空を泳ぐ夢鯨と僕らの夢

佐武ろく

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雨、嵐、雷

雨、嵐、雷17

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 欄干に凭れる蒼空さんはそよ風に吹かれながら真っすぐ水平線の方を向いていた。そんな彼の(欄干を挟んだ)隣まで行くとおじいちゃんは欄干に両腕を乗せ体を少し凭れさせた。

「死ぬのか?」
「――まぁ」
「そうか。よくここには来るのか?」
「え? ――あぁ。まぁ……よくって程じゃないですけど」

 想像していない返しだったのか蒼空さんは吃驚した様子だったけどその質問にはちゃんと答えてくれた。

「儂は随分と久しぶりに来た。だがあの頃と変わらず良い景色だ」
「そうですね。良い景色です」

 だがそこに心からの感動はなく台本をただ朗読している。それはそんな声だった。

「長い時間が過ぎたというのにあの頃まま、何も変わってない。景色はな」
「それは仕方ないですよ。人間にとっては膨大な時間だとしても自然にとってはほんの誤差程度なんですから」
「そうだな。あの頃は儂も今より若かった。それに妻も一緒だった」

 少し言葉に詰まったような間が空いたが蒼空さんは僅かに恐々とした様子で口を開いた。

「奥さんはその……」
「病気だった」

 俺は祖母と一度もあった事が無い。俺が生まれる前にこの世を去ってしまったから。写真では見た事あるがどれも笑ってて、母さんも言ってたけどよく笑う人だったらしい。

「すみません」
「仕方ないさ。どうしようもないこともある。ただせめてもの幸運はそれまでに彼女の好きだった旅行を沢山出来たことぐらいだ。病に倒れる前に色々な国の色々な景色や食べ物などを一緒に楽しめて良かった。それが儂の最良の想い出だ」
「ここもその一つ何ですか?」
「そうだな。それで、お前さんは?」
「え?」
「お前さんの最良の想い出は何だ? 死のうとしているお前さんにも一つくらいあるだろ?」
「最良の想い出……」

 静かに呟いた蒼空さんは過去を振り返っていたのだろう少し黙り込んだ。
 それを何も言わず待っていると蒼空さんの口元が緩むのが見えた。

「実は僕、つい最近まで歌手として活動してたんだですけど、その夢を叶える為に一緒に頑張って来た友人がいて……」

 すると蒼空さんは少し黙り込み、それから続きを話し始めた。

「運もあって僕が先にデビューしたんですけど、その友人も僕より一年半遅れてデビューできたんです。その友人の初ライブに僕も呼んでもらって一緒に歌ったんです。色んな事があったけどお互いに夢を叶えてプロという意味では初めて一緒に歌ったんです。その瞬間が僕の人生の中で一番嬉しかったですね。今までしてきたことが意味を成したというか、苦労が報われたというか。そういう感情ももちろんあったんですけど、あいつと一緒に二人揃って成し遂げたっていうのが本当に嬉しくて……。それが最高の想い出です」
「それは良い想い出だ」
「はい」

 その時吹いた海風は少し暖かかったけどどこか寂しい香りがした。

「――そうか。お前さんは夢を叶えたのか。それは誇るべきことだ」
「今はもう手放しちゃいましたけどね。あれだけ苦労したのに」
「なら今のお前さんの夢はなんだ?」
「夢?」

 蒼空さんは呆れたように笑った。

「そんなもの無いですよ。持つ意味もないし」

 言葉と共に彼は崖下を見下ろした。

「それは勿体ない。夢は人を輝かせそして自由にするものだ」
「でも時には人を醜いモノに変えてしまうし、縛り付け、枷ともなりますよ」
「それは夢を見失ってるのかもしれないな。昔の船乗りを導いた北極星のように光り輝く夢もまた人々を導くものだ。そして夢へ懸命に向かっている時、人は自由になれる」

 顔を上げた蒼空さんは何も言わずただ遠くの水平線を見つめていた。その時、何を考えて何を想っていたのかは彼しか知らない。

「――お前さんは夢鯨を知っているか?」
「ゆめくじら? 鯨の一種ですか?」

 不意の単語に蒼空さんは首を傾げながら聞き返す。

「夢鯨は空を泳ぐ鯨だ」
「空を……?」

 顔を振り向かせた蒼空さんは訝しげな表情でおじいちゃんを見つめていた。その気持ちは俺にも手に取るように分かる。

「人々が持つ夢へのエネルギーの一部を食し、夢に満ちた結晶を吹き出す。それは夢無き者に気付かせ、光を失いし夢へ再度燈を灯し、夢見る者に更なる炎を与える。大きな巨体で空を泳ぐ様はさながら夢を運ぶ巨大飛行船」
「えーっと。映画とか? それとも小説に出てくる何かですか?」

 困惑した様子で苦笑いを浮かべる蒼空さん。それもまた手に取るように分かる。

「違う」
「じゃあそんな鯨が現実に存在するって言いたいんですか?」
「そうだ」
「――ということはもちろんあなたも実際に見た事あるんですよね? 夢とかじゃなくて現実で」
「当然だ」

 その堂々とした即答に蒼空さんは更に深く眉を顰める。

「何かの別名とかじゃなくて? 雲とかそういう何かの」
「いいや、違う」

 又もや即答で納得できそうな可能性を斬り捨てられた蒼空さんは腕を組み顎に手を添え自分を納得させられる別の何かを探しているようだった。

「見たいか?」
「え? まぁ――いや、でも……」

 そう言うと自分のここへ来た目的を思い出したのだろう視線を崖下へと向けた。
 するとおじいちゃんはそんな蒼空さんの腕を触れるように叩き再び視線を自分へ戻させた。

「何があったかは知らんが、お前さんは生きるか死ぬかという選択肢で死ぬ方を選だ。それは生きている限り人間がいつでも迫られている選択だ。朝起きた時、食事をする時、遊んでいる時も夜寝る前も。そして愛する者と一緒に居る時もな。殆どの人間はそれに気が付かず無意識で生きる方を選択しているが、死を意識した人間は改めてその選択肢と向き合うことになる。だが考えてもみろ。もしその選択で死ぬ方を選べばそれで全てが終わりだ」

 訴えかけるように少し両腕を広げたおじいちゃんは「そうだろ?」と言うような表情を蒼空さんへ向けていた。

「だが生きる方を選べばまた、その選択肢を選ぶ機会がある。つまりもしお前さんがその選択をする時に少しでも迷ったのならば生きるを選んだ方が得だ。生きればまたその選択肢を選択することが出来る。だが死を選べばそれで終わりだ。やはりこれにすべきじゃなかったと思ってもどうにもならない。迷ったら――いや、生きるか死ぬかその選択肢から選択しようとしている時点で生きる方を選んで振出しに戻り、また選択する時がきたのならまた生きる方を選び振出しに戻る。その方が儂は得だと思うがな」

 おじいちゃんは少しだけ間を空けてから最後の言葉を口にした。

「さて、今のお前さんの選択肢は飛ぶか止めるか夢鯨を見るかのどれかだ。どうする?」
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