し、邪魔な貴族どもを排除し、人生のすべてを費やしてきた! だというのに……」
彼はわななく指で、美しく脈打つ青い光の装置を指差した。
「なんだこれは! 兵器ですらない! ただの水汲み機だと!? シリウスは……あの男は、こんなガラクタを守るために命を賭け、俺の覇道を拒んだというのか!」
将軍の絶叫が虚しく木霊する。
「……こんなもの」
将軍の目が、暗い光を帯びて据わった。
「俺の役に立たないのなら、消え失せろ。シリウスの血も、このふざけた遺産も、すべて灰になれ!」
殺意が膨れ上がり、引き金にかかった指が白く変色する。
「アリア、伏せろッ!」
レンの叫びと、銃声は同時だった。乾いた破裂音。だが、アリアの体は砕けなかった。
彼女を押し倒すように抱きかかえたレンの背後で、金属同士が激しくぶつかり合う音が響いたのだ。
将軍の手から、拳銃が弾き飛ばされ、床のガラスの上を滑っていった。
レンがアリアをかばいながら伏せる寸前、船の修理の際にポケットに入れたままだったコーチレンチを掴み、渾身の力で投擲していたのだ。
職人の正確無比なコントロールで放たれた重い工具は、回転しながら将軍の手首を正確に打ち砕いていた。
「ぐぅっ!?」
将軍が手首を押さえて呻く。
その隙に、レンはアリアの手を引いて立ち上がり、装置の陰へと距離を取った。
「貴様……っ! ただの修理屋風情が!」
将軍は充血した目でレンを睨みつけ、無事な左手で腰のサーベルを抜き放った。
銀色の刃が、装置の青い光を反射して輝く。
「撃て! 何を呆けている! こいつらをハチの巣にしろ!」
将軍が部下たちに怒号を飛ばす。
だが、銃声は響かなかった。
「……将軍、あれを」
部下の一人が、震える声で足元を指差した。
「あぁ!? なんだ!」
将軍が苛立ちながら視線を落とす。そして、言葉を失った。
足元のガラス床の下。暗黒だった地下水脈が、変貌を遂げていた。
装置から送り込まれた浄化された水と、循環する酸素を含んだ水流が、死んでいた澱みを押し流していく。水底に設置されていたのだろう、古代の照明機構が水流に反応して一斉に輝き出したのだ。
青、緑、白、金、赤。様々な色の光が、地下の海全体を照らしてゆく。それは息を呑むほどに美しい光景だった。
「こ、これは……」
兵士たちが銃を下ろし、魅入られたようにその光景を見つめている。荒廃した戦場と、灰色の瓦礫しか知らなかった彼らにとって、それは初めて見る輝きだった。
「水が……生き返っていく」
アリアがレンの腕の中で、夢見るように呟いた。
浄化された水は、やがて地下水脈を通って海へ、そしてこの島の井戸や湧き水へと還っていくだろう。死の砂漠すらも、長い時間をかけて緑の大地へと変えるかもしれない。
アリアの父・シリウスが夢見たのは、誰かを倒すための力ではなく、誰もが生きられる未来だったのだろう。
「ええい! 惑わされるな! ただの光だ!」
その奇跡を前にしてもなお、将軍一人だけが剣を振り上げ、孤独な怒りを露わにしていた。
「力がすべてだ! 支配こそが正義だ! それを否定するものは、王族だろうが神だろうが、俺が斬る!」
彼は狂ったように叫び、サーベルを振りかざしてレンたちへと突進した。
部下たちは動かない。広大な地下空間で、ただ一人、将軍だけが駆けてくる。
レンは逃げなかった。背後のアリアを守るように立ち、丸腰のまま、迫りくる刃を見据える。
その時、低い轟音が響いた。だがそれは、装置の暴走ではない。
天井のドーム、閉ざされていた天窓の覆いが、機関の再始動によってゆっくりと開き始めた音だった。
ぽっかりと開いた円形の空から、一直線に光が差し込む。
それは、嵐が去った後の、突き抜けるような陽の光条だった。
「……っ!?」
強烈な太陽の光が、地下の闇を切り裂く。
突進していた将軍は、その光を正面から浴びて、たたらを踏んだ。暗順応していた隻眼が、突然の閃光に焼かれ、視界を奪われる。
「ぐ、おぉぉ……!?」
彼は顔を覆い、よろめいて後退した。
その足が、先ほどの爆発で亀裂が入っていたガラス床の脆い部分を踏み抜いた。硬質な破砕音が響く。将軍の身体が、バランスを失って宙に浮いた。
「な……っ!」
彼が最後に見たのは、眩しいほどの陽光の中で、寄り添って立つレンとアリアの姿だった。
将軍の体は音もなく落下し、眼下に広がる、美しく輝く浄化の海へと吸い込まれていった。
水音が一度だけ響き、すぐに波紋にかき消される。
後には、静寂と降り注ぐ光、そして心地よい水流の音だけが残された。
だが、アリアは一歩も引かなかった。
震えていないわけではない。ドレスの裾は小刻みに揺れ、顔色は蝋のように白い。それでも彼女は、レンを背に隠し、両手を広げて立ち塞がる。
その姿は、かつて荷馬車の中、炎に囲まれながら隻眼の前に立ちはだかったアリアの母の姿と、痛いほどに重なって見えた。
「……どけ、小娘」
将軍が低く唸る。その碧色の瞳には、理性を焼き尽くすほどの憎悪が宿っている。
「邪魔をするなら、お前もあの母親と同じように切り刻んでやる」
「嫌よ」
アリアの声が、静寂を取り戻した地下空間に凛と響いた。
「もう、誰も傷つけさせない。母様も、父様も、そしてレンも……あなたが奪うことなんて許さない!」
「奪うだと?」
将軍は鼻で笑い、顎で背後の装置をしゃくった。
「奪われたのは俺の方だ! 二十年だぞ! 俺はこの『力』を手に入れるために、国を正し、邪魔な貴族どもを排除し、人生のすべてを費やしてきた! だというのに……」
彼はわななく指で、美しく脈打つ青い光の装置を指差した。
「なんだこれは! 兵器ですらない! ただの水汲み機だと!? シリウスは……あの男は、こんなガラクタを守るために命を賭け、俺の覇道を拒んだというのか!」
将軍の絶叫が虚しく木霊する。
「……こんなもの」
将軍の目が、暗い光を帯びて据わった。
「俺の役に立たないのなら、消え失せろ。シリウスの血も、このふざけた遺産も、すべて灰になれ!」
殺意が膨れ上がり、引き金にかかった指が白く変色する。
「アリア、伏せろッ!」
レンの叫びと、銃声は同時だった。乾いた破裂音。だが、アリアの体は砕けなかった。
彼女を押し倒すように抱きかかえたレンの背後で、金属同士が激しくぶつかり合う音が響いたのだ。
将軍の手から、拳銃が弾き飛ばされ、床のガラスの上を滑っていった。
レンがアリアをかばいながら伏せる寸前、船の修理の際にポケットに入れたままだったコーチレンチを掴み、渾身の力で投擲していたのだ。
職人の正確無比なコントロールで放たれた重い工具は、回転しながら将軍の手首を正確に打ち砕いていた。
「ぐぅっ!?」
将軍が手首を押さえて呻く。
その隙に、レンはアリアの手を引いて立ち上がり、装置の陰へと距離を取った。
「貴様……っ! ただの修理屋風情が!」
将軍は充血した目でレンを睨みつけ、無事な左手で腰のサーベルを抜き放った。
銀色の刃が、装置の青い光を反射して輝く。
「撃て! 何を呆けている! こいつらをハチの巣にしろ!」
将軍が部下たちに怒号を飛ばす。
だが、銃声は響かなかった。
「……将軍、あれを」
部下の一人が、震える声で足元を指差した。
「あぁ!? なんだ!」
将軍が苛立ちながら視線を落とす。そして、言葉を失った。
足元のガラス床の下。暗黒だった地下水脈が、変貌を遂げていた。
装置から送り込まれた浄化された水と、循環する酸素を含んだ水流が、死んでいた澱みを押し流していく。水底に設置されていたのだろう、古代の照明機構が水流に反応して一斉に輝き出したのだ。
青、緑、白、金、赤。様々な色の光が、地下の海全体を照らしてゆく。それは息を呑むほどに美しい光景だった。
「こ、これは……」
兵士たちが銃を下ろし、魅入られたようにその光景を見つめている。荒廃した戦場と、灰色の瓦礫しか知らなかった彼らにとって、それは初めて見る輝きだった。
「水が……生き返っていく」
アリアがレンの腕の中で、夢見るように呟いた。
浄化された水は、やがて地下水脈を通って海へ、そしてこの島の井戸や湧き水へと還っていくだろう。死の砂漠すらも、長い時間をかけて緑の大地へと変えるかもしれない。
アリアの父・シリウスが夢見たのは、誰かを倒すための力ではなく、誰もが生きられる未来だったのだろう。
「ええい! 惑わされるな! ただの光だ!」
その奇跡を前にしてもなお、将軍一人だけが剣を振り上げ、孤独な怒りを露わにしていた。
「力がすべてだ! 支配こそが正義だ! それを否定するものは、王族だろうが神だろうが、俺が斬る!」
彼は狂ったように叫び、サーベルを振りかざしてレンたちへと突進した。
部下たちは動かない。広大な地下空間で、ただ一人、将軍だけが駆けてくる。
レンは逃げなかった。背後のアリアを守るように立ち、丸腰のまま、迫りくる刃を見据える。
その時、低い轟音が響いた。だがそれは、装置の暴走ではない。
天井のドーム、閉ざされていた天窓の覆いが、機関の再始動によってゆっくりと開き始めた音だった。
ぽっかりと開いた円形の空から、一直線に光が差し込む。
それは、嵐が去った後の、突き抜けるような陽の光条だった。
「……っ!?」
強烈な太陽の光が、地下の闇を切り裂く。
突進していた将軍は、その光を正面から浴びて、たたらを踏んだ。暗順応していた隻眼が、突然の閃光に焼かれ、視界を奪われる。
「ぐ、おぉぉ……!?」
彼は顔を覆い、よろめいて後退した。
その足が、先ほどの爆発で亀裂が入っていたガラス床の脆い部分を踏み抜いた。硬質な破砕音が響く。将軍の身体が、バランスを失って宙に浮いた。
「な……っ!」
彼が最後に見たのは、眩しいほどの陽光の中で、寄り添って立つレンとアリアの姿だった。
将軍の体は音もなく落下し、眼下に広がる、美しく輝く浄化の海へと吸い込まれていった。
水音が一度だけ響き、すぐに波紋にかき消される。
後には、静寂と降り注ぐ光、そして心地よい水流の音だけが残された。
0
あなたにおすすめの小説
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
子育てが落ち着いた20年目の結婚記念日……「離縁よ!離縁!」私は屋敷を飛び出しました。
さくしゃ
恋愛
アーリントン王国の片隅にあるバーンズ男爵領では、6人の子育てが落ち着いた領主夫人のエミリアと領主のヴァーンズは20回目の結婚記念日を迎えていた。
忙しい子育てと政務にすれ違いの生活を送っていた二人は、久しぶりに二人だけで食事をすることに。
「はぁ……盛り上がりすぎて7人目なんて言われたらどうしよう……いいえ!いっそのことあと5人くらい!」
気合いを入れるエミリアは侍女の案内でヴァーンズが待つ食堂へ。しかし、
「信じられない!離縁よ!離縁!」
深夜2時、エミリアは怒りを露わに屋敷を飛び出していった。自室に「実家へ帰らせていただきます!」という書き置きを残して。
結婚20年目にして離婚の危機……果たしてその結末は!?
妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
側妃の愛
まるねこ
恋愛
ここは女神を信仰する国。極まれに女神が祝福を与え、癒しの力が使える者が現れるからだ。
王太子妃となる予定の令嬢は力が弱いが癒しの力が使えた。突然強い癒しの力を持つ女性が異世界より現れた。
力が強い女性は聖女と呼ばれ、王太子妃になり、彼女を支えるために令嬢は側妃となった。
Copyright©︎2025-まるねこ
完結 そんなにその方が大切ならば身を引きます、さようなら。
音爽(ネソウ)
恋愛
相思相愛で結ばれたクリステルとジョルジュ。
だが、新婚初夜は泥酔してお預けに、その後も余所余所しい態度で一向に寝室に現れない。不審に思った彼女は眠れない日々を送る。
そして、ある晩に玄関ドアが開く音に気が付いた。使われていない離れに彼は通っていたのだ。
そこには匿われていた美少年が棲んでいて……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる