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第一章:夕顔花魁
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「そうやな。こうやって面と合わせる事はもう二度とあらへん。なのに、まことになもせんでええんでありんすか?」
そう言いながら彼の手を取り自分の胸元へ滑り込ませ素肌に触れさせた。(緊張の所為か)彼の手は思っていたより熱い。
「自分で言うのもなんでありんすがこなたの吉原で一番の遊女でありんすよ?」
私の声が届いているのかいないのか赤面し微かに瞠目した彼は瞬きひとつせず固まってた。だがそれもほんの一瞬。機械仕掛けの体を切り替えるように瞬きをすると顔を横へ。
そんな彼の顔へ手を伸ばした私は、私と目が合うようにすぐ元の向きに戻した。その触れた頬は胸元にある手より熱かった。
「みな最高位花魁といわす地位にあるこなたの体との偽りの愛を求めて、あないな大金を払うんでありんすよ。なんべんも。そやのに主は触れもしいひんのでありんすか?」
何かを言おうと口が開くが言葉はすぐには出てこなかった。そんな遅刻している言葉を待つ間、私はその一人待ちぼうけている唇を指でなぞる。
「――あの……。ごめんなさい。失礼ですよね。こんなの。三好で料理を食べないのと同じで」
「わっちの事、料理や思てるんでありんすか?」
「い、いえ! そんな事ないです! ただの例え話のつもりだったんですけど……ごめんなさい」
「冗談でありんすよ」
「でも酒宴も開いてないのにここでも何もしないって失礼ですよね。だけどこうやって会えるのは今夜しかないからこそそうい事はしたくないって言うか……」
「そないな事はないでありんすよ。つまるとこ、主さんをその気にさせる程の魅力がわっちにはないっゆー事でありんすよね?」
「そんな! 夕顔さんは魅力的です! とっても!」
さっき同様の慌てっぷりが可笑しくて私はつい笑いを零してしまった。それで言葉にするまでもなく冗談だと伝わったのだろう、彼は安堵の表情を見せた。
するとホッとひと息零した彼は私の胸元から手を抜き取ろうと力を入れ、私もその力に従い触れたまま一緒に手を外へ。そして彼は(胸元へ入っていた手に触れていた)私の手を両手で包み込むように握った。
「僕はただ夕顔さんと言葉を交わして、夕顔さんの事をもっと知って。そしてもっと近くで見たかっただけなんです」
それは真っすぐな穢れ無き目。私とは、普段の男たちとは違った目。美しくて綺麗なまるでここへ来たばかりの禿のような目だった。
「でも――」
私は唇に触れていた指を口の前で立て言葉を遮った。
そしてそのまま横に寝転がると彼の方へ体を向けた。手は握ったまま。
「それで? 何が知りたいんでありんすか?」
「え?」
「わっちの事が知りたいんでありんすよね? 何が知りたいんでありんすか?」
「あっ。えーっと。――好きな食べ物って何ですか?」
ふふふ、と零れる笑み。
でもこれで良かったのかもしれない。ただ少しでもその純白さに近づきたいという私の我が儘の所為で彼が穢れてしまわなくて。
「そうでありんすね 。好きな食べ物でありんすかぁ……」
それから私はこの吉原に来て初めての夜を過ごした。寝転がりただ言葉を交わし、いつの間にか眠りに落ちる。普通ならなんてことないただそれだけの夜。でもこの日は今までで一番よく眠れた。
そして気が付けば朝が来て目を覚ます。いつも通りの時間帯に。
「あれ? 起こしちゃいました?」
だがそれはまたしてもこの吉原に来てから初めての体験だった。目が覚めるとそこには既に起きた八助さんが笑みを浮かべ立っていたのだ。いつもならお客より早く起きて、その後にお客を起こす。これまで一度たりともお客より遅く起きたことは無い。はずだったのに。
「おはようございます」
「えろう早起きでありんすね」
「いつもの癖で目が覚めたので。それに僕もう店に戻らないと」
「せやったら下まで送らしてもらいんす」
「いえ! 出る時は一人でって言われてるので」
私の頭には秋生の顔が浮かんだ。バレないようにだろう。
「なので夕顔さんはもう少し寝てて大丈夫ですよ。どうぞごゆっくり」
そう言って彼は襖の方へ歩き出した。
「少うし待ってくんなまし」
襖の前で八助さんを立ち止まらせた声と共に立ち上がった私は彼の前まで足を進めた。
「またおいでなんし。ってまことは言うんでありんすがね」
「僕にはもうまたは無いんで。残念ですけど」
「そうやな。わっちも残念けれど――」
そして私は八助の頬にそっと唇を触れさせた。
「おさればえ、八助はん」
彼はそれを確かめるように頬に軽く手を当てると視線を私の方へ。微かに口を開きながらただ私を見つめていた。ほんの枯れ葉がひらり地へ落ちる間だけ。
「ありがとうございました」
そしてお礼を口にした八助さんは襖を開け部屋を後にした。いつもなら後朝の別れをしに大門まで行くのに今日はこのまま体を休められる。私はその事に少し不思議な気持ちになりながらも布団へと戻った。
だが一度、障子窓の方を見遣ると少し立ち止まり、それからその方へ歩き始めた。そして障子窓へと手を伸ばす。だが、障子窓には触れただけで開けはせず、私は布団へと戻った。
そう言いながら彼の手を取り自分の胸元へ滑り込ませ素肌に触れさせた。(緊張の所為か)彼の手は思っていたより熱い。
「自分で言うのもなんでありんすがこなたの吉原で一番の遊女でありんすよ?」
私の声が届いているのかいないのか赤面し微かに瞠目した彼は瞬きひとつせず固まってた。だがそれもほんの一瞬。機械仕掛けの体を切り替えるように瞬きをすると顔を横へ。
そんな彼の顔へ手を伸ばした私は、私と目が合うようにすぐ元の向きに戻した。その触れた頬は胸元にある手より熱かった。
「みな最高位花魁といわす地位にあるこなたの体との偽りの愛を求めて、あないな大金を払うんでありんすよ。なんべんも。そやのに主は触れもしいひんのでありんすか?」
何かを言おうと口が開くが言葉はすぐには出てこなかった。そんな遅刻している言葉を待つ間、私はその一人待ちぼうけている唇を指でなぞる。
「――あの……。ごめんなさい。失礼ですよね。こんなの。三好で料理を食べないのと同じで」
「わっちの事、料理や思てるんでありんすか?」
「い、いえ! そんな事ないです! ただの例え話のつもりだったんですけど……ごめんなさい」
「冗談でありんすよ」
「でも酒宴も開いてないのにここでも何もしないって失礼ですよね。だけどこうやって会えるのは今夜しかないからこそそうい事はしたくないって言うか……」
「そないな事はないでありんすよ。つまるとこ、主さんをその気にさせる程の魅力がわっちにはないっゆー事でありんすよね?」
「そんな! 夕顔さんは魅力的です! とっても!」
さっき同様の慌てっぷりが可笑しくて私はつい笑いを零してしまった。それで言葉にするまでもなく冗談だと伝わったのだろう、彼は安堵の表情を見せた。
するとホッとひと息零した彼は私の胸元から手を抜き取ろうと力を入れ、私もその力に従い触れたまま一緒に手を外へ。そして彼は(胸元へ入っていた手に触れていた)私の手を両手で包み込むように握った。
「僕はただ夕顔さんと言葉を交わして、夕顔さんの事をもっと知って。そしてもっと近くで見たかっただけなんです」
それは真っすぐな穢れ無き目。私とは、普段の男たちとは違った目。美しくて綺麗なまるでここへ来たばかりの禿のような目だった。
「でも――」
私は唇に触れていた指を口の前で立て言葉を遮った。
そしてそのまま横に寝転がると彼の方へ体を向けた。手は握ったまま。
「それで? 何が知りたいんでありんすか?」
「え?」
「わっちの事が知りたいんでありんすよね? 何が知りたいんでありんすか?」
「あっ。えーっと。――好きな食べ物って何ですか?」
ふふふ、と零れる笑み。
でもこれで良かったのかもしれない。ただ少しでもその純白さに近づきたいという私の我が儘の所為で彼が穢れてしまわなくて。
「そうでありんすね 。好きな食べ物でありんすかぁ……」
それから私はこの吉原に来て初めての夜を過ごした。寝転がりただ言葉を交わし、いつの間にか眠りに落ちる。普通ならなんてことないただそれだけの夜。でもこの日は今までで一番よく眠れた。
そして気が付けば朝が来て目を覚ます。いつも通りの時間帯に。
「あれ? 起こしちゃいました?」
だがそれはまたしてもこの吉原に来てから初めての体験だった。目が覚めるとそこには既に起きた八助さんが笑みを浮かべ立っていたのだ。いつもならお客より早く起きて、その後にお客を起こす。これまで一度たりともお客より遅く起きたことは無い。はずだったのに。
「おはようございます」
「えろう早起きでありんすね」
「いつもの癖で目が覚めたので。それに僕もう店に戻らないと」
「せやったら下まで送らしてもらいんす」
「いえ! 出る時は一人でって言われてるので」
私の頭には秋生の顔が浮かんだ。バレないようにだろう。
「なので夕顔さんはもう少し寝てて大丈夫ですよ。どうぞごゆっくり」
そう言って彼は襖の方へ歩き出した。
「少うし待ってくんなまし」
襖の前で八助さんを立ち止まらせた声と共に立ち上がった私は彼の前まで足を進めた。
「またおいでなんし。ってまことは言うんでありんすがね」
「僕にはもうまたは無いんで。残念ですけど」
「そうやな。わっちも残念けれど――」
そして私は八助の頬にそっと唇を触れさせた。
「おさればえ、八助はん」
彼はそれを確かめるように頬に軽く手を当てると視線を私の方へ。微かに口を開きながらただ私を見つめていた。ほんの枯れ葉がひらり地へ落ちる間だけ。
「ありがとうございました」
そしてお礼を口にした八助さんは襖を開け部屋を後にした。いつもなら後朝の別れをしに大門まで行くのに今日はこのまま体を休められる。私はその事に少し不思議な気持ちになりながらも布団へと戻った。
だが一度、障子窓の方を見遣ると少し立ち止まり、それからその方へ歩き始めた。そして障子窓へと手を伸ばす。だが、障子窓には触れただけで開けはせず、私は布団へと戻った。
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