文字サイズ
小
中
大
特大
8 / 8
第一章:枯木逢春〜こぼくほうしゅん〜
第五話◆挿絵有
早朝、和泉は一人で登校した。
朝のひんやりした空気と、降り注ぐ春の日差し。朝の始業まではまだ時間がある。そして、目的の場所へ一直線に向かう。
昨夜、世羅が初登校した和泉を労った時に言ったのだ。
ーーー校舎入ってすぐ、大きな体育館あるでしょ。あそこの裏にちょっと小さい体育館あるんだ。第二体育館って言うんだけど。
明日の朝、ちょっと早くに行ってそこ覗いてみて。古い体育館雑草とかも生えてるけど、鍵は空いてるはずだから。
世羅の真意は読み取れないものの、わざわざ世羅が教えてくれた理由は絶対にあると確信して、和泉は第二体育館に向かう。
グラウンド横に立つ大きな体育館の渡り廊下の向こう、やや背の高い雑草がしげり、日の当たらない通路のその先に、かなり小さな、所謂ミニ版の体育館のような施設がある。そこに続く通路だけ、草が伸びきっておらず人が出入りする気配がぎりぎり見て取れた。
ぴょんぴょんと跳ね回る小さなバッタを踏まないように避けながら近づくと、第二体育館の中から何かの弾む音が聞こえてきた。重たい何かと、地面が響く、一定のリズム。
錆びている入口の扉を開けると、中は朝日が差し込んでいて、外から見るよりも明るかった。
そして、視界に入ってきたのは、陽の背中。制服ではなく、オーバーサイズのゆるっとしたTシャツにハーフパンツ、見慣れないグレーのシューズ。入口からちょうど背を向けていた。
不意に、手のひらよりも大きな茶色のボールを抱えたかと思うと、放る。空中に放たれたボールはそのまままっすぐ正面、高いところに設置してある網のようなものにぽすりと入った。
網を潜り、また地面に落ちてあの重たい音を響かせるボール。その音は先程まで規則正しく聞こえていた音と同じ。
地面に弾んでいるそのボールを手に取るのではなく、弾ませて手元に寄せつつ、陽は振り向く。かち合う視線で、和泉の姿を認識して、一瞬驚いた表情をしたものの、どこか安堵したような表情にも見えた。
「……はよ。」
「おはよう。邪魔、だった?」
「いや。
……怪我で謹慎くらったから、身体なまらせないように動かしてるだけ。」
「それは、何をしてるの?」
これまで見てきた鍛錬とはまるで違う。見たことは無いけれど、ボールを弾ませる所作も、放り投げる動作も、まるでそれが当然のように染み込んでいる動きだった。
意図がわからずとも、それらに意味があって、やっているものだとわかる。
「バスケ。」
「ばすけ……」
「五人チームで戦う球技。さっきみたいに、ボールをあのネットに入れたら得点。その点を取り合う。当然、相手チームに点を取らせないために妨害したりする。」
「でも一人がずっとボール抱えていったら取られないんじゃない。」
「それは反則。ボール持って三歩歩いたらアウト。だからこうやって、ドリブルしたり、ステップ入れたり、パス回したり。」
「どり、ぶる……すてっぷ……」
聞きなれない言葉を反芻する。なにやら難しそうだと思い眉間に皺が寄る。考え込む和泉を見て、陽が吹き出した。
「いやいいよ覚えなくて。テキトーに聞き流しといて。」
「見てていい?」
「……別に面白くないと思うけど。一人だから、試合するわけでもないし。」
「ううん、平気。見てたい。ここなら、離れてるから平気だよ。
あ、その、見られてて嫌なら、出てくけど。」
「……お前がいいんなら、いい。」
視線を逸らしながら、告げられたその許可に少し微笑みを浮かべながら、和泉はその場に腰を下ろした。体育館の床から、ボールの弾む振動が床を伝って全身に響く。教室にいるよりも距離は遠いけれど、近く感じる。また、怒らせてしまうかもしれないと緊張していた心が、やんわりとほぐれていく。
さっきみたいな、遠くの距離から弧を描いてボールを入れるやり方もあればギリギリまで近づいて、まるでボールをゴールに載せるようにいれるやり方もある。色んな方法でボールをゴールに入れる様子をただじっと見ていた。
ずっと見ていられると思っていたその時。扉が開く音がして、振り向く。そこにいたのは、Tシャツにハーフパンツ姿の陽と似たような格好にもう1枚赤いノースリーブ(数字の4と大きくプリントされている)を上から着ている。短髪と言うには長い、むしろ坊主頭に近く、高身長な彼は、陽の姿を視界に入れると同時に、声高に叫んだ。
「やっぱりそうだーーーッ!!」
思っていたよりも明るい声が朝日の差し込む第二体育館にうわんと響く。
「朝練来たら、第二体育館の鍵がないから!!もしかしてって思ったけど!やっぱり!五十嵐先輩!!」
「……………。」
「あっさすがに覚えてないすか!俺っす、駒込蓮太朗!!ジュニアチームの時同じだったんすけど!!SFだったんすけど!!」
「や、覚えてる。コマだろ。」
やや気圧される形になりながら陽が呼んだその相性に、コマ、と愛称で呼ばれた蓮太朗はぱっと表情を明るくする。
「よかった!覚えててくれて!!相変わらずその3P決めれるの、健在っすね!!」
「マグレだよ。だいぶ感覚は落ちてる。つうかコマは、朝練しに来たんならこっちじゃねえだろ。」
「いやいや先輩いるならこっちがいいっす!
……と、あれ?」
蓮太郎の黄土色の瞳が、和泉を視認した。興奮のあまり、ついぞ今まで陽の他に人がいることに気づいていなかったようだった。
「アンタ、先輩の彼女すか?」
ふっと、その声音が低くなる。さっきまでの明るい表情が一気になりを潜める、何かを見定めるような視線。そして、一体何を問われているのか、彼女のワードを知らない和泉にはわからない。急に、心が波打つ。
「え……。あの、彼女、て……」
「お、違うんすね!?よかったーーー!!なんか学校で変な噂聞くから焦ったっすよ!!
先輩、バスケ、またやるんなら体育館!一緒に朝練しましょーよ!」
何かを納得し、強引にひっぱっていこうとする蓮太朗に、陽はその手を振りほどいた。
「コマ。……バスケは、もうしねえから。お前は戻れ。」
「えっ。」
しん、と静まり返った中、響くチャイムの音。予鈴だ。あと五分で本鈴。つまり、その時点で教室にいないと遅刻になってしまう。陽が汗をタオルで拭いながら言う。
「和泉。先戻ってろ。汗拭いてから行く。オレは走れば本鈴間に合うから。」
「う、うん。」
なんとなく、居心地の悪さを感じて和泉は少し後ろ髪をひかれながらも、第二体育館を後にした。
陽を知ってる蓮。立て続けに出てきた知らない言葉たちはきっとバスケの固有名称で、彼のことは愛称のように呼んでいた陽。さっきまで居心地が良かった狭い第二体育館が、急にざらりとした感情に覆われた。
知らない言葉、知らない行動、知らない関係。そんなもの、あって、当たり前なのに。そこに自分がいないのが酷く空虚に感じてしまった。
*****
教室に駆け込んだ直後、本鈴が鳴る。
「水無瀬さん、大丈夫?」
前の席のちえりが心配そうにしている。
「へ、平気……!」
「あれ、五十嵐くんとは、一緒じゃないんだ?」
「え、あれ?すぐ追いつくって言ってたのに……!」
蓮太朗とまだ、話しているのだろうかと思うものの、蓮太朗だって同じ学生なのだから授業はあるか、と思案の百面相をしているのを見て、ちえりは笑った。
「あはは、カマかけたつもりだったのに、否定しないんだ。ま、これだけ噂になってるし、そっか……水無瀬さんって面白いね。」
「あまり、良くないの?噂になるの。」
「ああ、咲絢たち、そのままの意味でも声が大きいからね。そんな気にしなくていいと思うよ。でも、根も葉もない話が勝手に出回るのは、いい気分じゃないよね。」
「私は、別に……。
ただ、陽が、いい気はしてないみたいだから、やめてもらえるならやめさせたいけど。」
「意外。そうゆうの、五十嵐くん気にするんだ。
んー……これは勘なんだけど。水無瀬さんのためなんじゃない?」
存外鋭いちえりの発言に、和泉も固まる。分かってはいても、第三者からそう言われると何も言えなくなる。
「慣れない学校って場所で、変な噂に惑わされないようにって。違うかな。言いたくなかったら言わなくてもいいけど。話して楽になるなら、置物だと思って話してよ。
私も、母が亡くなって辛かった時、聞いてもらったら楽になったから。」
和泉には、ちえりの藤色の瞳がほんの少しだけ、寂しさだけじゃない光を帯びたように、見えた。本当は刺激をしない方が、いいのかもしれない。でも今ここでその翳りを見ないふりはできなかった。理由を知っているから、目を逸らしたくなかった。
「誰に?」
「あれ、誰だっけ。忘れちゃった。」
そう言ってちえりはふわ、と微笑む。誰かじゃない。それは誰よりも優しくて、友達思いな陸のことだ。その名前を思わず口に出しそうになったそのすんでのところ、教室に担任が入ってきた。ちえりは前に向き直り椅子をひく。
案の定、陽は遅刻だったが、特に急ぐ様子もなく教室に入ってきて既に授業をはじめている教師に小言を言われていた。もちろん、そんな小言程度、一切動じていないのだが。
こうして今日も、学校という一日が始まっていく。そして休み時間になると咲絢たちが声をかけてくるのはルーティン化した。学校の授業のこと、部活動のこと、ひいては校舎の案内までしてくれた。校舎の中は、まえ駆けずり回ったおかげで大分覚えてはいるものの、その好意をありがたく受け取っておく。なにより、人で賑わい日差しが差し込む明るい校内は、あの時とは同じ場所とは思えないくらいに輝いていたから。
「あれ、一緒じゃないんだ?もしかして喧嘩した?とか??」
下校時刻。一人で下駄箱からローファーを出して履いていた和泉に声をかけたのも、咲絢だった。そこで、きっとおどけられれば咲絢という人物は笑って過ぎていってくれると思ったものの、取り繕うことができなかった。暗い顔を見せないために、少し視線を逸らすことが精一杯だった。
「えっ!あの、冗談のつもりだったんだけど、あの……ごめん。」
「ほらぁ、咲絢がそうやって弄るから。」
当然のようにいる奏穂が、咲絢を小突く。
「ううん、違うの。私が、ちょっと怒らせてるだけ。いつもの、ことだから。」
「いつも怒らせてる!?そんなことで怒る方が悪くない!?心狭すぎない!?え、てゆうかそれ大丈夫?DV彼氏?」
「違う違う、あの、いつもは優しいんだよ。その……」
思わぬ矛先が陽に向いたことを慌ててフォローしようとして続かない。優しいと言える具体例が、普通の人間に言っていい内容を明らかに超えている。その不安げな和泉の表情を、咲絢は見たまま受け取った。
「ゴメン。私、謝ってくる!!」
「咲絢!?ちょっ……もう~さすがバスケ部、ここぞの瞬発力足なんだから……!!」
「バス、ケ。」
朝、陽がやっていた。
学校には部活動があって、好きなスポーツをやっている子たちがいると。バスケもそうで、男子バスケ部と、女子バスケ部があることを聞いた。
「そだよ~咲絢はバスケ部キャプテン。ちなみに私は演劇部~!」
ほわほわっとした雰囲気で奏穂は和泉に言う。
「あの、ね。ずっと病気で、学校に慣れてない子が来るって話を聴いてから、咲絢ずっと気にしてたんだ。だから少しでも馴染めるようにしたかっただけなの。やり方がちょっと下手くそすぎるんだけど。だから、悪く思わないであげて、ね?」
「大丈夫。ありがとう、鷺沼さん。」
「カホでいいよ。和泉ちゃん。」
奏穂の綻ぶような笑顔に、釣られて和泉も笑った。
朝のひんやりした空気と、降り注ぐ春の日差し。朝の始業まではまだ時間がある。そして、目的の場所へ一直線に向かう。
昨夜、世羅が初登校した和泉を労った時に言ったのだ。
ーーー校舎入ってすぐ、大きな体育館あるでしょ。あそこの裏にちょっと小さい体育館あるんだ。第二体育館って言うんだけど。
明日の朝、ちょっと早くに行ってそこ覗いてみて。古い体育館雑草とかも生えてるけど、鍵は空いてるはずだから。
世羅の真意は読み取れないものの、わざわざ世羅が教えてくれた理由は絶対にあると確信して、和泉は第二体育館に向かう。
グラウンド横に立つ大きな体育館の渡り廊下の向こう、やや背の高い雑草がしげり、日の当たらない通路のその先に、かなり小さな、所謂ミニ版の体育館のような施設がある。そこに続く通路だけ、草が伸びきっておらず人が出入りする気配がぎりぎり見て取れた。
ぴょんぴょんと跳ね回る小さなバッタを踏まないように避けながら近づくと、第二体育館の中から何かの弾む音が聞こえてきた。重たい何かと、地面が響く、一定のリズム。
錆びている入口の扉を開けると、中は朝日が差し込んでいて、外から見るよりも明るかった。
そして、視界に入ってきたのは、陽の背中。制服ではなく、オーバーサイズのゆるっとしたTシャツにハーフパンツ、見慣れないグレーのシューズ。入口からちょうど背を向けていた。
不意に、手のひらよりも大きな茶色のボールを抱えたかと思うと、放る。空中に放たれたボールはそのまままっすぐ正面、高いところに設置してある網のようなものにぽすりと入った。
網を潜り、また地面に落ちてあの重たい音を響かせるボール。その音は先程まで規則正しく聞こえていた音と同じ。
地面に弾んでいるそのボールを手に取るのではなく、弾ませて手元に寄せつつ、陽は振り向く。かち合う視線で、和泉の姿を認識して、一瞬驚いた表情をしたものの、どこか安堵したような表情にも見えた。
「……はよ。」
「おはよう。邪魔、だった?」
「いや。
……怪我で謹慎くらったから、身体なまらせないように動かしてるだけ。」
「それは、何をしてるの?」
これまで見てきた鍛錬とはまるで違う。見たことは無いけれど、ボールを弾ませる所作も、放り投げる動作も、まるでそれが当然のように染み込んでいる動きだった。
意図がわからずとも、それらに意味があって、やっているものだとわかる。
「バスケ。」
「ばすけ……」
「五人チームで戦う球技。さっきみたいに、ボールをあのネットに入れたら得点。その点を取り合う。当然、相手チームに点を取らせないために妨害したりする。」
「でも一人がずっとボール抱えていったら取られないんじゃない。」
「それは反則。ボール持って三歩歩いたらアウト。だからこうやって、ドリブルしたり、ステップ入れたり、パス回したり。」
「どり、ぶる……すてっぷ……」
聞きなれない言葉を反芻する。なにやら難しそうだと思い眉間に皺が寄る。考え込む和泉を見て、陽が吹き出した。
「いやいいよ覚えなくて。テキトーに聞き流しといて。」
「見てていい?」
「……別に面白くないと思うけど。一人だから、試合するわけでもないし。」
「ううん、平気。見てたい。ここなら、離れてるから平気だよ。
あ、その、見られてて嫌なら、出てくけど。」
「……お前がいいんなら、いい。」
視線を逸らしながら、告げられたその許可に少し微笑みを浮かべながら、和泉はその場に腰を下ろした。体育館の床から、ボールの弾む振動が床を伝って全身に響く。教室にいるよりも距離は遠いけれど、近く感じる。また、怒らせてしまうかもしれないと緊張していた心が、やんわりとほぐれていく。
さっきみたいな、遠くの距離から弧を描いてボールを入れるやり方もあればギリギリまで近づいて、まるでボールをゴールに載せるようにいれるやり方もある。色んな方法でボールをゴールに入れる様子をただじっと見ていた。
ずっと見ていられると思っていたその時。扉が開く音がして、振り向く。そこにいたのは、Tシャツにハーフパンツ姿の陽と似たような格好にもう1枚赤いノースリーブ(数字の4と大きくプリントされている)を上から着ている。短髪と言うには長い、むしろ坊主頭に近く、高身長な彼は、陽の姿を視界に入れると同時に、声高に叫んだ。
「やっぱりそうだーーーッ!!」
思っていたよりも明るい声が朝日の差し込む第二体育館にうわんと響く。
「朝練来たら、第二体育館の鍵がないから!!もしかしてって思ったけど!やっぱり!五十嵐先輩!!」
「……………。」
「あっさすがに覚えてないすか!俺っす、駒込蓮太朗!!ジュニアチームの時同じだったんすけど!!SFだったんすけど!!」
「や、覚えてる。コマだろ。」
やや気圧される形になりながら陽が呼んだその相性に、コマ、と愛称で呼ばれた蓮太朗はぱっと表情を明るくする。
「よかった!覚えててくれて!!相変わらずその3P決めれるの、健在っすね!!」
「マグレだよ。だいぶ感覚は落ちてる。つうかコマは、朝練しに来たんならこっちじゃねえだろ。」
「いやいや先輩いるならこっちがいいっす!
……と、あれ?」
蓮太郎の黄土色の瞳が、和泉を視認した。興奮のあまり、ついぞ今まで陽の他に人がいることに気づいていなかったようだった。
「アンタ、先輩の彼女すか?」
ふっと、その声音が低くなる。さっきまでの明るい表情が一気になりを潜める、何かを見定めるような視線。そして、一体何を問われているのか、彼女のワードを知らない和泉にはわからない。急に、心が波打つ。
「え……。あの、彼女、て……」
「お、違うんすね!?よかったーーー!!なんか学校で変な噂聞くから焦ったっすよ!!
先輩、バスケ、またやるんなら体育館!一緒に朝練しましょーよ!」
何かを納得し、強引にひっぱっていこうとする蓮太朗に、陽はその手を振りほどいた。
「コマ。……バスケは、もうしねえから。お前は戻れ。」
「えっ。」
しん、と静まり返った中、響くチャイムの音。予鈴だ。あと五分で本鈴。つまり、その時点で教室にいないと遅刻になってしまう。陽が汗をタオルで拭いながら言う。
「和泉。先戻ってろ。汗拭いてから行く。オレは走れば本鈴間に合うから。」
「う、うん。」
なんとなく、居心地の悪さを感じて和泉は少し後ろ髪をひかれながらも、第二体育館を後にした。
陽を知ってる蓮。立て続けに出てきた知らない言葉たちはきっとバスケの固有名称で、彼のことは愛称のように呼んでいた陽。さっきまで居心地が良かった狭い第二体育館が、急にざらりとした感情に覆われた。
知らない言葉、知らない行動、知らない関係。そんなもの、あって、当たり前なのに。そこに自分がいないのが酷く空虚に感じてしまった。
*****
教室に駆け込んだ直後、本鈴が鳴る。
「水無瀬さん、大丈夫?」
前の席のちえりが心配そうにしている。
「へ、平気……!」
「あれ、五十嵐くんとは、一緒じゃないんだ?」
「え、あれ?すぐ追いつくって言ってたのに……!」
蓮太朗とまだ、話しているのだろうかと思うものの、蓮太朗だって同じ学生なのだから授業はあるか、と思案の百面相をしているのを見て、ちえりは笑った。
「あはは、カマかけたつもりだったのに、否定しないんだ。ま、これだけ噂になってるし、そっか……水無瀬さんって面白いね。」
「あまり、良くないの?噂になるの。」
「ああ、咲絢たち、そのままの意味でも声が大きいからね。そんな気にしなくていいと思うよ。でも、根も葉もない話が勝手に出回るのは、いい気分じゃないよね。」
「私は、別に……。
ただ、陽が、いい気はしてないみたいだから、やめてもらえるならやめさせたいけど。」
「意外。そうゆうの、五十嵐くん気にするんだ。
んー……これは勘なんだけど。水無瀬さんのためなんじゃない?」
存外鋭いちえりの発言に、和泉も固まる。分かってはいても、第三者からそう言われると何も言えなくなる。
「慣れない学校って場所で、変な噂に惑わされないようにって。違うかな。言いたくなかったら言わなくてもいいけど。話して楽になるなら、置物だと思って話してよ。
私も、母が亡くなって辛かった時、聞いてもらったら楽になったから。」
和泉には、ちえりの藤色の瞳がほんの少しだけ、寂しさだけじゃない光を帯びたように、見えた。本当は刺激をしない方が、いいのかもしれない。でも今ここでその翳りを見ないふりはできなかった。理由を知っているから、目を逸らしたくなかった。
「誰に?」
「あれ、誰だっけ。忘れちゃった。」
そう言ってちえりはふわ、と微笑む。誰かじゃない。それは誰よりも優しくて、友達思いな陸のことだ。その名前を思わず口に出しそうになったそのすんでのところ、教室に担任が入ってきた。ちえりは前に向き直り椅子をひく。
案の定、陽は遅刻だったが、特に急ぐ様子もなく教室に入ってきて既に授業をはじめている教師に小言を言われていた。もちろん、そんな小言程度、一切動じていないのだが。
こうして今日も、学校という一日が始まっていく。そして休み時間になると咲絢たちが声をかけてくるのはルーティン化した。学校の授業のこと、部活動のこと、ひいては校舎の案内までしてくれた。校舎の中は、まえ駆けずり回ったおかげで大分覚えてはいるものの、その好意をありがたく受け取っておく。なにより、人で賑わい日差しが差し込む明るい校内は、あの時とは同じ場所とは思えないくらいに輝いていたから。
「あれ、一緒じゃないんだ?もしかして喧嘩した?とか??」
下校時刻。一人で下駄箱からローファーを出して履いていた和泉に声をかけたのも、咲絢だった。そこで、きっとおどけられれば咲絢という人物は笑って過ぎていってくれると思ったものの、取り繕うことができなかった。暗い顔を見せないために、少し視線を逸らすことが精一杯だった。
「えっ!あの、冗談のつもりだったんだけど、あの……ごめん。」
「ほらぁ、咲絢がそうやって弄るから。」
当然のようにいる奏穂が、咲絢を小突く。
「ううん、違うの。私が、ちょっと怒らせてるだけ。いつもの、ことだから。」
「いつも怒らせてる!?そんなことで怒る方が悪くない!?心狭すぎない!?え、てゆうかそれ大丈夫?DV彼氏?」
「違う違う、あの、いつもは優しいんだよ。その……」
思わぬ矛先が陽に向いたことを慌ててフォローしようとして続かない。優しいと言える具体例が、普通の人間に言っていい内容を明らかに超えている。その不安げな和泉の表情を、咲絢は見たまま受け取った。
「ゴメン。私、謝ってくる!!」
「咲絢!?ちょっ……もう~さすがバスケ部、ここぞの瞬発力足なんだから……!!」
「バス、ケ。」
朝、陽がやっていた。
学校には部活動があって、好きなスポーツをやっている子たちがいると。バスケもそうで、男子バスケ部と、女子バスケ部があることを聞いた。
「そだよ~咲絢はバスケ部キャプテン。ちなみに私は演劇部~!」
ほわほわっとした雰囲気で奏穂は和泉に言う。
「あの、ね。ずっと病気で、学校に慣れてない子が来るって話を聴いてから、咲絢ずっと気にしてたんだ。だから少しでも馴染めるようにしたかっただけなの。やり方がちょっと下手くそすぎるんだけど。だから、悪く思わないであげて、ね?」
「大丈夫。ありがとう、鷺沼さん。」
「カホでいいよ。和泉ちゃん。」
奏穂の綻ぶような笑顔に、釣られて和泉も笑った。
感想 0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
【完結】私の出産日に初恋の人を選んだ夫、あなたを彼女に返品します
「子供っぽい嫉妬はやめろ」私が命懸けで出産した日、夫のヴィンセント侯爵は初恋の人の所へ行ってしまった。理由を説明して欲しいと言うと、子供っぽい嫉妬をやめろと厳しい声で言われてしまう。しかも初恋の相手がいきなりやってきて「侯爵様は昔から私を命懸けで助けてくれるんです」と悪びれもせずに言い放った。妻よりも初恋相手を優先する夫は必要ないので私は夫を初恋相手へ返品した。すると生まれてから一度も人に頭を下げたことのないヴィンセントが、ボロボロになって私に頭を下げてきて⋯⋯。
エミルウ ~屋根裏部屋の刺繍姫~
没落貴族の令嬢・エミルウは、男爵家の屋根裏部屋で『飼われていた』。
男爵令嬢の『代作屋』として刺繍を縫い続ける日々。
作品を、名前を、人生を奪われてきた彼女の才能を見出したのは、移民街の青年実業家だった。
「この令嬢を、金貨500枚で買おう」
伝説のタペストリー。破かれたドレス。エミルウの刺繍は、人びとの、そして帝国の運命さえも縫い変えていく。
少女の『針と糸』、青年の『商才』。二人の『世界への反逆』が、今、始まる。
テンプレなし・人間関係重視の異世界恋愛冒険ロマン。
マイノリティをエンパワーするエンターテインメントです。
※本作は『小説家になろう』『カクヨム』『TALES』にも投稿しています。
どうせ生まれ変わるなら
前世日本人だった私は、貧乏暮らしでいつもお腹を空かせている。
どうせ生まれ変わるなら、私人じゃなくて鳥が良かったな。
寂しくそんなことを思いながら、私は今日も人として生きている。
母と娘の関係で問題ありそうな描写があります。
小説になろうとカクヨムにも載せています。
終わりにします
「終わりにします」
その言葉とともに、侯爵令嬢シルヴィアは毒を飲んだ。
婚約者は妹を選び、父は妹だけを信じた。
誰にも必要とされなかった人生を終えたはずなのに、目を覚ますと三か月前へと時間は巻き戻っていた。
もう、誰かに愛されるためだけに生きるのはやめよう。
そう決めた彼女は、静かに運命を書き換えていく。
これは、一度死んだ少女が、自分自身の人生を取り戻すための物語。
弟ばかり可愛がる家族を捨てたら、腹黒な侯爵令息に囲い込まれました
男爵令嬢エステラ・ローデンの家では、いつも六歳下の弟ノエルが一番だった。
誕生日は四年続けて弟の予定に塗り潰され、学院で首席を取っても「女の子なのに」と笑われるだけ。
十八歳の誕生日の朝、自分のための朝食すらない食卓で、エステラは静かに決めていた計画を実行する。
――今日、家を出る。
就職先は、王都でも五本の指に入るグレイヴァン商会。
待っていたのは、侯爵家の次男にして商会を率いる青年、セヴラン・グレイヴァンだった。
契約書でいきなり試され、決めていた下宿は「却下」され、気づけば住まいも仕事も彼の手の内。
「性格が悪いと言われませんか?」
「よく言われます」
帳簿の不正を見抜く才覚で自分の居場所を築いていくエステラと、笑顔の裏で先回りを重ねる腹黒な上司。
けれど彼は、エステラが「嫌だ」と言ったことだけは、決して繰り返さなかった。
家族に選ばれなかった令嬢が、働く場所も、住む部屋も、許す相手も、手を取る相手も、自分で選び直していく異世界お仕事恋愛短編。
完結 番に選ばれた平民少女は、公爵家から逃げ出した
十二歳の平民少女リーナは、二十六歳の公爵家嫡男・アレクシスの「番」だと判明する。
「番だから、いつか私と結婚してほしい」
けれどリーナには、いつか結婚しようと約束した幼馴染みがいた。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
初夜のあとに愛する人がいると言われたので祝福で身体の時間を一日戻しました
夫婦となって初めて迎えた夜、セレンティアは夫リオールから「俺には、愛する人がいる」と告げられる。
彼が初夜を済ませた理由は、三年後に白い結婚として婚姻無効を申し立てられないようにするためだった。
けれどリオールは知らなかった。セレンティアの祝福《一日回帰》が、自分自身の身体にも使えることを。
セレンティアは自分の身体の時間を一日前へ戻し、三年間、侯爵家の妻として務めを果たすことを決める。
夫に愛されるためではない。三年後、白い結婚としてこの家を出ていくために。
