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第一章 王子様のお妃選びの舞踏会に参加します

1-4 毎日花と菓子を贈るだって……?

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◆◆◆◆

 一曲目の演奏が終わるのと同時に、ディアルムドは礼儀正しくお辞儀をした。
 相手は踊り足りなさそうだったが、婚約者でもないのに続けて踊るのはマナー違反である。
 それをいいことにダンスの輪から抜け出したのだ。
 しばらくして二曲目が始まり、ふたたび男女がくるくると回り始めた。

 ディアルムドはフロアの反対側へ行こうとした。
 ソーラスが大臣たちに囲まれて泡を食っているのが見える。
 本人からしてみればたまったものではないだろうが、まわりからは『秘書官』などと呼ばれて使い魔以上に働かされている。
 だったら幻術など解いてしまえばいいのに、『ウサギみたい』だの『愛苦しい』だのと言われるのはもっといやらしい。
 主人でも理解しがたい感覚である。

 不意にディアルムドは足を止めた。
 目の前で踊る人々の間をすり抜けるように視界が開けて、ある人物が目に飛び込んでくる。

〈ご主人様~! なんとかしてくださ~い!〉

 一時、ソーラスの泣き言も耳に入らなかった。
 広間の奥の、ティールームで誰かが休んでいる。
 そこには手当たり次第にお菓子を手に取って口に運んでいる女性がいて……。

 ――うん? リスみたいな女性だな……それに……。

 思わず息を呑んだ。
 この場にはたくさんの女性がいて、ソーラスに言わせればより取り見取りにもかかわらず、どういうわけか一人の女に目を奪われてしまったのだ。
 腰まで伸びた髪はキャラメルのようなブロンドでウェーブがかっている。
 簡素な深緑のドレスを身に纏っているだけだが、大きく開いた胸元や肩が生クリームのような白い肌を際立たせている。

 ――なんだか美味しそう……。

 小動物のようにも見えるが、それでいて糖衣菓子ドラジェのようにも見える。
 これほどデザートに夢中になるレディも珍しい。
 貴族の娘として決して褒められたものではないのに、口を大きく開けて、笑顔いっぱいに菓子を頬張っている。
 なんだかこちらのお腹まで満たされるようだ。
 何より気取ったり、堅苦しかったり、裏表があったりといった感じがない。

 子どものころのディアルムドは、甘いものを口にする機会がほとんどなかった。
 花もそう。温室へ自由に出入りしたこともない。
『完璧な王子にふさわしくない』『女々しいもの』と両親が許さなかったからだ。
 その反動だろうか、大人になって花と菓子がすっかり好きになってしまったのは。
 日に何度も着替えをしなければならない時間を、花の手入れや菓子作りにあてたいと思うほどだった。

 ――もし俺の作ったものをあの女性に食べさせたら、今みたいに喜んでくれるだろうか?

 ディアルムドの結んだ口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

〈……ソーラス。おもしろい女性がいますよ〉
〈この大臣たちどうにかしてくださいよ――って、え? それって……もしやラブストーリーの金字塔の『おもしれー女』ってやつですか? どこです?〉
〈それが何を指す言葉か知りませんが……。ほら、あそこを見てください。リスみたいに菓子を食べて頬をぱんぱんにふくらませている女性です〉
〈本当だ。めっちゃ食べてる……。で、誰です?〉
〈さあ? 身上書には姿絵のあるものとないものがありますから〉

 ――いったいどこの家の娘なんだ?

 退屈なダンスから解放されていよいよおもしろくなってきたな……と思ったところで、向かい側から歩いてきた厚化粧の女がすれ違いざまにディアルムドのほうへよろめいてきた。
 それを皮切りに、ほかの女性たちも負けじと集まってくる。

〈そら見ろ。早く僕を助けてくれないからですよ〉
〈……言いましたね?〉

 せっかく助け船を出してやろうと思ったのに。
 ざまあみろと主人をせせら笑う使い魔をどう懲らしめてくれようかと考えながら、ディアルムドは丁寧に断りを入れてその場を辞去する。
 そして、大臣たちにせっつかれて涙目になっているソーラスのもとにたどり着いた。
 
「ご主人様、やっと来てくださったんですね……!」

 ソーラスが安堵の息を漏らしながら、うるうるとした目で主人を見上げる。
 ディアルムドは大臣たちに会釈すると、いいことを思いついたとばかりにぽんと手を叩いた。

「ときに内相、例の事業計画は進んでいますか?」
「はい、殿下。今、採掘にかかる工事を公募しているところですので、近々入札がおこなわれる予定かと」
「それはいいですね。そういえば、先日人手が足りないと言っていましたね。しばらくソーラスを貸しますよ」
「……え? よろしいのですか?」
「ちょっ――」
「ええ、もちろんです。二、三日と言わず一、二週間……いいえ、それ以上でも構いませんよ。貴殿は私の大事な相談役でもありますから。この国の発展のためにもよろしく頼みますよ」

 大臣に恩を売ることができて、問題があれば自身も状況をすぐに把握できる。
 これはこれで一石二鳥ではないか。

「ありがとうございます」
「ご、ご主人様!? そんな~~~~!」

 ほくほく顔の大臣と絶望に顔を歪める使い魔に、ディアルムドはいくらか溜飲を下げることにした。

 それから、気を取り直してティールームのほうに目をやる。
 自分でも思った以上に、あの女性が気になっていたらしい。
 そばへ寄って名前を尋ねる自分を想像して、なぜだか胸が躍ってしまう。

 ――!!

 すると、ピッタリと視線が絡み合った。
 向こうもまさか目が合うとは思っていなかったのだろう。オリーブ色の目を見開いて、ぽかんと口を小さく開けている。

 ――なんだ……あの可愛い生き物は……?

 ディアルムドは呼吸の仕方を忘れてしまった。
 頭の先から爪先まで静電気のようなものが駆け巡る。

「ディアルムド殿下……?」

 金縛りが解けたのは、いったいどちらが先だったのか。
 後ろから話しかけられて、ディアルムドはつい目を逸らしてしまった。
 視線を戻したときには、彼女は先ほどのように……いいや、それ以上に食べる速度を上げたようだ。こちらを気にする素振りはもう見られなかった。
 なぜだかそれを不快に思う自分がいて……。

「許可もなく失礼しました。ずいぶんと驚かれているようでしたので……」

 声をかけてきたのはグロー公爵だった。
 招待客の中でも位が高い――三大公爵のうちの一人である。
 それだけに無碍にできない相手でもあった。
 領地にはあまり戻らず一年の多くを王都で過ごしているところを見ると、下を束ねる者としてふさわしい実力者かどうかは甚だ疑問だが。

「いいえ」

 自分でも思った以上に、低く冷たい声が出た。
 グロー公爵の肩がビクッと震える。

「も、もしや気になる娘でもいらっしゃいましたか?」
「…………その話はよしましょう。それで、何か用があったのではないですか?」
「どうでしょうか、我が娘は?」

 しかしグロー公爵は話題を逸らしたいこちらの意図を理解していないようで、急にへらへらと笑い出した。

「どう、とは?」

 見え透いた聞き方に、ディアルムドは溜息をつきたい気持ちになった。
 なんとか表情を取り繕って返すと、グロー公爵がわざとらしく咳払いをする。

「ダンスもよかったでしょう? 器量も自慢なのです。もちろん魔女としてもこの中では一番優秀なはずです。ブリギット、ここへ」

 グロー公爵に促されるまま前に進み出てきたのは、先ほど一曲踊った相手だった。
 ブリギット・シー・グロー――公爵の愛娘。
『エメラルド』と謳われるだけあって美しく、人形のような整った顔立ちをしている。

 ――確か……公爵にはもう一人娘がいたような……?

 ふと胸の内に疑念が芽生え、ディアルムドは首を傾げた。
 ここで問いただしてもいいが、グロー公爵の様子からしてブリギットを推したいというのは火を見るより明らか。
 第一ティールームで一人デザートに夢中になっている女性が、由緒正しいグロー家の縁者とも考えにくい。
 わずかに物思いに耽っていると、それを遮るようにブリギットがふんわりと微笑んだ。

「殿下、先ほどはどうもありがとうございました。本当はエスコートのほうもお願いできればよかったのですが、ダンスだけでもじゅうぶん楽しめましたわ」
「ブリギット嬢、あなたのような美しい人と踊る機会をいただけて私も光栄に思います」
「まあ、お上手ですこと!」

 社交辞令ということは彼女もわかっているのだろう。しとやかに笑いつつも頬を引き攣らせたのをディアルムドは見逃さなかった。
 踊っている最中もしきりに父親がパートナーだったことに不満を漏らしていたくらいだ。エスコートを断られたことに腹を立てているかもしれない。
 ディアルムドはさりげない嫌味を笑顔で躱すと、そういえば……と話を振った。

「公爵が言うには、あなたは優秀らしいですね。どこまで行けますか?」
「行ける……?」

 ブリギットがきょとんと目を丸くする。

「魔法使いならば魔法道具に頼らずとも転移くらいできますよね。どこまで可能ですか?」

 ようやく真意を理解したらしく、ブリギットがふんと鼻で笑った。

「もちろんですわ! この広い王城の外くらいは余裕で転移できます」

 自信たっぷりの言葉に、グロー公爵も嬉しそうに頷いた。

 転移は魔法の中でも魔力の消費が最も激しいと言われている。
 魔力量と転移距離は比例するため、優秀な魔法使いであるほどより遠距離へ――たとえば町から町へ、実際には通行手形が必要ではあるものの、理論上は国から国への転移も可能だ。
 もちろん魔力の温存を考えると、移動手段を魔法に頼ってばかりではいられないが。

「そうですか……」

 ディアルムドはゆっくりと首を横に振った。
 ブリギットの手を取った瞬間からわかっていたことだったが、たいして魔力を感じなかったのだ。
 彼女ほどの使い手は珍しくもなんともない。
 魔法使いが減って久しくなったとは言え、ずいぶんと甘やかされて育ってきたらしい。学校でも身分に胡座あぐらをかいていたのだろうか。
 そうとは知らずに自信満々なのが、かえって可哀想なくらいだった。

「『そうですか』って……感想はそれだけですの?」

 笑顔から一転、ブリギットが不満そうに口を尖らせる。
 グロー公爵も困惑して目を見開いた。

「ど、どういうことです? ブリギットほど殿下にふさわしい娘はいないのに……」

 ディアルムドはもう一度首を振り、今度は諭すように言った。

「貴殿も公爵ならば知っているでしょう。王家が優秀な妃を求める真の理由を」

 魔界へと通じる扉を守ってきたことは、王家に連なる公爵家が知らないはずがない。
 だがグロー公爵は納得がいかないようで、顔を顰めて「待ってください」と言った。

「そんなこと……殿下がじゅうぶんに対処なさっているではないですか。今までだってなんの問題もなかったはずです。これからも殿下のお力で――」
「何を言っているんです?」

 しつこく食い下がるグロー公爵に、ディアルムドはこれ見よがしに盛大な溜息をついた。
 彼は『問題ない』と言うが、実際は問題だらけだ。
 それに『おまえが対処すればいい』とは、遠回しに『死ね』と言っているのも同然ではないか。

「この話は終わりです、公爵。今宵のパーティーを楽しんでいきなさい」

 睨みつければ、さすがのグロー公爵も口を閉じるほかなかった。

 ――毎日花と菓子を贈るだって……? 相手を好きに……?

 いつの間にか、ディアルムドはティールームに目をやることができなくなっていた。

 本当はずっと彼女を見ていたかったのに。
 いいや、あそこへ行って彼女に声をかけたくてたまらなかったのに。
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