「偽聖女の妹が良い」と婚約破棄された私、辺境の呪われ公爵様に拾われ溺愛されています~今さら国が滅びそうと泣きつかれても手遅れです~

eringi

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第5話 私の祈りが、彼の呪いを溶かすなら

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「……あの、レオンハルト様。本当によろしいのですか? 執務のお邪魔ではないでしょうか」

「いいや、全く邪魔ではない。むしろ、かつてないほど捗っている」

その日の午後、私はアイスバーン城の執務室で、不思議な時間を過ごしていた。
部屋の中央にある重厚な執務机。
その主であるレオンハルト様の隣に椅子を並べ、私は彼の左手を両手で包み込むようにして握っていた。

彼は右手でペンを走らせ、次々と書類に決裁を下している。
その速度は凄まじかった。
昨日見た時は、まるでスローモーションのように重苦しい動きだったのが嘘のようだ。
サラサラとペン先が紙の上を滑る音だけが、静かな部屋に響いている。

「私の呪いは、思考をクリアにする反面、肉体の動きを極端に阻害する。関節の一つ一つに錆びついた鎧をまとっているようなものだ。だが……」

彼はペンを止めず、チラリと私を見た。
その蒼い瞳が、愛おしげに細められる。

「君が触れていると、その重さが消える。血が巡り、指先まで意志が通う。これほど体が軽いのは、呪いを受けて以来、十年ぶりのことだ」

十年。
その年月の重みに、私は息を呑んだ。
まだ二十代半ばに見える彼が、人生の半分近くを、あの氷の檻の中で過ごしてきたというのか。

「お役に立てているなら、嬉しいです」

私は握っている彼の手に、少しだけ力を込めた。
ひんやりとしていた彼の肌が、私の体温と混じり合って、人肌の温もりを帯びていく。
その変化を感じるたびに、私の胸の奥がキュッとなる。
聖女として結界を張っていた時は、魔力を吸い上げられるだけの苦痛と徒労感しかなかった。
けれど、彼との「契約」は違う。
私が彼に熱を与える代わりに、彼からも何かを受け取っているような……そんな循環を感じるのだ。

「それにしても、不思議だな」

レオンハルト様は書類の山を片付けると、ふう、と息をついてペンを置いた。

「君の魔力は枯渇しているはずだと言ったな。なのに、なぜこれほど温かい? ただの体温にしては、呪いへの干渉力が強すぎる」

「……分かりません。ただ、レオンハルト様に触れていると、体の奥から少しずつ力が湧いてくるような気がするのです」

それは嘘偽りのない感覚だった。
昨夜、空っぽだったはずの私の魔力回路に、小さな灯火がともった。
そして今、彼の手を握っていると、その灯火が少しずつ大きくなり、安定していくのが分かる。

「おそらく、相性なのだろうな」

彼は納得したように頷いた。

「私の持つ『氷の魔力』と、君の持つ『聖女の魔力』。本来なら相反するものだが、どうやら君と私の間では、互いを補完し合う作用が働いているらしい」

彼は空いた右手で、私の頬に触れた。
昨日は手袋越しだったその手が、今は素手で、優しく私の輪郭をなぞる。

「君は私を溶かし、私は君を満たす。……運命的だと思わないか?」

「う、運命……」

そんな大それた言葉を、彼は真顔で口にする。
至近距離で見つめられ、私は顔が熱くなるのを止められなかった。
氷の貴公子と呼ばれた彼が、こんなに情熱的な瞳をするなんて、誰も知らないだろう。

「レオンハルト様、失礼します。お茶をお持ちしました」

タイミングよく、ノックとともに扉が開いた。
入ってきたのは執事のセバスチャンだ。
彼は銀のトレイにお茶セットを載せて入ってきたが、その足取りがどこかぎこちない。
そして、部屋の中央あたりまで進んだところで、ピタリと足を止め、目を見開いた。

「こ、これは……」

セバスチャンの視線が、私たちが座っている机の周り……ではなく、部屋全体に向けられている。

「どうした、セバスチャン」

「だ、旦那様……。部屋が、凍っておりません」

言われてみれば、その通りだった。
今朝、私が初めてこの部屋に入った時は、床も壁も霜で覆われ、インク瓶すら凍りついていた。
けれど今は、床の氷は消え失せ、本来の美しい寄木細工の床が見えている。
窓ガラスの霜も溶け、外の雪景色がクリアに見えていた。
暖炉の火も、昨日の弱々しいものではなく、パチパチと元気に燃え上がっている。

「ああ。エルナのおかげだ」

レオンハルト様は当然のように言った。

「彼女がそばにいるだけで、私の冷気が制御される。無意識に撒き散らしていた冷気を抑え込めるようになったのだ」

「なんという……奇跡でしょうか」

セバスチャンは震える声で呟き、トレイを持ったまま深々と頭を下げた。
その目元が、少し潤んでいるように見えたのは気のせいではないだろう。

「長年、旦那様がどれほど苦しんでおられたか、私どもは見ていることしかできませんでした。それが、こんな……。エルナ様、貴女様はまさしく、この城に舞い降りた女神です」

「め、女神だなんて! 私はただ、手を握っているだけで……」

「それが尊いのです!」

セバスチャンは顔を上げ、熱弁を振るった。

「誰も触れることのできなかった旦那様に触れ、その孤独を癒やしてくださった。これ以上の救いがありましょうか。……どうぞ、この紅茶は私の最高傑作でございます。温かいうちに召し上がってください」

差し出された紅茶からは、極上の香りが漂っていた。
そして何より、湯気が立っていた。
この城ではすぐに冷めてしまうはずの紅茶が、温かいままカップに注がれる。
その当たり前の光景が、ここでは奇跡なのだ。

「ありがとう、セバスチャン。美味しい」

私が一口飲むと、セバスチャンは感無量といった表情で再び頭を下げ、静かに退室していった。

「……大げさだな」

レオンハルト様は苦笑したが、その表情は柔らかかった。

「でも、彼らの気持ちも分かります。ずっと、レオンハルト様のことを心配していたのでしょうね」

「心配、か。……化け物だと恐れられていると思っていたが」

「そんなことありません。マーサさんも、他の使用人の方々も、皆レオンハルト様を敬愛していますわ。だからこそ、貴方が苦しんでいる姿を見るのが辛かったのだと思います」

私の言葉に、彼は少し驚いたように瞬きをした。
そして、握っていた私の手を持ち上げ、指先の一本一本に口付けを落とし始めた。

「……っ、レオンハルト様!?」

「君は本当に、心が綺麗だな」

親指、人差し指、中指……。
ゆっくりと、愛おしむようなキスが続く。
その感触に、背筋がゾクゾクと震えた。

「国を追われ、婚約者に裏切られたというのに、他人を思いやる優しさを失っていない。……カイル王子は、とんだ節穴だ。真の宝石をドブに捨て、メッキのガラス玉を拾ったのだから」

「そ、それは言い過ぎです……」

「いいや、事実だ。だが、感謝もしよう。おかげで君は私のものになった」

彼は私の手のひらに頬を寄せ、甘えるようにすり寄せた。

「エルナ。もっと君の力が知りたい。……試してみてもいいか?」

「試す、とは?」

「君の『祈り』だ。聖女としての力を使えば、さらに呪いを抑制できるかもしれない」

「でも、今の私には十分な魔力が……」

「大丈夫だ。私の魔力を君に流す。君というフィルターを通せば、私の氷の魔力も、聖なる力に変換できるかもしれない」

それは危険な賭けにも思えた。
属性の違う魔力を体に入れるのは、激しい拒絶反応を引き起こすこともある。
けれど、彼を見ていると、不思議と「できる」という確信が湧いてきた。

「……分かりました。やってみます」

私は椅子から立ち上がり、彼に向き合った。
彼も立ち上がり、私の両肩に手を置く。

「いくぞ」

彼の瞳が蒼く輝いた。
次の瞬間、冷たくて強大なエネルギーが、肩から私の中へと流れ込んできた。
普通なら凍りついてしまうような奔流。
けれど、それは私の中心にある「聖女の核」に触れた途端、温かな光へと変わった。

(ああ……これは)

懐かしい感覚。
でも、王都で感じていた義務的な魔力ではない。
もっと純粋で、透き通った力。

私は目を閉じ、両手を彼の胸に当てた。
祈る。
どうか、彼の苦痛が和らぎますように。
彼を縛る氷の呪いが、少しでも溶けますように。
彼が、もっと自由に笑えますように。

『――浄化』

言葉にした瞬間、私の手から淡い金色の光が溢れ出した。
その光は彼の胸に吸い込まれ、全身へと広がっていく。

バキキキッ……!

何かが割れるような音が、彼の体の中から聞こえた。
痛みを伴う音ではない。
硬い殻が砕け落ちるような、開放の音だ。

「……っ!」

レオンハルト様が小さく息を呑んだ。
光が収まると、彼は自分の両手を見つめ、そしてゆっくりと首を回した。
関節が鳴る音さえもしない、滑らかな動き。

「信じられない……」

彼が私を見た。
その顔には、少年のような驚きと喜びが浮かんでいた。

「魔力の通り道にあった澱みが、完全に消えている。……今まで、呼吸をするのさえ冷たい泥の中にいるようだったのが、今は春風の中にいるようだ」

彼は衝動的に私を抱きしめた。
力強い腕。鼓動の音が、私の耳元で高鳴っている。

「すごいぞ、エルナ! 君の祈りは、本当に奇跡だ!」

「レオンハルト様、苦しいです……!」

「ああ、すまない。嬉しくて、つい」

彼は腕を緩めたが、離そうとはしなかった。
むしろ、さらに密着するように私を抱き寄せ、その顎を私の頭に乗せた。

「君を離したくない。……もう二度と、この温もりなしでは生きられない体になってしまったようだ」

「えっと、それは責任重大ですね……」

「ああ、責任をとってもらおう。一生かけてな」

彼の低音ボイスが鼓膜を揺らす。
一生、という言葉の重みに、心臓が跳ねた。
これはプロポーズなのだろうか? それとも、高性能カイロとしての長期契約の確認なのだろうか?
どちらにせよ、私の居場所はここにあるのだと、強く感じられた。

その時だった。
窓の外、吹雪の向こうから、不穏な気配が近づいてくるのを、私の聖女としての感覚が捉えた。
同時に、執務室の扉が再びノックされた。

「旦那様、急報です!」

入ってきたのは、城の警備を任されている騎士団長だった。
彼は険しい表情で、短く告げた。

「領境で立ち往生していた王家の視察団ですが……強行突破を図ったようです。魔導具を使って吹雪を一時的に晴らし、こちらへ向かってきています。あと一時間ほどで到着するかと」

部屋の空気が、一瞬にして凍りついた。
レオンハルト様が私を抱きしめる腕に、力がこもる。
先ほどまでの甘い雰囲気は消え失せ、彼の瞳は再び「魔公爵」の冷徹さを宿していた。

「……ほう。死に急ぐか、愚か者ども」

彼は私をゆっくりと離すと、マントを翻して窓際に立った。
その背中から、どす黒いほどの冷気が立ち上る。

「私の領土に土足で踏み入ることが、どれほどの代償を伴うか。……教えてやる必要があるようだな」

「レオンハルト様……」

「エルナ、君は部屋にいろ。決して出るな」

彼は振り返り、私に命じた。
けれど、私は首を横に振った。

「いいえ。私も行きます」

「なっ……何を言う! 奴らは君を殺しに来たかもしれないんだぞ!?」

「だからこそです。私が逃げ隠れすれば、彼らはこの城を捜索しようとするでしょう。そうなれば、城の皆さんに迷惑がかかります」

私は真っ直ぐに彼の瞳を見つめ返した。

「それに、私には貴方がついています。……最強の公爵様が守ってくださるのでしょう?」

私の言葉に、彼は一瞬呆気にとられ、それから楽しそうに笑った。

「……ははっ! 君は、見かけによらず肝が据わっているな」

彼は私の元に戻り、再び私の手を握った。

「いいだろう。私の隣にいろ。そして、特等席で見せてやろう。君を捨てた国と、君を選んだ私……どちらが『力』を持っているかを」

レオンハルト様の顔に浮かんだのは、嗜虐的とも言える凄絶な笑みだった。
これから始まるのは、話し合いではない。
一方的な蹂躙、あるいは「ざまぁ」の幕開けだ。

私たちは手を繋いだまま、城のエントランスへと向かった。
廊下ですれ違う使用人たちが、驚きとともに道を開ける。
氷の呪いが解け、堂々と歩く公爵様と、その隣に寄り添う黒髪の元聖女。
その姿は、彼らの目にどう映っただろうか。

城の大扉が開かれる。
猛吹雪が吹き込む中、遠くから馬蹄の音が聞こえてきた。
王家の紋章を掲げた馬車と、重武装の騎士たち。
かつて私を断罪し、追放した者たちの手先が、そこまで迫っていた。

「さあ、お出迎えといこうか」

レオンハルト様が指を鳴らす。
その瞬間、私の視界を覆うほどの巨大な氷の槍が、空中に無数に出現した。

(第5話 完)
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