三、ときはの代 陰陽師天命紀

naccchi

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第一章:枯木逢春〜こぼくほうしゅん〜

第五話◆挿絵有

 早朝、和泉は一人で登校した。

 朝のひんやりした空気と、降り注ぐ春の日差し。朝の始業まではまだ時間がある。そして、目的の場所へ一直線に向かう。

 昨夜、世羅が初登校した和泉を労った時に言ったのだ。

 ーーー校舎入ってすぐ、大きな体育館あるでしょ。あそこの裏にちょっと小さい体育館あるんだ。第二体育館って言うんだけど。
 明日の朝、ちょっと早くに行ってそこ覗いてみて。古い体育館雑草とかも生えてるけど、鍵は空いてるはずだから。

 世羅の真意は読み取れないものの、わざわざ世羅が教えてくれた理由は絶対にあると確信して、和泉は第二体育館に向かう。

 グラウンド横に立つ大きな体育館の渡り廊下の向こう、やや背の高い雑草がしげり、日の当たらない通路のその先に、かなり小さな、所謂ミニ版の体育館のような施設がある。そこに続く通路だけ、草が伸びきっておらず人が出入りする気配がぎりぎり見て取れた。

 ぴょんぴょんと跳ね回る小さなバッタを踏まないように避けながら近づくと、第二体育館の中から何かの弾む音が聞こえてきた。重たい何かと、地面が響く、一定のリズム。

 錆びている入口の扉を開けると、中は朝日が差し込んでいて、外から見るよりも明るかった。
 そして、視界に入ってきたのは、陽の背中。制服ではなく、オーバーサイズのゆるっとしたTシャツにハーフパンツ、見慣れないグレーのシューズ。入口からちょうど背を向けていた。


 



 不意に、手のひらよりも大きな茶色のボールを抱えたかと思うと、放る。空中に放たれたボールはそのまままっすぐ正面、高いところに設置してある網のようなものにぽすりと入った。
 網を潜り、また地面に落ちてあの重たい音を響かせるボール。その音は先程まで規則正しく聞こえていた音と同じ。

 地面に弾んでいるそのボールを手に取るのではなく、弾ませて手元に寄せつつ、陽は振り向く。かち合う視線で、和泉の姿を認識して、一瞬驚いた表情をしたものの、どこか安堵したような表情にも見えた。

「……はよ。」
「おはよう。邪魔、だった?」
「いや。
 ……怪我で謹慎くらったから、身体なまらせないように動かしてるだけ。」
「それは、何をしてるの?」

 これまで見てきた鍛錬とはまるで違う。見たことは無いけれど、ボールを弾ませる所作も、放り投げる動作も、まるでそれが当然のように染み込んでいる動きだった。
 意図がわからずとも、それらに意味があって、やっているものだとわかる。

「バスケ。」
「ばすけ……」
「五人チームで戦う球技。さっきみたいに、ボールをあのネットに入れたら得点。その点を取り合う。当然、相手チームに点を取らせないために妨害したりする。」
「でも一人がずっとボール抱えていったら取られないんじゃない。」
「それは反則。ボール持って三歩歩いたらアウト。だからこうやって、ドリブルしたり、ステップ入れたり、パス回したり。」
「どり、ぶる……すてっぷ……」

 聞きなれない言葉を反芻する。なにやら難しそうだと思い眉間に皺が寄る。考え込む和泉を見て、陽が吹き出した。

「いやいいよ覚えなくて。テキトーに聞き流しといて。」
「見てていい?」
「……別に面白くないと思うけど。一人だから、試合するわけでもないし。」
「ううん、平気。見てたい。ここなら、離れてるから平気だよ。
 あ、その、見られてて嫌なら、出てくけど。」
「……お前がいいんなら、いい。」

 視線を逸らしながら、告げられたその許可に少し微笑みを浮かべながら、和泉はその場に腰を下ろした。体育館の床から、ボールの弾む振動が床を伝って全身に響く。教室にいるよりも距離は遠いけれど、近く感じる。また、怒らせてしまうかもしれないと緊張していた心が、やんわりとほぐれていく。

 さっきみたいな、遠くの距離から弧を描いてボールを入れるやり方もあればギリギリまで近づいて、まるでボールをゴールに載せるようにいれるやり方もある。色んな方法でボールをゴールに入れる様子をただじっと見ていた。

 ずっと見ていられると思っていたその時。扉が開く音がして、振り向く。そこにいたのは、Tシャツにハーフパンツ姿の陽と似たような格好にもう1枚赤いノースリーブ(数字の4と大きくプリントされている)を上から着ている。短髪と言うには長い、むしろ坊主頭に近く、高身長な彼は、陽の姿を視界に入れると同時に、声高に叫んだ。

「やっぱりそうだーーーッ!!」

 思っていたよりも明るい声が朝日の差し込む第二体育館にうわんと響く。

「朝練来たら、第二体育館の鍵がないから!!もしかしてって思ったけど!やっぱり!五十嵐先輩!!」
「……………。」
「あっさすがに覚えてないすか!俺っす、駒込こまごめ蓮太朗れんたろう!!ジュニアチームの時同じだったんすけど!!SFスモールフォワードだったんすけど!!」
「や、覚えてる。コマだろ。」

 やや気圧される形になりながら陽が呼んだその相性に、コマ、と愛称で呼ばれた蓮太朗はぱっと表情を明るくする。

「よかった!覚えててくれて!!相変わらずその3Pスリーポイント決めれるの、健在っすね!!」
「マグレだよ。だいぶ感覚は落ちてる。つうかコマは、朝練しに来たんならこっちじゃねえだろ。」
「いやいや先輩いるならこっちがいいっす!
 ……と、あれ?」

 蓮太郎の黄土色の瞳が、和泉を視認した。興奮のあまり、ついぞ今まで陽の他に人がいることに気づいていなかったようだった。

「アンタ、先輩の彼女すか?」

 ふっと、その声音が低くなる。さっきまでの明るい表情が一気になりを潜める、何かを見定めるような視線。そして、一体何を問われているのか、彼女のワードを知らない和泉にはわからない。急に、心が波打つ。

「え……。あの、彼女、て……」
「お、違うんすね!?よかったーーー!!なんか学校で変な噂聞くから焦ったっすよ!!
 先輩、バスケ、またやるんなら体育館!一緒に朝練しましょーよ!」

 何かを納得し、強引にひっぱっていこうとする蓮太朗に、陽はその手を振りほどいた。

「コマ。……バスケは、もうしねえから。お前は戻れ。」
「えっ。」

 しん、と静まり返った中、響くチャイムの音。予鈴だ。あと五分で本鈴。つまり、その時点で教室にいないと遅刻になってしまう。陽が汗をタオルで拭いながら言う。

「和泉。先戻ってろ。汗拭いてから行く。オレは走れば本鈴間に合うから。」
「う、うん。」

 なんとなく、居心地の悪さを感じて和泉は少し後ろ髪をひかれながらも、第二体育館を後にした。

 陽を知ってる蓮。立て続けに出てきた知らない言葉たちはきっとバスケの固有名称で、彼のことは愛称のように呼んでいた陽。さっきまで居心地が良かった狭い第二体育館が、急にざらりとした感情に覆われた。

 知らない言葉、知らない行動、知らない関係。そんなもの、あって、当たり前なのに。そこに自分がいないのが酷く空虚に感じてしまった。


 *****


 教室に駆け込んだ直後、本鈴が鳴る。

「水無瀬さん、大丈夫?」

 前の席のちえりが心配そうにしている。

「へ、平気……!」
「あれ、五十嵐くんとは、一緒じゃないんだ?」
「え、あれ?すぐ追いつくって言ってたのに……!」

 蓮太朗とまだ、話しているのだろうかと思うものの、蓮太朗だって同じ学生なのだから授業はあるか、と思案の百面相をしているのを見て、ちえりは笑った。

「あはは、カマかけたつもりだったのに、否定しないんだ。ま、これだけ噂になってるし、そっか……水無瀬さんって面白いね。」
「あまり、良くないの?噂になるの。」
「ああ、咲絢さあやたち、そのままの意味でも声が大きいからね。そんな気にしなくていいと思うよ。でも、根も葉もない話が勝手に出回るのは、いい気分じゃないよね。」
「私は、別に……。
 ただ、陽が、いい気はしてないみたいだから、やめてもらえるならやめさせたいけど。」
「意外。そうゆうの、五十嵐くん気にするんだ。
 んー……これは勘なんだけど。水無瀬さんのためなんじゃない?」

 存外鋭いちえりの発言に、和泉も固まる。分かってはいても、第三者からそう言われると何も言えなくなる。

「慣れない学校って場所で、変な噂に惑わされないようにって。違うかな。言いたくなかったら言わなくてもいいけど。話して楽になるなら、置物だと思って話してよ。
 私も、母が亡くなって辛かった時、聞いてもらったら楽になったから。」

 和泉には、ちえりの藤色の瞳がほんの少しだけ、寂しさだけじゃない光を帯びたように、見えた。本当は刺激をしない方が、いいのかもしれない。でも今ここでその翳りを見ないふりはできなかった。理由を知っているから、目を逸らしたくなかった。

「誰に?」
「あれ、誰だっけ。忘れちゃった。」

 そう言ってちえりはふわ、と微笑む。誰かじゃない。それは誰よりも優しくて、友達思いな陸のことだ。その名前を思わず口に出しそうになったそのすんでのところ、教室に担任が入ってきた。ちえりは前に向き直り椅子をひく。
 案の定、陽は遅刻だったが、特に急ぐ様子もなく教室に入ってきて既に授業をはじめている教師に小言を言われていた。もちろん、そんな小言程度、一切動じていないのだが。

 こうして今日も、学校という一日が始まっていく。そして休み時間になると咲絢さあやたちが声をかけてくるのはルーティン化した。学校の授業のこと、部活動のこと、ひいては校舎の案内までしてくれた。校舎の中は、まえ駆けずり回ったおかげで大分覚えてはいるものの、その好意をありがたく受け取っておく。なにより、人で賑わい日差しが差し込む明るい校内は、あの時とは同じ場所とは思えないくらいに輝いていたから。

「あれ、一緒じゃないんだ?もしかして喧嘩した?とか??」

 下校時刻。一人で下駄箱からローファーを出して履いていた和泉に声をかけたのも、咲絢だった。そこで、きっとおどけられれば咲絢という人物は笑って過ぎていってくれると思ったものの、取り繕うことができなかった。暗い顔を見せないために、少し視線を逸らすことが精一杯だった。

「えっ!あの、冗談のつもりだったんだけど、あの……ごめん。」
「ほらぁ、咲絢さあやがそうやって弄るから。」

 当然のようにいる奏穂かほが、咲絢さあやを小突く。

「ううん、違うの。私が、ちょっと怒らせてるだけ。いつもの、ことだから。」
「いつも怒らせてる!?そんなことで怒る方が悪くない!?心狭すぎない!?え、てゆうかそれ大丈夫?DV彼氏?」
「違う違う、あの、いつもは優しいんだよ。その……」

 思わぬ矛先が陽に向いたことを慌ててフォローしようとして続かない。優しいと言える具体例が、普通の人間に言っていい内容を明らかに超えている。その不安げな和泉の表情を、咲絢さあやは見たまま受け取った。

「ゴメン。私、謝ってくる!!」
「咲絢さあや!?ちょっ……もう~さすがバスケ部、ここぞの瞬発力足なんだから……!!」
「バス、ケ。」

 朝、陽がやっていた。

 学校には部活動があって、好きなスポーツをやっている子たちがいると。バスケもそうで、男子バスケ部と、女子バスケ部があることを聞いた。

「そだよ~咲絢さあやはバスケ部キャプテン。ちなみに私は演劇部~!」

 ほわほわっとした雰囲気で奏穂かほは和泉に言う。

「あの、ね。ずっと病気で、学校に慣れてない子が来るって話を聴いてから、咲絢さあやずっと気にしてたんだ。だから少しでも馴染めるようにしたかっただけなの。やり方がちょっと下手くそすぎるんだけど。だから、悪く思わないであげて、ね?」
「大丈夫。ありがとう、鷺沼さぎぬまさん。」
「カホでいいよ。和泉ちゃん。」

 奏穂の綻ぶような笑顔に、釣られて和泉も笑った。
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