「偽聖女の妹が良い」と婚約破棄された私、辺境の呪われ公爵様に拾われ溺愛されています~今さら国が滅びそうと泣きつかれても手遅れです~

eringi

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第21話 王子の焦燥「なぜ雨が降らないんだ?」

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王城の地下深く。
石造りの冷たく湿った牢獄の中に、かつてこの国の頂点に立つはずだった男、カイル・ルミナス王太子は転がされていた。

「……なぜだ。なぜ、こうなった」

カイルは鉄格子を掴み、血走った目で暗い廊下を睨みつけた。
数時間前までは、玉座の間でふんぞり返っていた。
エルナが戻ってくれば、全てが元通りになると信じていた。
しかし現実は、泥だらけの床と、鼻をつくカビの臭い、そして絶望的な静寂だけだ。

「雨だ……雨さえ降ればよかったんだ……」

彼はうわごとのように繰り返した。

ここ数ヶ月、彼の頭の中は「雨」でいっぱいだった。
エルナを追放した後、王都は異常な干ばつに見舞われた。
最初は「たまたまだ」と楽観視していたが、一ヶ月経ち、二ヶ月経っても、空は鉛色の雲に覆われるだけで、慈愛の雨を一滴も落とさなかった。
井戸は枯れ、作物は立ち枯れ、民衆の不満は日に日に高まっていった。

『殿下、また暴動です! 水をよこせと市民が城門に押し寄せています!』
『うるさい! 私に言うな! ミューアに祈らせろ!』

カイルは毎日、焦燥感に焼かれていた。
ミューアは「祈っている」と言っていた。
「私の祈りは完璧ですわ。きっと明日は降ります」と、可愛い笑顔で請け合っていた。
だから彼は信じた。
信じて、備蓄していた水や食料を放出し、なんとかその場を凌いできた。

だが、雨は降らなかった。

「……ミューア! おい、聞こえているのか!」

カイルは隣の牢に向かって怒鳴った。
そこには、ドレスも髪もボロボロになったミューアが、体育座りでうずくまっていた。

「……うるさいですわね。頭が痛いんですから、静かにしてくださる?」

「貴様のせいだぞ! 貴様がちゃんと祈らなかったから、雨が降らなかったんだ! あの時、雨さえ降っていれば、民衆は私を支持し、エルナなんかに靡くことはなかったんだ!」

カイルの八つ当たりに、ミューアもまた、狂気を孕んだ目で噛み付いた。

「私のせいじゃありませんわ! 私は祈りましたもの! ……いえ、正確には『祈るフリ』は完璧でした! 台座に座って、神官たちに囲まれて、ニコニコしていたんですから!」

「それがダメだったと言っているんだ! 魔力を使え、魔力を!」

「使おうとしましたわよ! でも、変なんですの。台座に魔力を流しても、すぐに霧散してしまうんですもの。まるで、誰かに邪魔されているみたいに……」

「邪魔? 言い訳をするな!」

「本当ですわ! それに、バルドス宰相が言っていましたもの。『聖女様の負担を減らすために、調整しておきました』って!」

「……バルドス?」

カイルの動きが止まった。
宰相バルドス。
父王が病に伏せってから、カイルの後見人として国政を取り仕切ってきた老獪な男だ。
カイルにとっては、厳しくも頼れる相談役であり、エルナの追放を強く進言したのも彼だった。

『殿下。エルナ様の陰気なオーラが、国の運気を下げているのです。華やかなミューア様こそが、新時代の象徴にふさわしい』

そう言って、ミューアを推挙したのもバルドスだった。

「待てよ……。そういえば、あいつが用意した『聖女補助装置』とやらを使い始めてから、余計に天候が悪化したような……」

カイルの脳裏に、一つの疑念が浮かび上がった。
バルドスは、この危機的状況の中で、やけに落ち着いていた。
水不足で民が苦しむ中、彼だけは潤沢な水を確保し、独自のルートで配給を行っていた。
「宰相閣下の慈悲だ」と、一部の民衆から感謝されていたほどだ。

「まさか……」

カイルは愕然とした。
自分が無能だと罵られ、焦燥に駆られている間、その裏で糸を引いていた者がいたとしたら?

「……そうだ。あいつだ。あいつが、雨を止めていたんだ」

カイルは鉄格子に額を打ち付けた。
自分の愚かさに、今さらながら気づいたのだ。
彼はエルナを捨てただけでなく、国を食い物にする古狸に、まんまと利用されていたのだ。

「出してくれ! 誰か! 宰相を捕まえろ! あいつが黒幕だ!」

カイルの叫びは、冷たい石壁に虚しく反響するだけだった。
もはや彼には、命令を下す権限も、それを聞く部下もいないのだから。

   ***

一方その頃。
王城の東棟にある宰相執務室。

エルナたちが玉座の間を制圧し、王都に浄化の雨を降らせている間、この部屋だけは異様な静けさに包まれていた。
部屋の主である宰相バルドスは、窓から見える青空――エルナがもたらした奇跡の光景――を、忌々しげに見つめていた。

「……チッ。まさか、ここまでやるとはな」

白髪交じりの髪を撫でつけ、バルドスは舌打ちをした。
彼の計算では、カイルとミューアがもう少し時間を稼ぐはずだった。
その間に、彼は裏帳簿を処分し、蓄えた資産を持って国外へ高飛びする計画だったのだ。

「『本物の聖女』の力、侮っていたか。……まあいい。金は十分に集まった」

彼は机の上の鞄に、魔法の小切手や宝石を詰め込んだ。
これらは全て、王都の水不足と食糧難に乗じて、彼が闇市場で稼ぎ出した利益だ。

彼は「気象操作の魔道具」を密かに城の地下に設置し、ミューアの微弱な祈りを妨害していた。
さらに、意図的に雨雲を散らし、干ばつを引き起こした。
水がなくなれば、人は水を金で買うようになる。
彼は隣国から水を安く輸入し、それを高値で国民に売りつけることで、莫大な富を築いていたのだ。

「国が滅びようが知ったことではない。私は私の老後が安泰ならそれでいいのだ」

バルドスは冷笑を浮かべ、隠し通路の扉を開こうとした。
その時だった。

ドォォォォン!!

執務室の重厚な扉が、凄まじい衝撃と共に吹き飛んだ。

「な、なんだ!?」

煙と共に踏み込んできたのは、黒い軍服の男と、青いドレスの女。
そして、その後ろに控える筋肉の壁。

「……逃げる気か、狸爺」

氷の魔公爵、レオンハルト・アイスバーンが、絶対零度の視線でバルドスを射抜いた。

「ごきげんよう、宰相閣下。……随分とお急ぎのようですね」

その隣で、エルナ・フォレスティが氷のように冷たい微笑を浮かべている。

「き、貴様ら……! なぜここが!」

バルドスは後ずさった。
玉座の間からここまでは距離がある。
カイルたちが捕まってから、まだ数十分も経っていないはずだ。

「セバスチャンの情報網を甘く見るな。……それに、ミューアが散らかしていた請求書の中に、貴様の署名入りの裏取引の書類が混ざっていたぞ」

レオンハルトは一枚の紙をヒラヒラと振った。

「脇が甘いな。傀儡の管理もできないとは」

「くっ……あの馬鹿女が!」

バルドスは鞄を抱きしめ、隠し通路へ飛び込もうとした。

「逃がさん!」

「フンッ!」

ロベルト・バーンスタインが、人間とは思えない速度で回り込み、隠し通路の前に立ちはだかった。
彼は自慢の大胸筋をピクピクさせながら、白い歯を見せて笑った。

「よう爺さん。ここから先は『筋肉通行止め』だ。……どうしても通りたければ、俺とスクワット対決で勝ってからにしな」

「ひぃっ……!」

退路を断たれたバルドスは、引きつった笑みを浮かべて振り返った。

「ま、待て! 話し合おう、公爵! 私には金がある! この鞄の中身を半分……いや、全部やろう! だから見逃してくれ!」

「金?」

レオンハルトは呆れたように鼻を鳴らした。

「私が金に困っているとでも? 北の領地には、貴様が一生かかっても稼げないほどの資源がある」

「そ、それなら権力だ! 私はこの国のあらゆる裏事情を知っている! 私を味方につければ、お前が国王になるのも容易いだぞ!」

「興味がない。……私が欲しいものは、すべてこの手の中にある」

レオンハルトはエルナの肩を抱き寄せた。

「私の望みは、エルナが心穏やかに暮らせる世界を作ることだけだ。……そして貴様は、その世界にとって害悪でしかない」

「ひっ……!」

バルドスは最後の手段に出た。
彼は懐から、黒い水晶玉を取り出した。
それは、彼が天候操作に使っていた闇の魔道具の制御核だ。

「くるな! 近づくな! これを割れば、王都の地下水脈に毒が流れる仕掛けになっている! 私を捕まえれば、王都の人間は全員死ぬぞ!」

彼は狂ったように叫んだ。
典型的な悪党の捨て台詞だ。

エルナが一歩前に出た。
彼女の顔には、恐怖も焦りもなかった。
あるのは、静かな怒りと、圧倒的な自信だけ。

「……哀れですね」

「な、なんだと!?」

「自分の保身のために、罪のない人々を人質に取るなんて。……貴方のその腐った性根、私が浄化して差し上げます」

エルナが左手をかざした。
指輪とチョーカーが、眩い光を放つ。

「無駄だ! これは古代の呪術がかかった特級品だ! 聖女の祈りごときで……」

バルドスが水晶を床に叩きつけようとした、その瞬間。

『――断絶浄化(アイソレーション・クリア)』

ヒュンッ!

エルナの魔法が、光の矢となって水晶を貫いた。
しかし、水晶は割れなかった。
代わりに、水晶の中から黒いモヤのようなものが吸い出され、光に溶けて消滅したのだ。

「な……?」

バルドスは手の中の水晶を見た。
それは、ただの透明なガラス玉に変わっていた。

「呪いは解きました。毒の術式も消去済みです。……ただのガラス玉なら、いくら割っても大丈夫ですよ?」

エルナはニッコリと微笑んだ。

「ば、馬鹿な……! あの一瞬で、術式解析と浄化を同時に行ったというのか!?」

「愛の力ですわ。ね、レオン様?」

「ああ。エルナの愛は無敵だ」

レオンハルトは満足げに頷き、ゆっくりとバルドスに歩み寄った。

「さて、切り札もなくなったようだな。……カイルが牢屋で泣いていたぞ。『なぜ雨が降らなかったんだ』とな」

「そ、それは……」

「貴様が止めていたからだ。私腹を肥やすためにな。……その罪、万死に値する」

レオンハルトが手をかざすと、バルドスの足元から氷が這い上がった。

「ま、待ってくれ! 死にたくない! 助けてくれぇぇぇ!」

「安心しろ、殺しはしない。……楽には死なせないという意味だがな」

パキパキパキ……!

氷はバルドスの首から下を完全に覆い尽くし、彼を氷像に変えた。
顔だけが出ている状態で、彼は恐怖に引きつった表情のまま固まった。

「このまま地下牢へ運べ。カイルとミューアの向かいの部屋がいいだろう。お互いに罪を擦り付け合いながら、永遠に寒い夜を過ごすがいい」

「イエッサー!」

ロベルトが氷漬けのバルドスを軽々と担ぎ上げた。
まるで丸太でも運ぶような気軽さだ。

「これにて一件落着だな! いやあ、いい汗かいたぜ!」

「……汗をかいたのはお前だけだ」

レオンハルトはため息をつきつつも、その表情は晴れやかだった。

   ***

宰相バルドスの捕縛により、王都にはびこっていた闇は一掃された。
彼が隠し持っていた莫大な資産はすべて没収され、国庫へと戻された。
さらに、彼が操作していた気象魔道具が破壊されたことで、王都の天候は完全に正常化した。
エルナの浄化によって清められた大地に、今度は自然の、恵みの雨が降り注ぎ始めたのだ。

シトシトと降る雨音を聞きながら、カイルは牢獄の格子越しに、向かいの牢に放り込まれたバルドスを睨みつけていた。

「貴様のせいか……! 貴様が雨を止めていたのか!」

「フン……無能な王子が。お前がもう少し賢ければ、私ももう少し上手くやれたものを」

氷漬けのまま(魔法で生命維持はされている)、バルドスは憎まれ口を叩く。
その横で、ミューアが「お腹すいたぁ……ドレス返してぇ……」と泣いている。

かつての栄華を誇った三人の、あまりにも惨めな末路。
彼らの声は、雨音にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。

   ***

王城のバルコニー。
雨上がりの空に、大きな虹がかかっていた。
浄化された王都の街並みは、水に洗われてキラキラと輝いている。
広場には人々が集まり、公爵家の旗を振って歓声を上げているのが見えた。

「……終わりましたね」

私は手すりにもたれ、虹を見上げた。
長い、長い戦いだった。
婚約破棄され、追放され、凍え死にそうになったあの日から。
レオン様に出会い、愛を知り、そしてこうして故郷を取り戻すまで。

「ああ。……君が勝ったんだ、エルナ」

隣に立つレオン様が、私の肩を抱いた。

「君は復讐を果たしただけでなく、この国そのものを救った。……これ以上の『ざまぁ』はないだろう」

「ふふっ、そうですね。……でも、不思議と胸がすくような気持ちだけではありません」

私は街を見下ろした。
そこには、これから復興に向けて歩き出す人々の姿がある。

「これからが大変ですわ。……王家が機能を失った今、誰かがこの国を支えなければ」

「そうだな。……だが、それは君が背負うべき荷物ではない」

レオン様は私の方を向かせ、真剣な眼差しで見つめた。

「この国の管理は、信頼できる貴族たちによる評議会に任せよう。ロベルトも協力すると言っている。……君はもう十分すぎるほど働いた」

彼は私の頬に手を添えた。

「そろそろ、私たちの時間に戻ろう。……北の城へ」

「……はい」

私は深く頷いた。
王都での生活、聖女としての義務、そして過去の因縁。
すべてに別れを告げる時が来たのだ。

「でも、その前に一つだけ」

レオン様が悪戯っぽく笑った。

「君の父、フォレスティ公爵への挨拶がまだだったな」

「お父様に?」

「ああ。娘を不当に扱った罪、そしてミューアの暴走を止められなかった責任。……きっちりと清算してもらわねば」

そういえば、父の姿を見ていない。
あの厳格で、利益主義だった父。
カイル殿下が失脚した今、彼はどうしているのだろうか。

「おそらく、屋敷で震えている頃だろう。……行こうか、エルナ。これが最後の『家族の情』だ」

私たちはバルコニーを後にした。
虹の架かる空の下、私たちの足取りは軽かった。
過去の鎖を断ち切り、本当の自由と幸せを手にするために。

   ***

フォレスティ公爵邸。
かつて私が育った、冷たい家。

屋敷の中は静まり返っていた。
使用人たちの姿もなく、家具には白い布がかけられている。
父の書斎へ向かうと、そこには一人の初老の男が、抜け殻のように椅子に座っていた。

「……お父様」

私が声をかけると、父はゆっくりと顔を上げた。
その顔は、数ヶ月前よりも一気に十年ほど老け込んだように見えた。

「エルナ……か」

父の声は枯れていた。

「見たよ。……城での君の活躍を。魔法で映し出されていた」

父は力なく笑った。

「美しくなったな。……ミューアよりも、ずっと」

「今さら、何を仰るのですか」

「後悔しているのだよ。……私は見る目がなかった。本物の宝石をドブに捨て、ガラス玉を磨いていたとは」

父は机の上の写真立てを倒した。
そこには、幼い頃のミューアの写真が入っていた。

「ミューアは……私の甘やかしがダメにしたのだな。そして君は、私の冷遇が強くしたのか」

「……感謝はしませんよ、お父様」

私は冷たく突き放した。

「私が強くなれたのは、レオン様がいたからです。父上の冷遇は、私に孤独を教えただけでした」

「……そうか。そうだな」

父は目を閉じた。

「公爵位は返上する。財産も全て国に没収されるだろう。……私は隠居して、罪を償うつもりだ」

「それがよろしいかと思います」

レオン様が口を開いた。

「貴公には、厳しい冬が待っているだろう。だが、エルナが味わった孤独に比べれば、まだ生ぬるい」

レオン様は私の手を取り、背を向けた。

「行くぞ、エルナ。……ここにはもう、君の居場所はない」

「はい、レオン様」

私は一度も振り返らず、部屋を出た。
背後で、父のすすり泣く声が聞こえた気がしたが、足を止めることはなかった。

屋敷を出ると、空には満天の星が輝いていた。
雨上がりの夜空は、どこまでも澄み渡っている。

「終わったな」

「ええ。……本当に、終わりました」

私は大きく息を吸い込んだ。
冷たいけれど、どこか温かい夜風。

「帰ろう、エルナ。……私たちの家に」

レオン様が氷竜を呼び出した。
私たちはそれに乗り込み、北の空へと飛び立った。
眼下には、復興の灯りがともり始めた王都が小さくなっていく。

「さようなら、私の過去」

私は小さく呟き、前を向いた。
そこには、愛する人の背中と、私たちを待つ温かい城がある。
これからは、誰のためでもなく、自分たちのために生きていくのだ。

私の「ざまぁ」と「溺愛」の物語は、ここで一つの区切りを迎えた。
しかし、私たちの幸せな生活は、まだ始まったばかりだ。
北の地でのスローライフ、結婚式、そして……もしかしたら、新しい家族が増える未来も。

氷の公爵様との甘い日々は、これからもずっと続いていく。

(第21話 完)
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