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第105話 大人たちの夜
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その頃、とある病院にて。
「ほぉ、確かにこの人物は草利中学校の教頭先生ですな」
そこに立っていたのは水崎警部だった。
「ふぅー、ふぅーっ!」
その目の前には猿ぐつわをされ、ベッドに縛り付けられているにもかかわらず、バタバタと暴れる中年男性が居た。さっき話に出た草利中学校の教頭である。
「どうやら使っていた麻薬の効果が切れて、禁断症状が出ているようですよ。先んじて縛り付けておいて正解でしたね」
そう話すのは、隣に立っている草利中学校校長の四方津だった。冷静なように見えて、その視線は実に冷め切っており、ベッドで暴れる教頭を蔑むように見下ろしていた。
「まったく、更生の機会を与えようとして教頭に推薦したというのにこの体たらくですか。いつまで昔の気分でいるのでしょうね……」
校長の言葉を聞いて、教頭は顔を真っ赤にして殴りかかろうとしている。だが、ベッドに固定された状態では腕を上げる事すら叶わなかった。
「確かに血液検査では簡易ながらも麻薬の成分が出てきたからな。これで逮捕と免許剥奪は免れない。ただ、クスリが抜けるまではこのまま入院になるけどな。……年齢的には、もう社会復帰は難しいだろうな」
水崎警部は冷静に話している。
「でしょうな。せっかくのチャンスを活かせなかったどころか、昔の癖が抜けずに言いなりになっていたのですからな。背後にはあの男たちが居るのは間違いないでしょうが、この状態で証言を得るのは困難です。状況証拠を固めようとしても、あの男の事ですから、きっと証拠なんてものは残していないでしょう」
校長は顎に手を当てて、頷くような仕草を見せながら話し込んでいる。そして、急に水崎警部の方を見る。
「おそらく、状況を把握したあの男は、教頭を消しにかかるでしょう。ちょうど弟を呼び寄せたみたいですからね。この近辺を分からないように固めておかなければ、教頭など一瞬で消し飛ぶでしょうね」
校長の話した「消し」という単語に、教頭は酷く反応している。さっきよりもさらに激しく暴れ、ベッドがひっくり返りそうな勢いである。
「おい、おとなしくしろ」
あまりの暴れっぷりに、校長がギラリとした視線と重く低い声を教頭に向かって飛ばす。すると、さっきまで暴れていた教頭の動きがバッタリと止まった。これが元暴力団の若頭の力というものなのか。
「てめえは死にてえのか? そんなに暴れるってんなら、奴の手の者が下す前に、俺が始末してやってもいいんだぞ?」
この校長の醸し出す雰囲気には、さすがの水崎警部も飲まれかかった。さすがは若頭。そこらのチンピラごときとはまるで迫力が違っていた。
「っと、申し訳ありませんね。つい不出来な舎弟の態度が頭に来ましてね。まったく、ここが病院という事を忘れてしまいそうになりました」
「あ、ああ……。とりあえず、教頭がおとなしくなったので、私の胸三寸にしておきます」
冷静になった校長の謝罪に、水崎警部は顔を引きつらせながらも、落ち着いて反応していた。
「ええ、それは助かります。とりあえず、教頭の処分だけは厳正に願います」
「まあそうですね。とりあえずは体内から麻薬が抜けて落ち着く方が優先ですけれどね」
静かになって目を開けたまま横たわる教頭の姿を、水崎警部と校長の二人はじっと眺めていた。
その頃、浦見市内に滞在するトラこと四方津義人は、レオンから依頼を受けていた。
『草利の教頭が捕まりおった。今は病院に収容されとるようやさかい、早めにバラせ。一応情報は回しといたるさかいな、早う頼むで』
どこから情報を得たのか、レオンは草利中学校の教頭が捕まった事を嗅ぎつけていた。まったく、レオンの情報網も大したものである。
「はあ、まったくめんどくせえな。まっ、今の俺は依頼がありゃあ何でもやるような状態だからな。……兄貴、さすがに恨むぞ」
トラは愚痴を言いながら、自分の商売道具の手入れをしている。
しかしながら、愚痴を言う気持ちもよく分かるというものだ。10年前の組の解散によってようやく堅気になれると喜んだものだった。だが、その後の家族会議で若頭だった兄から言われたのは、残党狩りのために裏の社会に残り続ける事だった。正直言って、トラはその耳を疑った。
その時の決定が、若頭とトラの両親は隠居、若頭は教員免許を取って教師、トラは裏社会でのスパイという、一人だけ貧乏くじを引かされたような状態だった。
しかし、トラは若頭のうまい口車に乗せられて丸め込まれてしまい、現在に至っているのである。
(とはいっても、堅気になった兄貴はそっちの方面から情報を集めてくれてるしな。しかし、まさか兄貴の舎弟だったあの男が、まったく足を洗っていなかったとはな……。本当に馬鹿な奴だよ、こうやって標的になっちまったんだからな)
トラは淡々と手入れを終えた商売道具を鞄にしまい込む。
(さて、例の教頭は兄貴が絡んでいるなら、普通の病棟に居るわけがない。それにしても、レオンの奴も、どこからこういう情報を仕入れてくるんだか……)
雇われの身でありながらも、その主たるレオンも本当に謎の多い人物だった。
教頭が捕まって病院送りになったのは、つい昨日の事である。学校で休職と発表されたのは今日の朝だ。今はその日の夜である。いくらなんでも早すぎる。こうなれば疑われるのは、学校や病院にレオンの内通者が他にも居るという事だろう。
その考えに及んだ時、トラの体がわずかに震えた。
(いや、考えるのはやめておこう。更なる闇に足を突っ込みそうだ……)
そこで思考を止めたトラは、その鞄を抱えて部屋を出ていったのだった。
「ほぉ、確かにこの人物は草利中学校の教頭先生ですな」
そこに立っていたのは水崎警部だった。
「ふぅー、ふぅーっ!」
その目の前には猿ぐつわをされ、ベッドに縛り付けられているにもかかわらず、バタバタと暴れる中年男性が居た。さっき話に出た草利中学校の教頭である。
「どうやら使っていた麻薬の効果が切れて、禁断症状が出ているようですよ。先んじて縛り付けておいて正解でしたね」
そう話すのは、隣に立っている草利中学校校長の四方津だった。冷静なように見えて、その視線は実に冷め切っており、ベッドで暴れる教頭を蔑むように見下ろしていた。
「まったく、更生の機会を与えようとして教頭に推薦したというのにこの体たらくですか。いつまで昔の気分でいるのでしょうね……」
校長の言葉を聞いて、教頭は顔を真っ赤にして殴りかかろうとしている。だが、ベッドに固定された状態では腕を上げる事すら叶わなかった。
「確かに血液検査では簡易ながらも麻薬の成分が出てきたからな。これで逮捕と免許剥奪は免れない。ただ、クスリが抜けるまではこのまま入院になるけどな。……年齢的には、もう社会復帰は難しいだろうな」
水崎警部は冷静に話している。
「でしょうな。せっかくのチャンスを活かせなかったどころか、昔の癖が抜けずに言いなりになっていたのですからな。背後にはあの男たちが居るのは間違いないでしょうが、この状態で証言を得るのは困難です。状況証拠を固めようとしても、あの男の事ですから、きっと証拠なんてものは残していないでしょう」
校長は顎に手を当てて、頷くような仕草を見せながら話し込んでいる。そして、急に水崎警部の方を見る。
「おそらく、状況を把握したあの男は、教頭を消しにかかるでしょう。ちょうど弟を呼び寄せたみたいですからね。この近辺を分からないように固めておかなければ、教頭など一瞬で消し飛ぶでしょうね」
校長の話した「消し」という単語に、教頭は酷く反応している。さっきよりもさらに激しく暴れ、ベッドがひっくり返りそうな勢いである。
「おい、おとなしくしろ」
あまりの暴れっぷりに、校長がギラリとした視線と重く低い声を教頭に向かって飛ばす。すると、さっきまで暴れていた教頭の動きがバッタリと止まった。これが元暴力団の若頭の力というものなのか。
「てめえは死にてえのか? そんなに暴れるってんなら、奴の手の者が下す前に、俺が始末してやってもいいんだぞ?」
この校長の醸し出す雰囲気には、さすがの水崎警部も飲まれかかった。さすがは若頭。そこらのチンピラごときとはまるで迫力が違っていた。
「っと、申し訳ありませんね。つい不出来な舎弟の態度が頭に来ましてね。まったく、ここが病院という事を忘れてしまいそうになりました」
「あ、ああ……。とりあえず、教頭がおとなしくなったので、私の胸三寸にしておきます」
冷静になった校長の謝罪に、水崎警部は顔を引きつらせながらも、落ち着いて反応していた。
「ええ、それは助かります。とりあえず、教頭の処分だけは厳正に願います」
「まあそうですね。とりあえずは体内から麻薬が抜けて落ち着く方が優先ですけれどね」
静かになって目を開けたまま横たわる教頭の姿を、水崎警部と校長の二人はじっと眺めていた。
その頃、浦見市内に滞在するトラこと四方津義人は、レオンから依頼を受けていた。
『草利の教頭が捕まりおった。今は病院に収容されとるようやさかい、早めにバラせ。一応情報は回しといたるさかいな、早う頼むで』
どこから情報を得たのか、レオンは草利中学校の教頭が捕まった事を嗅ぎつけていた。まったく、レオンの情報網も大したものである。
「はあ、まったくめんどくせえな。まっ、今の俺は依頼がありゃあ何でもやるような状態だからな。……兄貴、さすがに恨むぞ」
トラは愚痴を言いながら、自分の商売道具の手入れをしている。
しかしながら、愚痴を言う気持ちもよく分かるというものだ。10年前の組の解散によってようやく堅気になれると喜んだものだった。だが、その後の家族会議で若頭だった兄から言われたのは、残党狩りのために裏の社会に残り続ける事だった。正直言って、トラはその耳を疑った。
その時の決定が、若頭とトラの両親は隠居、若頭は教員免許を取って教師、トラは裏社会でのスパイという、一人だけ貧乏くじを引かされたような状態だった。
しかし、トラは若頭のうまい口車に乗せられて丸め込まれてしまい、現在に至っているのである。
(とはいっても、堅気になった兄貴はそっちの方面から情報を集めてくれてるしな。しかし、まさか兄貴の舎弟だったあの男が、まったく足を洗っていなかったとはな……。本当に馬鹿な奴だよ、こうやって標的になっちまったんだからな)
トラは淡々と手入れを終えた商売道具を鞄にしまい込む。
(さて、例の教頭は兄貴が絡んでいるなら、普通の病棟に居るわけがない。それにしても、レオンの奴も、どこからこういう情報を仕入れてくるんだか……)
雇われの身でありながらも、その主たるレオンも本当に謎の多い人物だった。
教頭が捕まって病院送りになったのは、つい昨日の事である。学校で休職と発表されたのは今日の朝だ。今はその日の夜である。いくらなんでも早すぎる。こうなれば疑われるのは、学校や病院にレオンの内通者が他にも居るという事だろう。
その考えに及んだ時、トラの体がわずかに震えた。
(いや、考えるのはやめておこう。更なる闇に足を突っ込みそうだ……)
そこで思考を止めたトラは、その鞄を抱えて部屋を出ていったのだった。
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