パパはなんにも分かってない

東川カンナ

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第2話 香凛はなんにも分かってない

分かってない【パパ編】 その13

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 公共交通機関を乗り継いで二時間弱。
 二泊を予定しているホテルのロビーに、オレと香凛はいた。


 天気は快晴。それほど寒くもなく、申し分のない天候。


「す、素敵なホテルだね……」
 そろりとロビーを見回しながら香凛がほうと呟く。
「チェックインして来るから、ちょっとここで待っててくれ」
「うん」


 受付で係の人間に声をかける。
 ここは閑静な避暑地ではあるが、観光スポットは割に充実している。
 オーガニックにこだわった商品を取り扱う専門店が多数並ぶ通り、石畳の綺麗なフォトジェニックなスポット、香凛が楽しいと思うかは分からないが牧場では色々な体験ができるらしいし、良質な鮮度を誇る乳製品で作られた製品は人気があるそうだ。ガラス製品なんかも名産の一つらしいから、いくつかは香凛の興味に引っかかるだろう。 
 だが、観光は荷物を置いて一息吐いたその後でいいだろう。遠足前の子どものように、香凛は楽しみが過ぎて昨日あまり寝ていないらしい。


「香凛、行くぞ」
 手続きを終えて、案内の人間に続いて部屋を目指す。入って来たばかりの入口を逆に抜けて外に出ると、香凛が戸惑いの声を上げた。
「あれ、なんで外?」
「ちょっと歩く」
「あ、別館?」
 言うと一旦は納得したような表情をしたが、だがどんどん大きな建物から離れて緑の中を進むので、その顔にどんどん疑問が浮かんでいく。
「ね、どこまで」
「もう少しですよ。ほら、あちらに見えて参りました」
 そして案内人に示された方向を見て、香凛はあんぐり口を開いた。
「ホントは初夏とか、それか夏の避暑地として来た方がいいんだろが」
「ですが五条様、今週末は随分日和が良いみたいですよ。天気予報では、五月末頃の平均気温まで上がるとか。きっと温かく過ごしやすいと思います。――――と、到着致しました。こちらが五条様にご予約頂いたお部屋になります」


 木々の中に立つのは、一軒のペンションだった。


「え、ここ……?」
 香凛が呆然とその外観を見つめる。


「こちらが鍵になります。お風呂は部屋にもユニットバスの他に露天がありますが、本館、別館の大浴場もそれぞれ効能の違う湯が用意されていますので、宜しければ是非ご利用ください。一日目の夕食はこちらにお運びしますが、それ以外は本館の会食場をご利用ということで宜しかったでしょうか」
「はい」
「後からの変更もお受けできますので、必要であればお申し付けください。もちろん、こちらには一通りキッチン周りの設備も整っておりますので、宜しければご利用ください。毎朝、敷地を出て十分ほど歩いたところで朝一マルシェというものが開催されていまして、そこで朝採れの新鮮なお野菜やブランド卵、焼きたてパンなどを購入されて、キッチンで調理される方も多いんですよ」
「朝一マルシェ……それはいいですね、覗いてみます」
「是非。こちら、パンフレットになります。お渡ししておきますね」
 手渡された三つ折りのパンフレットには瑞々しい野菜、ジャムなどの加工食品、意識が高そうな朝食の風景の写真が載っている。
「それでは、何かお困り事がございましたら、いつでもご連絡ください。どうぞ、素敵なお時間をお過ごしくださいませ」


 ペンションは所謂高床式になっているので、玄関までの階段を上がる。木材を踏みしめる音が靴の下から鳴るが、それに続く足音はない。
「香凛? 何呆けてるんだ、早く来い」
 振り返れば、香凛はまだ口を開けたまま立ち尽くしていた。視線が合うと、弾かれたようにあわあわと言い募り始める。
「待って待って待って、ここ、すっごく高かったんじゃない!?」
「オフシーズンだから、ピークに比べると随分お手頃だ」
「いやいや、でもでも」
「ほら、中覗いてみろよ、よく分からんが取り敢えず洒落てることは間違いない」
「ひぃ、怖い、一泊いくらするの……!」


 玄関扉を開けると、ウッディな内装が広がる。ゆったりとしたリビング・ダイニングに対面式のカウンターキッチン。入って正面から右手に掛けてが全面窓になっていて、その向こうにはウッドデッキが広がっている。
「うわぁ……!」
 感嘆の声を上げるその様子を見ていると、お気に召してはもらえたらしい。
「景色いい」
 窓の向こうを一通り眺めてから、くるりと回れ右をして中の探索を始める。さっきまでの恐れ多い! という考えは、一時頭から飛んでいるようだ。
「わ、和室もある。何この正方形の畳、オシャレ……!」
 その背を見送りながらオレは窓を開け放つ。
「二階にベッドもあるよ? ね、ここ、二人で過ごすには広過ぎない?」
 そよりと吹き込む風は確かにさっきの案内人が行っていた通りこの時期にしては十分に温かく、非常に過ごしやすそうな気候だった。
「ひゃー、すごい! 露天、ホントに部屋に露天風呂付いてる! テレビでしか見たことない!」
 二階に上がったと思ったら、あっという間に降りて来ていたらしい。興奮した声が奥から響いてきた。
「ね、パパ! 見て、お風呂!」
 興奮が過ぎてパパ呼びに戻っているが、まぁ良しとしよう。


 声がした方を覗くと、そこにはなかなか立派な露天が用意されていた。
「おぉ、雰囲気あるな」
 広々とした洗い場、無色透明の湯を張る風呂は人を二人迎え入れてもまだ余裕がありそうだ。
 周りはぐるりとこちらの背丈を優に超える板が巡らされており、見えるのは木々の緑だけ。プライバシーは当然十分に確保されている。
 景色を楽しむ造りではないが、多分場所柄夜になれば星空が綺麗だろうから、それを楽しめばいいのだろう。
「すごい、広い、まさに露天風呂って感じ!」
「楽しみだな」
 そう言ったら、満面の笑みで香凛は頷いた。
「うん! ――――うん?」
 頷いてから、何か違和感を覚えたのか小首を傾げる。そして、ハッとした様子で顔を真っ赤にした。忙しない。


「え、あ、え? もも、もしかして一緒に入るつもり!?」


 二人で旅行に来て、部屋に露天が付いてて、まさか一緒に入らないという選択肢がある訳がない。


「一人で入るには広すぎないか。そういう設定で作ってないだろ、ここ」
 当然の顔をして言ってやると、香凛はあわあわと言い募る。
「い、いやいやいや、普段はなかなか味わえないのんびり開放的な入浴をコンセプトに」
「してねーよ」
 というかそれは二人で入っても叶えられる広さだ。
「何だよ、そんなに嫌なのか」
「嫌って言うか、恥ずかしいし、そ、それに絶対おかしなことになるでしょ」
「おかしなこと?」
「やらしーことするでしょ!」
「する」
「!」
 即答したら絶句した。
「駄目駄目駄目、何考えてんの、部屋付きのお風呂って言っても外だよ! ま、周りに色々漏れるよ!」
「相当大声出さなきゃ大丈夫だろ」
「大丈夫くない! よ、よそ様のご家族とかに聞かれでもしたら……!」
「心配性な香凛に教えておいてやろう。――――ちょっとこっち」


 リビングに戻り、開けていた窓からウッドデッキに出る。
 そこから景色を眺めれば、右手にホテルの本館と別館。左手の奥の方に、木々に埋もれながらも幾つかの屋根が見える。
「ほれ、見ろ」
 香凛の頭をぐいとそちらに向ける。
「あそこにもここと同じような建物があるだろ」
「……うん」
「あそこがファミリー向けのゾーン」
 ここはちゃんとそういう区分けがされている。
「――――つまり?」
 半分以上分かっているだろうに、こちらに答えを求めてくる。オレは香凛の憂慮を一掃してやるために、説明してみせた。
「ここはアベック向けだ。元々そういう考慮はされてる。一棟一棟の距離も、向こうより余裕を持って建てられてるんだよ。余計な心配はしなくていい」


 しまった、アベックは今の若者からしたら死語か?


 そんな心配が頭を過ったが、香凛を見ると耳まで真っ赤になってぷるぷる震えていたので、こちらの発言を気にしている様子はなかった。


「か、確信犯……!」
 ここでファミリー向けを選ぶ馬鹿ではない。
「何だよ、向こうのファミリー向けが良かったのか? パパと娘として過ごしたかったって?」
「そんなことはないけどっ」
 恥ずかしさを処理しきれないらしい。


 香凛はしばらく“うー”と唸っていたが、それもやがては鳴りを潜めていった。


「…………それにしてもここ、贅沢が過ぎない?」
 頬を冷ますように手で仰ぎながら香凛が少し不安げに言う。
「たまの贅沢は許されるだろう?」
「う、うーん……」


 オレでは香凛と同年代の男が立てるようなデートは恐らく提供できない。
 無理をしても、惨憺たる結果になればお互いダメージが大きい。オッサンが、若いノリに無理矢理乗ってコケるなど、笑い話では済ませられない。


 では他に差を出せるところと言ったら、あとは財力ぐらいのものなのである。
 幸い、それなりの収入は得ている。香凛に一味違う経験をと考えたら、これくらいしか思いつかなかったのだ。


「一服したら、出かけるか。どこから見て回りたいんだった?」
「え? あ、あのね、ガイドブックに載ってた、ガラス工房のところ覗きたくて」
 取り敢えず、値段は気にさせてしまったようだが、部屋自体は気に入ってもらえたらしい。香凛のカバンの中にあるガイドブックが付箋だらけなのも知っている。


 楽しんで、喜んでもらえるのなら、それで十分だ。


 夜が来るまでは、お望み通りに観光を満喫して頂くことにしよう。




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