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第三章:夕日が沈む

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 するとその時の事を思い出していたらふと手紙の内容は大丈夫だったかという懸念が頭を過った。普段は送った手紙なんて考えもしないのに。でも今更書き換える事も出来ないが(と言うかそんなつもりもない)自然と内容が読み返すように浮かぶ。

『お手紙読ませていただきんした 。最初は驚きんしたけど嬉しかったでありんす。
 わっちは本日この時まで数たくさんの男たちと夜を過ごしてきんしたが、あの日のような夜は一度もありんせんでありんした。主さんは一緒に楽しんでくれてるよう振る舞ってくれていたと言っていんしたが、振りなどではなくまことに楽しかったでありんす。主さんがお客でありんすから無理に笑ったといわす訳ではなくて、まことに楽しかったから零れた自然の笑みでありんす。それだけは誤解してほしくありんせん。むしろ普段のお客の方が手数なんでありんすよ。でも今の言葉はお客の機嫌を損ねるかもしりんせん上に怒られてしまうのでどうか内密にお願い致しんす。お客を選ぶ権利があるとは言えいなくなっては困りんすので。
 主さんはわっちが楽しんでいないかもしりんせんと言っていんしたが、わっちはちゃんと主さんを満足させられたか僅かながら気にかかっておりんした。普段は酒宴で気分を高ぶらせ、それを発散させるように体を重ね合わせる。そいでそこにはまるでわっちが彼を心の底から愛していんすかのような演技があり偽りの愛がありんす。男たちはそれを求め、わっちはそれに答える。でありんすが、あの夜は酒宴も無ければ主さんと触れ合う事もありんせんでありんした。ただ手を握り締め、言葉を交わしただけでありんす。主さんは楽しそうにしていんしたが、わっちはまことに満足させられたのか正直分かりんせん。わっちは主さんの思い描いた通りの女でありんしたか? そいであの夜は主さんの思い描いたような夜でありんしたか? もしよければ正直な気持ちをお聞かせくんなまし』

 それが私の正直な気持ちだったのかは分からない。私は本当に知りたいのか。それともただあの夜がいつもと違かったから遊女として気になっただけなのか。私には分からない。聞いたからと言ってあのような夜が今一度来ることはないのに。
 それか、もしかしたらこれは私に染み付いた癖なのかもしれない。また選ばれるように興味ある振りをしてきた私の癖が手紙を書いている内に自然と零れ墜ちたのかも。それはあの時と同じように、私とは違い穢れの無い彼に少しでも近づこうとしているだけなのかもしれない。その為に興味がある振りをし気を引こうとしているだけなのかも。
 分からない――でもやっぱりそれが一番納得できる今の気持ちだ。あと候補があるとすればただ会話をして楽しむだけという普通の行為がどんな男と交わるより快楽的で悦に浸り忘れられず、私の中で特別なモノとなっていったのかもしれない。
 だけどあの手紙の真意が何だったにせよもう送ってしまい取り消すことは出来ない。私は来るかどうか分からない返事を均衡した天秤の上に乗る期待と不安を胸にただ待つのみ。
 でも現実は想像通りにいかないことの方が多い。私は返事が来ないかもと思いつつも心のどこかでは数日後にまたお皿の下から手紙が出てくると思っていた。そう期待していた。
 だけど現実は違った。
 実際にはその翌日にお皿の下から同じように手紙が出て来たのだから。前回と同じように『夕顔さんへ』と書かれた文字。私は気が付けば口元を緩めていた。そして箸を置くと朝食より手紙を優先した。

『まさか返事が貰えるとは思ってもなかったです。ありがとうございます。実はあの手紙を忍ばせた料理を運び店へ帰った後、少し後悔の念に胸を突かれるのを感じていたんですが、返事を貰えてあれはただの不安だったんだという事に気が付きました。そしてその不安も夕顔さんが楽しんでいたという事を知った途端、風に吹かれどこかへ消えてしまいました。それどころか今では胸が弾むのを感じます。
 一方であなたの中にそのような不安の種があったことに正直言うと少し驚いています。あれは全て僕の望んだ事でそれをあなたは叶えてくれたんです。この上ない幸福と満足感はあれど不満や落胆等の気持ちは一切ありません。ましてやあなたのような女性が相手をしてくれたというのにあるはずがない。なのであの夜僕は満足しかなかったと言い切ることが出来ます。気にしないでください。むしろそれを伝えきれなかったことを申し訳なく思います。
 ですが最後のあなたとあの夜が思い描いていた通りかという質問には首を振るしかありません。正直に言うとあの夜もそして夕顔さんも僕がずっと思い描いていたものとはかけ離れていた事は事実です。なぜなら僕の思い描いていたものなど無に帰す程に素敵な女性と最高の夜だったからです。思い描いていたものよりも遥かに良いものでした。思い描いていた通りだなんてとても言えません。本当にあなたという女性は素敵な人でした。あなたとの時間を過ごす為に皆が挙って大枚をはたくのも頷けます。
 なので改めてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました』

 手紙を読み終えると私は安堵の溜息を笑みを浮かべながら零していた。これまで数多くの男に最高の女だと言われてきたが、彼の素敵な女性という言葉に勝るものが無いのはやっぱり八助という男とは唯一無二の夜を過ごしたからなんだろうか。遊女としてではないような初めて体抜きの、偽りの愛抜きの夜だったからだろうか。どこか私という一人の女性が褒められた気がしたのは単なる気のせいなのだろうか。
 答えの見つかりそうにないそんな疑問を胸に私は前回と同じ引き出しに手紙を仕舞うと冷め始めた朝食に箸を伸ばした。

「へぇー。珍しいじゃん」

 だけど箸先が汁に触れる寸前で聞こえた声。しかも耳元で。体を跳ねさせた私は後ろを振り向いた。そこに居たのは自分の分の料理を持った蛍。この吉原屋の上級花魁で私とは昔馴染みの仲だ。

「全く、驚かせんといて」
「いや、別に驚かせる気は無かったんだけど」
「人ん部屋に入る時は一声ぐらいかけてくれるやろか?」
「かけたよ。もちろん。でも返事なかったから覗いてみたら興味深い表情浮かべて手紙見てたからさ」

 蛍はそう言いながら私の隣に足膳を置き腰を下ろした。
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