神雧 - KAMIATSUME -

神代 一文

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第14章 風の残像

第419話 凍る車内

行灯あんどんが消えた。

 一つずつではなかった。天井に並ぶ六つの行灯あんどんが、端から順に、一秒おきに消えていった。最後の一つが消えるまでの六秒間、こよいは息を止めていた。

 闇の中で、自分の心臓の音おとだけが異様に大きく響く。

 行灯あんどんが再び灯ともった。蒼白い光が戻る。けれど、灯ともる前と後で、車内の色が変わっていた。座席の布地が、少しだけ白くなっている。壁の塗装とそうも、天井の木目も。六秒の闇のあいだに、車内の色が一層薄くなった。

 漂白ひょうはくが進んでいる。列車れっしゃの中にまで。

 久遠くおんは目録もくろくの頁ページに義眼ぎがんを凝こらしていた。蒼光そうこうが頁ページを走るたびに、文字が端から蒼白く溶けていく。

 「読む速度と消える速度が拮抗きっこうしている」

 押し殺した声だった。

 「目録もくろくの文字が漂白ひょうはくされている。ここに書かれた記録きろくを、観測者かんそくしゃが本体側から消去しょうきょしようとしている。俺が読み終わる前に消されたら、その記録きろくは永久に失われる」

 久遠くおんの指先が頁ページを押さえる力が白くなっていた。爪の先が紙に食い込んでいる。読み取りと消去しょうきょの競争だった。

 窓の外が白い。

 こよいは窓硝子まどがらすに指を当てた。冷たかった。硝子ガラス越しに、温度のない白が広がっている。指先から体温が吸い取られるような錯覚さっかくがして、慌てて手を引いた。

 以前は霧きりに混じって景色の断片が見えていた。丘の輪郭りんかく、木々の影かげ、遠くの建物。今は何もない。白い空白が、窓の外を満たしている。虫食いのような穴ではなく、隙間すきまのない白。世界の記憶きおくそのものに、巨大な空白が広がっている。

 こよいは巾着きんちゃくを胸に引き寄せた。

 「あの子たちの名前も、白くなるの」

 声が震えた。

 巾着きんちゃくの中の名前たちが、漂白ひょうはくの圧力を感じ取っている。脈動みゃくどうがいつもより速い。恐れているのではなく、抵抗している。けれどその抵抗の力が、いつまで持つか分からなかった。

 久遠くおんは頁ページから目を離さなかった。

 「消えた文字は戻らない。だが、読んだ文字は俺の中に残る。消す前に読む。読んだ記録きろくは、目録もくろくが白くなっても俺が覚えている」

 義眼ぎがんの周囲の皮膚が赤くなっていた。出力を上げすぎた代償だいしょうだった。蒼光そうこうが不安定に明滅めいめつし、その光の中で頁ページの文字が一行ずつ白く変わっていく。

 久遠くおんは速度を上げた。目が文字を追い、義眼ぎがんが暗号を解読し、記憶きおくに焼き付ける。消えていく文字と読み取る目の、壮絶な追いかけ合い。蒼光そうこうが走るたびに、久遠くおんの額ひたいに汗が滲にじんだ。その汗さえも蒼く光っていた。

 行灯あんどんがまた消えた。今度は三秒。

 灯ともったとき、座席の布地がさらに白くなっていた。

 こよいは座席の表面を指先で撫なでた。布の手触りは変わらない。質感は残っている。色だけが抜けた。座席の模様もようがかろうじて凹凸おうとつとして残っているだけで、染料せんりょうが完全に失われている。風に消されたあの線路の赤と同じだった。物は残っているのに、情報だけが削けずられている。

 あさひは窓を背にして座っていた。白い窓の外を見ないようにしている。剣を膝ひざに立てかけ、柄つかに置いた手が力を帯びていた。

 「夜はまだ明けない」

 低い声だった。

 こよいと久遠くおんが顔を上げた。

 あさひの声には、ここに至るまでの全ての道のりの重みがあった。影かげの回廊かいろうを抜け、柱はしらの森を越え、砂と風と沈黙ちんもくの中を歩き続けてきた。そしてまだ、着いていない。

 「遠いが、近くもなっている。ここまで来た」

 あさひの視線がこよいに向いた。

 「怖いか」

 「怖い」

 こよいは正直に答えた。

 「だったら、その怖さを巾着きんちゃくに仕舞え。あの子たちが受け止めてくれる。名前は怖さも抱える。お前だけで持たなくていい」

 こよいは巾着きんちゃくを握り直した。名前たちの脈動みゃくどうが、こよいの心臓と重なった。速かった脈が、少しだけ落ち着いた。

 行灯あんどんがまた消えた。二秒。

 灯ともった。間隔かんかくが短くなっている。消灯の時間が縮まり、復帰までの空白が狭くなっている。漂白ひょうはくが加速している。

 久遠くおんは頁ページをめくった。次の頁ページの文字はまだ残っている。消去しょうきょは先頭から順に進んでいた。久遠くおんが今いる頁ページの手前まで来ている。追いつかれるまでに、あとどれだけ読めるか。

 列車れっしゃは走り続けていた。車輪の音おとだけが変わらない。車内の色は薄くなり続けているが、振動は消えない。列車れっしゃはまだ走っている。

 車輪の振動しんどうが座席の下から伝わり、こよいの背骨を揺らしている。その規則正しい拍はくが、巾着きんちゃくの中の名前たちの脈動みゃくどうと重なった。
 それだけが、長い今夜の支えだった。

 座席の下で、おたまの三毛まで暗闇のたびに白く抜けた。こよいが手を伸ばすと、毛の色は戻らなくても体温と小鈴の形は残っている。見えない数秒ごとに一度、鈴を指で鳴らした。

 久遠くおんはその間隔を、消灯の短縮速度と並べて目録へ刻んだ。恐怖を隠すのではなく測れる拍へ変えれば、名前たちも同じリズムで抱えられる。二十七の脈は、こよいの震えまで囲んで一つの波を保った。
 恐怖は、測れば拍はくになる。拍になれば、名前たちと同じリズムで抱えられる。久遠くおんの目録もくろくは、震えを数字に変えることで、震える者を支えていた。
 測れる恐怖は、もう恐怖ではない。久遠くおんの冷徹れいてつな数字が、震える者たちの、いちばん優しい支えになっていた。
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