93 / 104
第4話 みんななんにも分かってない
みんな分かってない【入籍編】 その6
しおりを挟む鳴り響いたインターホンに弾かれたように顔を上げたが、すぐに違うと己の中の期待を打ち消す。
違う。インターホンが鳴った時点でそれは分かるはずだ。
鍵を持っているのだから、そうなら自ら開けて入ってくるだろう。だから、違う。
「よう、征哉」
玄関扉の向こうには広平がいた。
「景気の悪い顔してんな」
「まぁな」
「ついに否定もしなくなったか」
取り繕ったり隠し立てする必要も意味もない相手なので、遠慮せずに向けられた言葉に頷けば広平は難しい顔をする。
「……まぁ取り敢えずお邪魔する。どうせ仕事以外はすることなくて、ヒマしてるだろ」
だが頭を一つ振って、家の中へ上がり込みながら次はそう軽口を叩いた。
図星のような、いや、そんなことはないだろうと否定を試みる。
「……別に何もすることがない訳じゃ。部屋の片付けとか」
「それは家事だろ」
「ジムで身体を動かしたり」
「嫌いじゃないんだろうけど、そもそもそれだって自発的に通い出したんじゃなくて、香凛ちゃんに勧められてだろ」
「まぁそうだが」
「第一の目的はメタボ対策だし。趣味というよりは習慣なんじゃ?」
そう言われると、その通りだという気もする。
他に何か、何かと考えるが、どう答えても家事か健康維持増進に分類されてしまいそうだ。
「趣味のない中年って悲惨だな」
容赦がない。
でも、確かにそうなのかもしれない。これと言って熱中しているものが、時間をかけているものがない。ゴルフは苦手でも嫌いでもないが、付き合いに必要だからしているというだけで、それほど向上心もないのでこれも到底趣味とは言えない。
「追い打ちかけにきたのかよ」
自分の無趣味さに内心ちょっと驚き慄きながらもそう言えば、
「違うよ、そんな寂しい中年に友人との語らいというイベントを提供しにきたんだろ」
と広平は胸を張ってみせた。
趣味――――人生をより豊かに埋める術。
その少なさを指摘されて、今更ながらに教えられる。
今まで、そんなものがなくても気にならなかったのだ。困らなかったのだ。
香凛がいたから。
相手が、香凛がいる暮らしは常に何かしらのイベントに溢れていた。料理も、近所のスーパーでの買い物も、ドライブも、映画や展覧会、旅行、どれも共有する相手がいるからプラスアルファの意味を持った。一人だったらしないだろうことにも手を出した。
興味もないのに無理矢理していたんじゃない。一緒にと考えたら、自然と気持ちが動いたのだ。
子離れできていないダメ親と言われるかもしれない。他人への依存度が高いどうしようもないヤツと思われるかもしれない。
だが、あまりにも今までの生活が香凛がいること前提で成り立っていたのだ。
人生からその存在を引き算すると、笑えるくらい日々は味気ない。大の大人の男が、情けない話だ。
「これ、お手頃価格ながらなかなかにいいお味らしい」
手土産だと広平が手持ちの袋から取り出したのは、ワインボトル。
自分は本当に得難い友人を得ているのだと、そう思いはするが、胸中では嬉しさより申し訳なさの方が勝っていた。
先日の一世一代の告白の顛末を知っているこの友人は、近頃毎週のようにウチに来るか飲みに誘い出すかしてくれているのである。
「広平、気にかけてくれるのは有難いが、オレの相手なんかしてないで家に帰れよ。子どももまだ小さいのに、毎週毎週飲み歩いてる場合じゃないだろ」
家庭がある相手である。それも子どもが二人。
幼児を育てた経験はないが、世の母親のタスクは壮絶なものなのだと、ネットの情報や育児書で聞き齧ってはいる。
広平の嫁さんだって、旦那が毎週のように飲みに出ていたら不満や疲れは溜まる一方だろう。
「飲み歩いてるんじゃない。ここに酒があるのはもののついでだ。オレは親友の危機に馳せ参じている。決して遊んでいる訳じゃない」
だが広平はまたもや胸を張って言い切った。
「それに、このワイン持たせたのは深雪だからな?」
家族公認と言われれば、それ以上は言葉を重ね辛い。
だが。
「大変有難いが、馳せ参じてもらっても事態は解決しない。オレの力でも、お前の力でも、そうそう今日明日に解決することじゃない」
一週間のスパンで報告できるような進捗は何もないのだ。先週も今週もオレの現状は変わらずだ。人の心はそう簡単に翻らないから、それは仕方のないことなのだが。
「今日明日で到底解決しそうにないから、景気の悪い顔してるんだろ。オレはその景気の状態を確かめに来てるんだよ」
オレが、香凛が参っていないか、このお人好しに形を与えたみたいな男は心配しているのだ。
「迷惑ならやめるけど」
「迷惑では」
そんなことはあるはずがない。鬱陶しいとか、そんな風にはちっとも思っていない。
この友人は、何だかんだでそういう人付き合いのバランスがとても上手いのだ。
ワインに合うものは何かあったかと、冷蔵庫を覗く。適当に引き出したタッパーの中身を小皿に移している間に、勝手知ったる他人の家と広平がグラスを取り出してテーブルに並べる。
何か腹に溜まるものをと次に冷凍庫を開けると、そこにはぎっしりと様々なストックが並べられていた。オレが自ら用意したものは、実は半分にも満たない。
香凛がこの家が出て行って早二か月。
その二か月で顔を合わせた数はたった二回。それもこの家ではなく外でだ。
家を出る前にストックしてくれていたものは、日々消費してしまっていた。けれど今、冷凍庫にはものが詰まっている。どうも、先日オレがいない間に残していた荷物を取りに来たらしいのだ。その時についでにとあれこれ作ってくれたようなのである。
もしかしたら、荷物を取りに来たと言う方が口実で、こっちがメインの目的だったのかもしれない。その可能性は十二分にある。
人のことばかり。
自分のこともオレに対するのと同じかそれ以上に、ちゃんと気遣っているのだろうか。
「おばさんの様子、どんな感じ」
きょろきょろしている広平に、カウンター越しに栓抜きを渡す。
「変わりはない。実家に顔を出すと、別に追い返されたりはしないけど、まぁ歓迎ムードではないよな」
歓迎ムードではないと言いつつ、訪ねればお茶や食事は自然と用意されるのである。心中は複雑だが、息子を構いたいという気持ちはあるらしい。
「親父はいたりいなかったりだけど、まぁ反応は似たり寄ったりだ。言葉が少ないだけで、お互いのためにやめておいた方がいいんじゃないかって思ってるのは分かる」
最近広平がウチに来ることが習慣化しているのと同じように、オレも最近は何かと実家に顔を出すことを習慣にしている。離れる以外には何もできることがないと香凛は言ったが、まさか自分の方で何もしないでおく訳にもいかない。
「香凛ちゃんには」
「二週間、いや三週間? 顔は見てないな。仕事を理由にはしたくないがあんまり時間を捻出できてないし、それとは別に距離を取ってる最中に気軽に会うべきじゃないと思ってるんだよ、香凛の方が」
「あぁ、香凛ちゃん、妙に真面目というか、これと決めたら頑なにそれを守ろうとするところあるからなぁ」
さすがに良く分かっている。広平の言う通りだ。
「まぁでも、距離を取るってことの定義が香凛の中でも曖昧なんだよな」
期間も数値目標も定まっていない。
何がどうなれば一定の成果だと、何かしらの証明ができたと、お袋達に示せるのだろうか。
エンドが設定されていない試みは、きっと時間が過ぎれば過ぎるほど虚しさと息苦しさを与える。
「とにかく行動できることがあるならしたい、おばさんにこれ以上余計な精神的負担を与えたくないって気持ちは分かるけど」
「まぁな……」
連絡は一応毎日取っている。香凛から朝食か夕食の画像が送られてくるのだ。
そこに短いメッセージが添えられている。
“近所のスーパーで野菜がすごく安かったです”
“今日は残業なので外食に”
“お給料日なので奮発してちょっといいお肉を買いました”
“そう言えばスーパー近くによくいる猫が、最近警戒心を解いてきてくれてる気がする”
半分ただの日報だが。
オレ達は別にレコーディングダイエットをしている訳ではないのだが。
だが毎日ちゃんと食べているのだと、通勤して、仕事をこなして、生活は成り立っているのだと、それを教えようとしてくれているのは有難い。
「深雪がちょいちょい連絡は取ってるみたいだけど」
グラスに赤い液体を注ぎ込みながら広平は言う。
「まぁ見事に当たり障りのない返答ばっからしい」
「……そうか」
彼女は香凛が唯一隠し立てせずにいられる相手ではあるはずだが、内容が内容だけにそう簡単に人に心を吐露する気にはなれないのだろう。オレだって広平に何もかもを吐き出せる訳ではない。
「難しいな」
溜め息と共に自分事のように広平は言う。
「正直、お互い成人してていい大人なんだから、自分の責任は自分で取れる訳だし、籍を入れるだけなら二人の意思があれば十分だ。ただ、いい大人だからこそないがしろにしたくない人達が気になる」
紙切れ一枚、出すところに出せば関係は変えられる。
親の同意は別に法に定められた絶対事項ではないのだ。何か世の中の重大ルールを犯す訳ではない。
ただ、そういうことではないのだ。
何かに違反するからとか、そういうことではなく。
「おばさん達に大反対されたままは、お前も香凛ちゃんも辛い」
反対されたままでは辛い。反対している側だって辛いだろう。
「きっと――――」
続きを広平は言わなかったが、何となく察せられた。
きっと反対されたまま籍を入れれば関係はぎくしゃくしたまま、親とは疎遠になるだろう。
そうなったら、心の片隅にいつまでもその事実がしこりとして残ってしまうのだ。幸せの裏側に翳りを抱えながら、生きていくことになる。
オレはまだいい。だが、できるだけ罪悪感がない、香凛が気に病まないでいられる形で籍を入れたい。理解してもらえる機会があるのなら、そのために努力したい。近しい人達が安らかな心持ちでいられるようにとも思う。
この世に完璧はないと知りつつ、思うままに幸せになりたいなど傲慢だとも思いつつ、それでも香凛もオレもまだ諦めきれない。
胸がひりつく現実を未来まで背負い込む覚悟が、できていない。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる