浸水車両

苺迷音

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今日は、仕事が長引いた。

 朝、テレビの天気予報で言っていた通り、帰宅時間前に降り出した雨。
 閉じた傘の先から、水滴がポタリと落ちてゆく。

 残業でいつもより二時間強、遅い電車に乗る。六号車はガラガラで、乗客は私を含めて五、六人程度。

 なのに。

 あれ? 扉付近にあの彼がいる。

 とっくに帰っているはずの時間なのに。
 彼も残業だったのかな。違う用事でもあったのかな?
 呑み会だったとか? でも、酔っている様子はない。
 いつもそうしてるように、窓の外を見ている。
 知っている顔があって、なんだかほっとした。

 同時に、小さな寒気が肌を這う。

 雨のせいだろうか。

 車両内の冷房が効きすぎてる感じ。足元が冷たい。

 下を見ると床が濡れていた。靴の裏がじっとりと湿っている。

 車窓を見れば、上から下へいくつも水滴が線を描いている。
 他の乗客の手にも傘。

 雨に濡れた乗客たちの傘や鞄から落ちた雫が、床に広がっていったのだろう。

 川沿いを走る電車の音に混じり、さっきから遠くで雷鳴がする。
 
 だんだん窓を叩く雨が激しくなる。
 
 窓をぼんやりと眺めていると。
 急に眩い閃光が走り、直後に大きくドォンッ! と雷が鼓膜に響く。
 あまりの音の大きさに、身体がきゅっと縮こまる。

 動く電車を揺らすように、雷鳴が車両の中で振動する。
 
 もしかしたら、どこかに雷が落ちたのかも。
 電車にか、線路にか。かなり近くに落ちた気がする。

 でも、停電もしてなければ、車内アナウンスもない。

 強い雷雨の中、電車は走り続けている。

 ここに落ちたのではなさそう。
 割と近い場所で、落雷があったのかも知れない。

 台風でも来てるのかな?

 天気予報ではそんなこと、言ってなかったように思うけど。



 翌日、すっかり雨は止んでいた。 

 今日は定時で仕事を終え、寄り道もせずに駅まで歩く。
 見上げた空には薄っすらと、月が浮かんでいる。
 どこからか、蝉のジジジという鳴き声もする。
 すれ違う人の中に、浴衣を着ている人がちらほらと居た。皆、淡い色の浴衣。

 最近の流行の色なのかな? お祭りでもあるのかな?

 そっか。もうすぐお盆だものね。盆踊りの時期なんだ。
 昔はお祭りにもよく行ったけど、社会人になってそういう行事ごとには参加することもなくなっていた。

 駅に着くと、改札を抜けホームに向かう。普段通りに、停車中の電車の六車両目に乗り込む。
 
 チラッと周りを見回す。少し疲れた顔のサラリーマン、小さな声で会話する女子高生たち。スマホ覗き込む、私と同年代くらいの女性。

 電車はゆっくりと動き出した。

 いつもの風景。何も変わらない。

 はずなのに、今日も足元がヒヤっとする。
 視線を落とすと、水で床が濡れていた。

 え? 雨、降ってなかったよね?

 じゃあ――

 この水、なに?
 
 そう思ったと同時に、じゅわりと靴が水に濡れてゆく。
 ゆっくりと床一面に薄く水が広がっていき、足元を動かすたびにぺちゃぺちゃと音がする。

「水……なんで?」

 そんな言葉が無意識に、口から漏れていた。

 わ……っ、恥ずかしい。

 独り言なんて、みっともない。
 慌てて口元を引き締めた瞬間。

「気づいてましたか」

「え?」

 その声に振り返ると、扉付近のあの彼が、私のすぐ後ろに立っていた。
 こんな近くに居たんだ!?

「水のこと」

 そう言われて再び視線を落とすと、彼の靴も同じように濡れている。
 でも彼に、困った様子はない。

「あ、あの……」

 初めて話しかけられた。
 どうしよう。

 戸惑い、言葉を探していると

「俺、光太。いつも見かけてたから」

 彼の方から自己紹介をしてくれた。
 光太さん。
 初めて知った彼の名前。

「彩佳です」

「彩佳」

 私の名前を、そのまま繰り返すように言った光太さん。
 口に出すのは初めての名前なのに、不思議と馴染んでいるような響きだった。
 なぜか怖くもないし、嫌じゃない。
 寧ろやっと話せたという嬉しさの方が大きかった。
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