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第4話 みんななんにも分かってない

みんな分かってない【入籍編】 その6

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 鳴り響いたインターホンに弾かれたように顔を上げたが、すぐに違うと己の中の期待を打ち消す。
 違う。インターホンが鳴った時点でそれは分かるはずだ。
 鍵を持っているのだから、そうなら自ら開けて入ってくるだろう。だから、違う。


「よう、征哉ゆきや


 玄関扉の向こうには広平がいた。
「景気の悪い顔してんな」
「まぁな」
「ついに否定もしなくなったか」
 取り繕ったり隠し立てする必要も意味もない相手なので、遠慮せずに向けられた言葉に頷けば広平は難しい顔をする。
「……まぁ取り敢えずお邪魔する。どうせ仕事以外はすることなくて、ヒマしてるだろ」
 だが頭を一つ振って、家の中へ上がり込みながら次はそう軽口を叩いた。
 図星のような、いや、そんなことはないだろうと否定を試みる。
「……別に何もすることがない訳じゃ。部屋の片付けとか」
「それは家事だろ」
「ジムで身体を動かしたり」
「嫌いじゃないんだろうけど、そもそもそれだって自発的に通い出したんじゃなくて、香凛ちゃんに勧められてだろ」
「まぁそうだが」
「第一の目的はメタボ対策だし。趣味というよりは習慣なんじゃ?」
 そう言われると、その通りだという気もする。
 他に何か、何かと考えるが、どう答えても家事か健康維持増進に分類されてしまいそうだ。
「趣味のない中年って悲惨だな」
 容赦がない。
 でも、確かにそうなのかもしれない。これと言って熱中しているものが、時間をかけているものがない。ゴルフは苦手でも嫌いでもないが、付き合いに必要だからしているというだけで、それほど向上心もないのでこれも到底趣味とは言えない。
「追い打ちかけにきたのかよ」
 自分の無趣味さに内心ちょっと驚き慄きながらもそう言えば、
「違うよ、そんな寂しい中年に友人との語らいというイベントを提供しにきたんだろ」
 と広平は胸を張ってみせた。


 趣味――――人生をより豊かに埋める術。
 その少なさを指摘されて、今更ながらに教えられる。


 今まで、そんなものがなくても気にならなかったのだ。困らなかったのだ。
 香凛がいたから。


 相手が、香凛がいる暮らしは常に何かしらのイベントに溢れていた。料理も、近所のスーパーでの買い物も、ドライブも、映画や展覧会、旅行、どれも共有する相手がいるからプラスアルファの意味を持った。一人だったらしないだろうことにも手を出した。
 興味もないのに無理矢理していたんじゃない。一緒にと考えたら、自然と気持ちが動いたのだ。
 子離れできていないダメ親と言われるかもしれない。他人への依存度が高いどうしようもないヤツと思われるかもしれない。
 だが、あまりにも今までの生活が香凛がいること前提で成り立っていたのだ。
 人生からその存在を引き算すると、笑えるくらい日々は味気ない。大の大人の男が、情けない話だ。


「これ、お手頃価格ながらなかなかにいいお味らしい」
 手土産だと広平が手持ちの袋から取り出したのは、ワインボトル。
 自分は本当に得難い友人を得ているのだと、そう思いはするが、胸中では嬉しさより申し訳なさの方が勝っていた。
 先日の一世一代の告白の顛末を知っているこの友人は、近頃毎週のようにウチに来るか飲みに誘い出すかしてくれているのである。
「広平、気にかけてくれるのは有難いが、オレの相手なんかしてないで家に帰れよ。子どももまだ小さいのに、毎週毎週飲み歩いてる場合じゃないだろ」
 家庭がある相手である。それも子どもが二人。
 幼児を育てた経験はないが、世の母親のタスクは壮絶なものなのだと、ネットの情報や育児書で聞き齧ってはいる。
 広平の嫁さんだって、旦那が毎週のように飲みに出ていたら不満や疲れは溜まる一方だろう。
「飲み歩いてるんじゃない。ここに酒があるのはもののついでだ。オレは親友の危機に馳せ参じている。決して遊んでいる訳じゃない」
 だが広平はまたもや胸を張って言い切った。
「それに、このワイン持たせたのは深雪だからな?」
 家族公認と言われれば、それ以上は言葉を重ね辛い。
 だが。
「大変有難いが、馳せ参じてもらっても事態は解決しない。オレの力でも、お前の力でも、そうそう今日明日に解決することじゃない」
 一週間のスパンで報告できるような進捗は何もないのだ。先週も今週もオレの現状は変わらずだ。人の心はそう簡単に翻らないから、それは仕方のないことなのだが。
「今日明日で到底解決しそうにないから、景気の悪い顔してるんだろ。オレはその景気の状態を確かめに来てるんだよ」
 オレが、香凛が参っていないか、このお人好しに形を与えたみたいな男は心配しているのだ。
「迷惑ならやめるけど」
「迷惑では」
 そんなことはあるはずがない。鬱陶しいとか、そんな風にはちっとも思っていない。
 この友人は、何だかんだでそういう人付き合いのバランスがとても上手いのだ。


 ワインに合うものは何かあったかと、冷蔵庫を覗く。適当に引き出したタッパーの中身を小皿に移している間に、勝手知ったる他人の家と広平がグラスを取り出してテーブルに並べる。
 何か腹に溜まるものをと次に冷凍庫を開けると、そこにはぎっしりと様々なストックが並べられていた。オレが自ら用意したものは、実は半分にも満たない。


 香凛がこの家が出て行って早二か月。
 その二か月で顔を合わせた数はたった二回。それもこの家ではなく外でだ。
 家を出る前にストックしてくれていたものは、日々消費してしまっていた。けれど今、冷凍庫にはものが詰まっている。どうも、先日オレがいない間に残していた荷物を取りに来たらしいのだ。その時についでにとあれこれ作ってくれたようなのである。
 もしかしたら、荷物を取りに来たと言う方が口実で、こっちがメインの目的だったのかもしれない。その可能性は十二分にある。


 人のことばかり。
 自分のこともオレに対するのと同じかそれ以上に、ちゃんと気遣っているのだろうか。


「おばさんの様子、どんな感じ」
 きょろきょろしている広平に、カウンター越しに栓抜きを渡す。
「変わりはない。実家に顔を出すと、別に追い返されたりはしないけど、まぁ歓迎ムードではないよな」
 歓迎ムードではないと言いつつ、訪ねればお茶や食事は自然と用意されるのである。心中は複雑だが、息子を構いたいという気持ちはあるらしい。
「親父はいたりいなかったりだけど、まぁ反応は似たり寄ったりだ。言葉が少ないだけで、お互いのためにやめておいた方がいいんじゃないかって思ってるのは分かる」
 最近広平がウチに来ることが習慣化しているのと同じように、オレも最近は何かと実家に顔を出すことを習慣にしている。離れる以外には何もできることがないと香凛は言ったが、まさか自分の方で何もしないでおく訳にもいかない。
「香凛ちゃんには」
「二週間、いや三週間? 顔は見てないな。仕事を理由にはしたくないがあんまり時間を捻出できてないし、それとは別に距離を取ってる最中に気軽に会うべきじゃないと思ってるんだよ、香凛の方が」
「あぁ、香凛ちゃん、妙に真面目というか、これと決めたら頑なにそれを守ろうとするところあるからなぁ」
 さすがに良く分かっている。広平の言う通りだ。
「まぁでも、距離を取るってことの定義が香凛の中でも曖昧なんだよな」


 期間も数値目標も定まっていない。
 何がどうなれば一定の成果だと、何かしらの証明ができたと、お袋達に示せるのだろうか。
 エンドが設定されていない試み別居は、きっと時間が過ぎれば過ぎるほど虚しさと息苦しさを与える。


「とにかく行動できることがあるならしたい、おばさんにこれ以上余計な精神的負担を与えたくないって気持ちは分かるけど」
「まぁな……」
 連絡は一応毎日取っている。香凛から朝食か夕食の画像が送られてくるのだ。
 そこに短いメッセージが添えられている。


“近所のスーパーで野菜がすごく安かったです”

“今日は残業なので外食に”

“お給料日なので奮発してちょっといいお肉を買いました”

“そう言えばスーパー近くによくいる猫が、最近警戒心を解いてきてくれてる気がする”


 半分ただの日報だが。
 オレ達は別にレコーディングダイエットをしている訳ではないのだが。
 だが毎日ちゃんと食べているのだと、通勤して、仕事をこなして、生活は成り立っているのだと、それを教えようとしてくれているのは有難い。


「深雪がちょいちょい連絡は取ってるみたいだけど」
 グラスに赤い液体を注ぎ込みながら広平は言う。
「まぁ見事に当たり障りのない返答ばっからしい」
「……そうか」
 彼女は香凛が唯一隠し立てせずにいられる相手ではあるはずだが、内容が内容だけにそう簡単に人に心を吐露する気にはなれないのだろう。オレだって広平に何もかもを吐き出せる訳ではない。
「難しいな」
 溜め息と共に自分事のように広平は言う。
「正直、お互い成人してていい大人なんだから、自分の責任は自分で取れる訳だし、籍を入れるだけなら二人の意思があれば十分だ。ただ、いい大人だからこそないがしろにしたくない人達が気になる」


 紙切れ一枚、出すところに出せば関係は変えられる。
 親の同意は別に法に定められた絶対事項ではないのだ。何か世の中の重大ルールを犯す訳ではない。


 ただ、そういうことではないのだ。
 何かに違反するからとか、そういうことではなく。


「おばさん達に大反対されたままは、お前も香凛ちゃんも辛い」
 反対されたままでは辛い。反対している側だって辛いだろう。
「きっと――――」
 続きを広平は言わなかったが、何となく察せられた。


 きっと反対されたまま籍を入れれば関係はぎくしゃくしたまま、親とは疎遠になるだろう。
 そうなったら、心の片隅にいつまでもその事実がしこりとして残ってしまうのだ。幸せの裏側に翳りを抱えながら、生きていくことになる。
 オレはまだいい。だが、できるだけ罪悪感がない、香凛が気に病まないでいられる形で籍を入れたい。理解してもらえる機会があるのなら、そのために努力したい。近しい人達が安らかな心持ちでいられるようにとも思う。


 この世に完璧はないと知りつつ、思うままに幸せになりたいなど傲慢だとも思いつつ、それでも香凛もオレもまだ諦めきれない。
 胸がひりつく現実を未来まで背負い込む覚悟が、できていない。




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