緑の城塞、迫る鉄の波濤 ~大森林国バルグの英雄譚~

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第六話:白き悪夢と、混血の教官

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南の進軍部隊を駆逐し、奪われた地域を取り戻したジークたち一行は、
意気揚々と王都への帰路についていた。  

北の民の個体能力と、ジークの知略が組み合わされば、南の近代兵器とて恐れるに足りない。
誰もがそう確信していた。  

だが、その慢心が隙を生んだのかもしれない。


山道で、世界が白に染まった。  

カッッ!!  音すらない、強烈な閃光。  

視界が焼かれ、三半規管が狂う。

 「なっ……!?」  

ガルドが呻き声を上げると同時に、プシューッという噴出音が周囲を包んだ。  

甘い痺れを伴う白煙。  即効性の神経ガスだ。

 「息を……止めて……!」  

セラが警告をする。


「う、おおおおッ!」

ガルドが咆哮し、愛用の鉄盾を持ち上げようとする。 
だが、その豪腕は痙攣し、盾は鉛のように重く地面にへばりついたままだ。

「な、なぜだ……力が、入らねぇ……!」

筋肉が裏切る。 森の王者が、小指一本動かせない。 
その巨体が、ドスンと無様に膝をついた。

「か、風よ……!」

リンが震える指で印を結ぼうとする。 
しかし、痙攣する喉からは、風を呼ぶための正しい音階が出ない。 
彼女の最大の武器である「神速」の神経伝達速度が、皮肉にも毒の巡りを早めていた。


白い煙の向こうから、ガスマスクをつけた小柄な兵士たちが、無機質な足取りで近づいてくる。 
彼らは武器すら構えていない。ただ、転がった虫を拾うように、網を引きずっている。

(……これが、南のやり方か)

霞む視界の中で、ジークは悟った。 剣を交えることすら許されない。
誇りも、鍛え上げた技も、化学物質という「理」の前には無意味なのか。




ガルドが歯を食いしばるが、意識は急速に遠のいていく。  

何もできなかった。  

最強を自負していた彼らは、ただ無様に転がされ、主君を奪われたのだ。



     *



「……丈夫ね。普通なら、三日は起きない量の毒なのに」  

鈴のような声で、意識が浮上した。  目を開けると、そこは粗末な木の天井だった。  

体を起こそうとして、ガルドは激痛に顔をしかめた。 

「無理しないで。まだ毒が残ってるわ」  

覗き込んできたのは、亜麻色の髪をした村娘だった。名はリナ。  

彼女は薬湯を差し出しながら、困ったように微笑んだ。 

「峠で倒れているのを、父さんが見つけて運んだの」



 そこは山奥の隠れ里のような村だった。  

ガルド、リン、セラ、そしてトト。四人は一命を取り留めたが、その心は死んでいた。
 「殿下が……連れ去られた……」  

リンは膝を抱え、虚ろな目で呟き続けている。 

「俺たちがついていながら……!」  

ガルドは拳を壁に叩きつけ、その無力さを嘆いた。



 そんな一行を見かねて、リナの父親が口を開いた。 

「……お前さんたち、南へ取り返しに行くつもりか?」

 「当然です。ですが……」  

セラが唇を噛む。今のままでは、また同じ結果になる。
南の技術は、北の常識を遥かに超えている。 

「なら、この山の奥に住む『ゼクウ』という爺さんを訪ねてみな。偏屈だが、南のことに詳しい」



     *



 教えられた場所には、岩肌を削って作られた質素な庵があった。  

一行が足を踏み入れると、一人の老人が、庭先で茶を啜っていた。  
ただ座っているだけなのに、周囲の空間が張り詰めている。只者ではない。


「……何用だ」  

老人が顔も上げずに問う。

 「知恵を借りに来ました」  

リンが一歩前に出る。

「我々は南の卑劣な罠にかかり、主君を奪われました。奪還のために、奴らの――」 

「帰れ」  

老人は吐き捨てるように遮った。

 「南と関わるな。あれは『毒』だ。触れれば腐る」 

「ですが……!」 

「帰れと言っている!」  

老人が茶碗を置いた瞬間、凄まじい殺気が放たれ、リンですら思わず後ずさった。



「おいおい親父。客人にその挨拶はないだろ」  

庵の奥から、飄々とした男が現れた。  名はリク。  

北の民ほど巨大ではないが、南の民より遥かに大きい。

そして何より、その身のこなしが異質だった。筋肉の鎧をまといながら、水のように自然体だ。



「……何の用だ、リク」 

「話くらい聞いてやれよ。こいつら、『白霧』を吸っても生きてるんだぜ?」  

リクの言葉に、老人の眉がピクリと動いた。

 「……あの神経ガスを使ったのか。奴らは」 

「みたいだね。つまり、南軍上層部が本気で動き出したってことだ。
……親父が軍服を脱いだ時のようにな」  

リクは意味深に笑い、ガルドたちに向き直った。

 「親父はね、昔、南で『先生』なんて呼ばれてたんだよ。
軍の偉いさん相手に戦術を教えてたのさ。……ま、嫌気が差して逃げてきたんだけどな」


 ガルドが息を呑む。  目の前の老人が、かつての敵国の幹部だったとは。 

「リク、余計なことを喋るな」 

「事実だろ? ……それに俺だって、半分は南の血が入ってる。他人事じゃない」  

リクは自分の腕を軽く叩いた。

 「俺の母さんは北の民だった。親父は南の人間。……だから分かるんだよ。あんたたちがなぜ負けたのか」

 リクは、ガルドの前に立った。  

身長差は歴然。だが、リクは不敵に笑っている。 

「あんたたち、自分たちが『最強』だと思ってただろ? だから、搦め手を使われた瞬間に脆くも崩れた」

 「……なんだと?」  

ガルドのこめかみに青筋が浮かぶ。

 「図星だろ。……悔しかったら、俺に一発でも入れてみな。稽古をつけてやるよ」



     *



 その日から、洞窟での激しい修行が始まった。  

リクの指導は実践的かつ理論的だった。 

「ガルド、力任せに振るな。南の装甲は衝撃を分散させる。関節を狙い、テコの原理でねじ切るんだ」 

「リン、速いだけじゃダメだ。南の感知器は動くものを追う。動いて、止まる。その緩急で機械の目を欺け」


 北の圧倒的な身体能力に、南の論理的な戦術を組み込む。  

それは、プライドの高い彼らにとって屈辱的でもあったが、同時に目から鱗が落ちる体験でもあった。  

トトの姿は、修行場にはなかった。  

「俺は役立たずだから」と言って、ゼクウの庵に残り、何やら雑用を言いつけられているらしい。



 夕方、ボロボロになった一行が洞窟から戻ると、リナが待っていた。

 「お疲れ様。……ひどい怪我」  

彼女は、不思議な光を手に灯し、ガルドたちの傷口に触れる。  

北の民の一部に伝わる「治癒」の天賦。  

その温かい光に包まれる時間が、地獄のような日々における唯一の安らぎだった。


「あれ? トト君も怪我してるの?」  

リナが、部屋の隅で縮こまっているトトに気づいた。  

見れば、トトの手指は絆創膏だらけだ。 

「あ、えっと……薪割りを手伝おうとしたら、斧を落としちゃって……」  

トトが頭をかく。  

ガルドが呆れたように鼻を鳴らした。

 「戦ってもいねえのに怪我するとはな。ゼクウの爺さんにドヤされたか?」

 「……はい。邪魔だって」  

情けない会話に、リナはくすりと笑い、トトの指にも光を当てた。 

「ふふ。トト君も、自分なりに頑張ってるんだね」  

その言葉に、トトは顔を真っ赤にして俯いた。



     *



 三週間後。  

ガルド、リン、セラは変わっていた。  

ただ力を振るう野獣ではなく、獲物を確実に仕留める狩人の目になっていた。

 「……合格だ」  

リクが木刀を下ろした。 

「これなら、南の首都へ行っても簡単には殺されないだろう」


 出発の前夜。  

ゼクウの庵に、リナが父親と共に現れた。

 「私も、連れて行ってください」  

彼女の決意に満ちた瞳に、ガルドたちは言葉を失った。 

「戦えませんが、怪我を治すことはできます。……皆さんの役に立ちたいんです」  

敵地での回復役は生命線だ。断る理由はなかった。


「よし。俺も行こう」  

リクが愛用の剣を背負った。

「親父、いいよな?」  

ゼクウは焚き火を見つめたまま、動かない。  
だが、テーブルの上には、一枚の羊皮紙が置かれていた。南の首都へのルートが記されたメモだ。

 「……死に急ぎおって」  

そっけない言葉に、息子への不器用な情愛が滲んでいた。


 新生・救出部隊は、こうして結成された。  

重戦士ガルド、槍使いリン、術士セラ。  混血の剣士リク、治癒のリナ。



「……で、お前はどうする?」  

リクが冷ややかな視線を向ける先には、自分の背丈ほどもある荷物を背負ったトトがいた。

 「え、えっと……僕も行きます!」

 「足手まといだ。置いていくぞ」

 「そ、そんなぁ! ……あ、でも僕、その、占いが得意なんです! どっちに行けばいいかとか、当たる……かも!?」  


「……はぁ。まあ、荷物持ちと、毒見役くらいにはなるか」  

ガルドが溜息をつき、リナが

「一緒に行きましょう」

と微笑んでくれたおかげで、トトの同行も許可された。

 奪われた王を取り戻すため。  

一行は、文明の光が支配する南の大地へと足を踏み出す。  

だが、彼らはまだ知らない。  

南の首都で待ち受けるものが、単なる軍事力だけでなく、

世界の理をねじ曲げるような「狂気」であることを。

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