吉原遊郭一の花魁は恋をした

佐武ろく

文字の大きさ
13 / 55
第二章:三好八助

6

しおりを挟む
 店に戻るとそこには休憩中の源さんが湯呑を片手に座っていた。

「ただいま」
「戻ったか」

 僕はそのまま彼の向かいに腰を下ろす。

「それで? どうだったんだ?」
「うん。良い想い出が出来たかな」
「それは良かったな」

 源さんはそう微笑むと湯呑みを口まで運んだ。
 僕はその湯呑みに書かれた一字を眺めながら昨夜の事、そして別れ際の事を思い出していた。

「どうした?」

 いつの間にか卓上へと湯呑みが戻ったのも気が付かぬ程ぼーっとしていた僕を源さんは伺うような表情で見ていた。

「いや。別にちょっと……」
「もう二度はないぞ。絶対にな」

 僕の心を見透かしたように彼はそう言った。

「それは分かってる。だからもう完全に終わった気がして。なんか変って言うか複雑な気分」

 悲しみとは違う喪失感って言う訳でもない、それは初めて経験する気持ちだった。

「人生において挑戦する事は大事だが、いくら頑張ろうとも望む通りの結果が出ない時もある。色々と思う事もあるだろうがどう足掻いても結果は変えられん。むしろその分、次への出発が遅れてしまう。諦めない事も大事だがそれと同じぐらい諦める事も大事だ。希望を持つ事は大事だがそれと同じぐらい絶望もあると知っておく事も大事だ。立ち止まるなとは言わんが歩き出さないと次が何も始まらない」
「分かってる。別にどうこう出来るなんて思ってないし」
「ならその気持ちを忘れられるぐらい集中出来る目標を見つけろ」
「うん。――とにかく今回はありがとう。源さんのおかげで叶った訳だし、それに借りた分もちゃんと返すから」
「確かにあれは貸したが金を貸したわけじゃない」
「でも借りたのはお金だよ?」
「金はいい。だが貸しひとつだぞ?」

 源さんは人差し指を立て見せるとその指で僕を指差した。

「なんかお金より厄介そうだけど。分かった。ちゃんと返すよ。ありがとう」
「礼はいい。あの話も知ってるし、お前さんがずっと見てたのも知ってる。それに頑張ってたのもな」
「確かによく見てたけど、でもここじゃほとんどの男の人はあの人を見てるよ。外歩けばあっという間に人の道が出来る」
「まぁそれは否定しようがない事実じゃな」
「それより残りの準備は僕がやるよ」

 僕はそう言って立ち上がったが「儂もやる」と彼もまた腰を上げた。そしていつもの日常と何ら変わらぬ朝と合流した僕は非日常からあっという間に連れ戻されてしまった。
 でも別に毎日のように朝早くから夜遅くまで三好で源さんと働くこの日々は嫌いじゃない。ただ前とはどこか違った気がするのは――未だにあの日の夕顔さんの笑みを忘れる事が出来ないのは何故だろう。ふとした瞬間、無意識的に頭に浮かぶあの光景。同時に海の向こうにある世界のように言葉に出来ない感情が僕の中で渦巻き始める。やっぱり一度でも会ってしまったのは間違いだったかと思ってしまう。でも記憶に残るあの日は否定しようがない程に最高なモノだった。
 そんなある日。僕は筆を取っていた。そして流れるように紙の上を走らせていた。こんな事していいのか分からないけど――いや、駄目だとは思うけど僕は決意と共に感情を認めた。

「八助! 出来たぞ!」
「今行く」

 僕は店へ下りると源さんの作った料理が乗った足膳を確認した。

「今日は届けてくれと頼まれてるんだ。吉原屋まで頼む」
「分かった」
「気を付けろよ。でも早くな」
「了解」

 そして源さんは台所へ戻り僕は足膳を持ち上げる――前にさっきの手紙をこっそり天ぷらの乗ったお皿の下に忍び込ませた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

愛のかたち

凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。 ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は…… 情けない男の不器用な愛。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...