35 / 36
第35話 レオンハルト様からの、二度目のプロポーズ
しおりを挟む
中庭での幻想的な愛の誓いから、一夜が明けた。
「来世まで一緒に」という、重くも甘美なプロポーズを受けた私は、翌朝、小鳥のさえずりではなく、夫の熱視線で目を覚ました。
「……おはよう、エルナ」
「お、おはようございます……レオン様」
目を開けると、至近距離に美しい顔があった。
彼は頬杖をついて、寝顔を観察していたらしい。
朝から心臓に悪い美貌だ。
「昨夜の君は、雪の精霊のように美しかった。……夢ではなかったと確認するために、こうして一時間ほど君を見ていたところだ」
「い、一時間もですか……?」
「ああ。瞬きするのも惜しいくらいにな」
彼はさらりと言う。
結婚して数ヶ月、さらに妊娠が判明してからというもの、彼の溺愛ぶりは天井知らずだ。
以前の「氷の魔公爵」という異名が信じられないほど、今の彼は「愛の炎の公爵」と化している。
「さて、エルナ。今日は重要な議題がある」
朝食を終え、サンルームで寛いでいると、レオン様が真剣な顔で切り出した。
手には一枚の羊皮紙を持っている。
「重要な議題……? 領地の経営に関することでしょうか?」
「いや、もっと重大だ。……国家プロジェクトと言ってもいい」
彼はゴクリと喉を鳴らし、私の目の前で片膝をついた。
昨夜のプロポーズの再現かと思ったが、彼の手にあるのは指輪ではなく、企画書のようなものだった。
「エルナ。……私からの、もう一つのプロポーズを受け入れてほしい」
「はい? 何でしょう」
「『ベビーシャワー』を開催したい」
「……はい?」
私はきょとんとした。
ベビーシャワー。
それは、出産を控えた妊婦と、生まれてくる赤ちゃんを祝うパーティーのことだ。
王都では一部の貴族の間で流行り始めていたが、まさか北の地で、しかもレオン様の口からその単語が出るとは思わなかった。
「君と、お腹の子のための祝宴だ。……ただのお茶会ではない。国を挙げての、盛大なフェスティバルにしたいんだ」
彼の目は本気だった。
企画書を覗き込むと、そこには驚くべき内容が記されていた。
『アイスバーン公国・第一回ベビーシャワー計画』
・招待客:全領民および近隣諸国の友好大使
・会場:城の前庭および城下町全域
・予算:無制限(私のポケットマネーから)
・メインイベント:花火一万発、および記念硬貨の発行
「き、規模が大きすぎませんか……!?」
「これでも抑えた方だ。……本当は、大陸全土に招待状を送りつけたかったのだが、君の身体に障るといけないので自重した」
彼は真顔で言っている。
妊娠が分かってからの彼は、「嬉しい」という感情が暴走して、何か形にしないと気が済まないらしい。
「この子が生まれてくることを、世界中の人々に祝福してもらいたいんだ。……そして何より、命がけでこの子を育んでいる君を、女王のように称えたい」
彼は私の手を取り、甲にキスをした。
「どうだろう、エルナ。……私のこの『プロポーズ』、受けてくれるか?」
そんな風に見つめられて、断れるはずがない。
それに、領民たちも最近、お祝いムードで浮き足立っていると聞く。
みんなで喜びを分かち合う場を作るのも、悪くないかもしれない。
「……分かりました。お受けします」
私が頷くと、レオン様はパァッと顔を輝かせた。
「ありがとう! よし、セバスチャン! 準備だ! 最高の一日にするぞ!」
「かしこまりました。……すでに手配は進めております」
どこからともなく現れたセバスチャンが、ニヤリと笑った。
どうやら、主従揃ってやる気満々だったらしい。
こうして、アイスバーン公国初となる、前代未聞の「国家規模ベビーシャワー」の開催が決定したのだった。
***
開催決定からの数日間、城は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
料理長のハンスさんは「妊婦様にも優しい、最強のフルコース」の開発に没頭し、マダム・ロゼは「マタニティドレスの革命を起こしますわ!」と布の山に埋もれている。
城下町では、職人たちが赤ちゃんのための特製家具やおもちゃを作り始め、街中がパステルカラーの飾り付けで彩られていく。
そして、当日。
アイスバーン城は、祝福の熱気に包まれていた。
「おめでとうございます、エルナ様!」
「元気な赤ちゃんを産んでくださいね!」
庭園に設けられた特設会場には、招待された領民たちが溢れかえっていた。
彼らは皆、手作りのプレゼントや花束を持って駆けつけてくれたのだ。
高価な宝石などないけれど、編みぐるみの靴下や、安産のお守り、採れたての果物など、心のこもった贈り物ばかりだ。
「皆さん……ありがとうございます」
私はロゼ特製の、お腹を締め付けないゆったりとしたドレスを着て、テラスから手を振った。
淡い黄色のドレスは、タンポポのように可憐で、見ているだけで心が弾む。
「……良い光景だ」
隣に立つレオン様が、満足げに頷いた。
今日の彼は、私のドレスに合わせた黄色のクラバットを締め、柔らかな雰囲気を纏っている。
かつて「氷の魔公爵」と呼ばれ、人々を遠ざけていた彼が、今ではこうして民衆の中心で笑っている。
その事実だけで、私は泣きそうになる。
「エルナ、泣くのは早いぞ。……まだメインゲストが到着していない」
「メインゲスト?」
「ああ。……少し騒がしい連中だが、君を祝いたいという気持ちだけは本物らしい」
レオン様が苦笑しながら城門の方を指差した。
すると、地響きのような足音と共に、聞き覚えのある大声が響いてきた。
「ぬん! 到着だぁぁぁ!」
「ちょっと! 揺らさないでよ! 私のヘアセットが崩れるじゃない!」
土煙を上げて現れたのは、巨大な御輿(みこし)のようなものを担いだ男たちの集団だった。
その先頭で、上半身裸に蝶ネクタイという奇妙な正装をしたロベルト・バーンスタイン辺境伯が仁王立ちしている。
そして、彼が担ぐ御輿の上には、ピンク色のドレスを着てふんぞり返る少女――ミューアの姿があった。
「ロベルト様……それに、ミューア!」
「よう! レオンハルト! エルナ嬢! 祝いに来たぞ! マッスル・ベビーシャワーだ!」
「お姉様! 久しぶりですわね! 元気にしていて!?」
二人は嵐のように会場へとなだれ込んできた。
周囲の領民たちが、その迫力に道を開ける。
「わざわざ来てくれたのね。……でも、その格好はなんなの?」
私が尋ねると、ロベルト様はニカッと笑ってポーズを決めた。
「正装だ! 祝いの席だからな、一番仕上がった筋肉を見せるのが礼儀だろう!」
「礼儀の定義が違いますわ」
「うるさいわね筋肉! 降ろしなさいよ!」
ミューアがロベルト様の頭をペシペシと叩く。
彼女もまた、以前よりずっと健康的で、肌ツヤが良くなっていた。
あのヒステリックな雰囲気は消え、どこか肝が据わったような強さを感じる。
「はいはい、女王様のお通りだ」
ロベルト様が恭しく(しかし雑に)ミューアを降ろすと、彼女はスカートを払って私に駆け寄ってきた。
「おめでとう、お姉様! ……ふん、相変わらず幸せそうな顔をして。少しはやつれているかと思いましたのに」
「ありがとう、ミューア。……貴方も元気そうね」
「当然ですわ! ロベルト様の領地で、男たちを鍛え上げるのに忙しいんですもの。……最近じゃ、『ミューア教官の愛のムチ』を受けるために行列ができているんですのよ?」
彼女は自慢げに胸を張った。
どうやら、彼女の天職は本当に「教官」だったらしい。
「さて、本題だ。……俺たちからの祝いの品を持ってきたぜ!」
ロベルト様が指を鳴らすと、部下たちが巨大な箱を運んできた。
リボンがかけられているが、中からは鉄の匂いがする。
「まさか……」
「開けてみろ!」
恐る恐る箱を開けると、中に入っていたのは――。
「……ダンベル?」
しかも、ただのダンベルではない。
赤ちゃん用に小さく作られた、金ピカに輝くダンベルだった。
さらに、赤ちゃん用のプロテインシェイカー(純金製)と、トレーニングベンチ(ミニサイズ)もセットになっている。
「『英才教育セット』だ! 生まれた瞬間から鍛えれば、三歳で岩を砕けるようになるぞ!」
「いりません!」
私は即答した。
レオン様もこめかみを押さえている。
「ロベルト……気持ちは受け取るが、私の子供を脳筋にするつもりはない」
「なんだと!? 筋肉は裏切らないぞ! 魔法が使えなくても、筋肉があれば生きていける!」
「魔法は使えるように育てるから安心しろ」
「ちぇっ。……まあいい。使わないなら、ドアストッパーにでもしてくれ」
あまりにも高級なドアストッパーだ。
「私からはこれよ!」
ミューアが差し出したのは、可愛らしいラッピングがされた箱だった。
中には、フリルたっぷりのベビー服と、手作りのスタイが入っていた。
刺繍は少し歪んでいるけれど、一生懸命縫ったことが伝わってくる。
「……これ、私がデザインして、縫いましたの。ロベルト様のところの裁縫部(筋肉隆々の男たち)に手伝わせて」
「まあ……可愛い!」
私はスタイを手に取り、頬ずりした。
「ありがとう、ミューア。……本当に、嬉しいわ」
「か、勘違いしないでよね! 私はただ、未来の姪っ子か甥っ子が、ダサい服を着ていたら可哀想だと思っただけよ!」
彼女はツンと顔を背けたが、その表情は照れくさそうだった。
素直じゃないところは相変わらずだけれど、その根底にある優しさは、もう隠しきれていない。
「……いい妹を持ったな、エルナ」
レオン様が私の耳元で囁いた。
「ええ。……自慢の妹です」
こうして、珍客たちの到着により、ベビーシャワーはさらに賑やかなものとなった。
ロベルト様は領民たちと腕相撲大会を始め、ミューアは女性たちに美容講座を開いている。
カオスだけれど、どこまでも温かい空間。
「……そういえば、レオン様」
ふと、私は思い出したように言った。
「貴方からの『プレゼント』は、まだいただいていませんわ」
「え?」
「プロポーズの時に仰っていたでしょう? 『とびきりのサプライズ』を用意していると」
昨夜のプロポーズは言葉だけだった。
いや、言葉だけでも十分嬉しかったけれど、彼のことだから何か「形」を用意しているのではないかと思ったのだ。
「……バレていたか」
レオン様は観念したように笑い、懐から一つの小箱を取り出した。
「実は、渡すタイミングを見計らっていたんだ。……ロベルトのダンベルの後に渡すのは、少々気が引けるが」
彼は箱を開け、中身を私に見せた。
それは、宝石のついた鍵だった。
氷のような透明なクリスタルで作られた、美しい鍵。
「これは……?」
「城の裏手にある、古い離れの鍵だ」
「離れ?」
「ああ。……そこを改装して、『絵本図書館』を作ったんだ」
「えっ……!」
「君と、子供のために。……世界中の絵本や、君が好きそうな物語を集めた、専用の図書館だ。暖炉もあって、床暖房も完備している。……君が疲れた時、静かに過ごせる場所を作りたかった」
レオン様の言葉に、私は胸が詰まった。
豪華な宝石やドレスよりも、ずっとずっと嬉しい贈り物。
私が本を読むのが好きだということを、そして静かな時間を愛していることを、彼は一番よく知ってくれている。
「……ありがとうございます。最高のプレゼントです」
「気に入ってくれたか?」
「はい。……子供が生まれたら、毎日そこで読み聞かせをしてあげます」
「私も混ぜてくれ。……私の声なら、よく眠れるはずだ」
「ふふっ、そうですね」
私たちは寄り添い合い、賑やかなパーティー会場を眺めた。
ロベルト様が「マッスル乾杯!」と叫び、ミューアが「ちょっと、私のジュース飲まないでよ!」と怒っている。
ハンスさんが料理を運び、マーサさんが子供たちにお菓子を配っている。
なんて幸せな景色だろう。
かつて孤独だった私と彼が、今ではこんなにも多くの愛に囲まれている。
「エルナ」
レオン様が私の肩を抱いた。
「……生まれてくる子は、きっと幸せになる」
「ええ。……だって、こんなに素敵なパパと、愉快な仲間たちが待っているんですもの」
「『愉快な』は余計だがな」
彼は苦笑し、そして優しく私のお腹に手を当てた。
「待っているよ。……私たちの希望」
お腹の中の赤ちゃんが、ポコッと動いた。
まるで「うん、分かってるよ」と答えるように。
ベビーシャワーは夜まで続き、最後はレオン様が魔法で打ち上げた一万発の花火で幕を閉じた。
夜空に咲く大輪の花を見上げながら、私は心の中で誓った。
この幸せを、絶対に守り抜く。
そして、生まれてくる子に、この世界の美しさをたくさん教えてあげよう。
レオン様の手の温もりと、お腹の重みを感じながら、私は人生で一番の幸福を噛み締めていた。
***
そして、季節は巡る。
夏が過ぎ、秋が来て、やがて北の大地に再び冬が訪れる頃。
ついに、その時はやってきた。
「うっ……! レ、レオン様……!」
深夜、突然の痛みに私が目を覚ますと、隣で眠っていたレオン様が弾かれたように飛び起きた。
「どうした!? 陣痛か!?」
「は、はい……たぶん……」
「落ち着け! いや、私が落ち着け! セバスチャン! 医師を呼べ! お湯だ! いや、氷か!? どっちだ!」
最強の公爵様が、かつてないほどパニックになっている。
その姿を見て、痛みの最中なのに、私は少し笑ってしまった。
「大丈夫です、レオン様。……私たちがついていますから」
私は彼の手を握りしめた。
長い夜が始まる。
そして、新しい朝と共に、新しい命がこの世に生を受けるのだ。
(第35話 完)
「来世まで一緒に」という、重くも甘美なプロポーズを受けた私は、翌朝、小鳥のさえずりではなく、夫の熱視線で目を覚ました。
「……おはよう、エルナ」
「お、おはようございます……レオン様」
目を開けると、至近距離に美しい顔があった。
彼は頬杖をついて、寝顔を観察していたらしい。
朝から心臓に悪い美貌だ。
「昨夜の君は、雪の精霊のように美しかった。……夢ではなかったと確認するために、こうして一時間ほど君を見ていたところだ」
「い、一時間もですか……?」
「ああ。瞬きするのも惜しいくらいにな」
彼はさらりと言う。
結婚して数ヶ月、さらに妊娠が判明してからというもの、彼の溺愛ぶりは天井知らずだ。
以前の「氷の魔公爵」という異名が信じられないほど、今の彼は「愛の炎の公爵」と化している。
「さて、エルナ。今日は重要な議題がある」
朝食を終え、サンルームで寛いでいると、レオン様が真剣な顔で切り出した。
手には一枚の羊皮紙を持っている。
「重要な議題……? 領地の経営に関することでしょうか?」
「いや、もっと重大だ。……国家プロジェクトと言ってもいい」
彼はゴクリと喉を鳴らし、私の目の前で片膝をついた。
昨夜のプロポーズの再現かと思ったが、彼の手にあるのは指輪ではなく、企画書のようなものだった。
「エルナ。……私からの、もう一つのプロポーズを受け入れてほしい」
「はい? 何でしょう」
「『ベビーシャワー』を開催したい」
「……はい?」
私はきょとんとした。
ベビーシャワー。
それは、出産を控えた妊婦と、生まれてくる赤ちゃんを祝うパーティーのことだ。
王都では一部の貴族の間で流行り始めていたが、まさか北の地で、しかもレオン様の口からその単語が出るとは思わなかった。
「君と、お腹の子のための祝宴だ。……ただのお茶会ではない。国を挙げての、盛大なフェスティバルにしたいんだ」
彼の目は本気だった。
企画書を覗き込むと、そこには驚くべき内容が記されていた。
『アイスバーン公国・第一回ベビーシャワー計画』
・招待客:全領民および近隣諸国の友好大使
・会場:城の前庭および城下町全域
・予算:無制限(私のポケットマネーから)
・メインイベント:花火一万発、および記念硬貨の発行
「き、規模が大きすぎませんか……!?」
「これでも抑えた方だ。……本当は、大陸全土に招待状を送りつけたかったのだが、君の身体に障るといけないので自重した」
彼は真顔で言っている。
妊娠が分かってからの彼は、「嬉しい」という感情が暴走して、何か形にしないと気が済まないらしい。
「この子が生まれてくることを、世界中の人々に祝福してもらいたいんだ。……そして何より、命がけでこの子を育んでいる君を、女王のように称えたい」
彼は私の手を取り、甲にキスをした。
「どうだろう、エルナ。……私のこの『プロポーズ』、受けてくれるか?」
そんな風に見つめられて、断れるはずがない。
それに、領民たちも最近、お祝いムードで浮き足立っていると聞く。
みんなで喜びを分かち合う場を作るのも、悪くないかもしれない。
「……分かりました。お受けします」
私が頷くと、レオン様はパァッと顔を輝かせた。
「ありがとう! よし、セバスチャン! 準備だ! 最高の一日にするぞ!」
「かしこまりました。……すでに手配は進めております」
どこからともなく現れたセバスチャンが、ニヤリと笑った。
どうやら、主従揃ってやる気満々だったらしい。
こうして、アイスバーン公国初となる、前代未聞の「国家規模ベビーシャワー」の開催が決定したのだった。
***
開催決定からの数日間、城は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
料理長のハンスさんは「妊婦様にも優しい、最強のフルコース」の開発に没頭し、マダム・ロゼは「マタニティドレスの革命を起こしますわ!」と布の山に埋もれている。
城下町では、職人たちが赤ちゃんのための特製家具やおもちゃを作り始め、街中がパステルカラーの飾り付けで彩られていく。
そして、当日。
アイスバーン城は、祝福の熱気に包まれていた。
「おめでとうございます、エルナ様!」
「元気な赤ちゃんを産んでくださいね!」
庭園に設けられた特設会場には、招待された領民たちが溢れかえっていた。
彼らは皆、手作りのプレゼントや花束を持って駆けつけてくれたのだ。
高価な宝石などないけれど、編みぐるみの靴下や、安産のお守り、採れたての果物など、心のこもった贈り物ばかりだ。
「皆さん……ありがとうございます」
私はロゼ特製の、お腹を締め付けないゆったりとしたドレスを着て、テラスから手を振った。
淡い黄色のドレスは、タンポポのように可憐で、見ているだけで心が弾む。
「……良い光景だ」
隣に立つレオン様が、満足げに頷いた。
今日の彼は、私のドレスに合わせた黄色のクラバットを締め、柔らかな雰囲気を纏っている。
かつて「氷の魔公爵」と呼ばれ、人々を遠ざけていた彼が、今ではこうして民衆の中心で笑っている。
その事実だけで、私は泣きそうになる。
「エルナ、泣くのは早いぞ。……まだメインゲストが到着していない」
「メインゲスト?」
「ああ。……少し騒がしい連中だが、君を祝いたいという気持ちだけは本物らしい」
レオン様が苦笑しながら城門の方を指差した。
すると、地響きのような足音と共に、聞き覚えのある大声が響いてきた。
「ぬん! 到着だぁぁぁ!」
「ちょっと! 揺らさないでよ! 私のヘアセットが崩れるじゃない!」
土煙を上げて現れたのは、巨大な御輿(みこし)のようなものを担いだ男たちの集団だった。
その先頭で、上半身裸に蝶ネクタイという奇妙な正装をしたロベルト・バーンスタイン辺境伯が仁王立ちしている。
そして、彼が担ぐ御輿の上には、ピンク色のドレスを着てふんぞり返る少女――ミューアの姿があった。
「ロベルト様……それに、ミューア!」
「よう! レオンハルト! エルナ嬢! 祝いに来たぞ! マッスル・ベビーシャワーだ!」
「お姉様! 久しぶりですわね! 元気にしていて!?」
二人は嵐のように会場へとなだれ込んできた。
周囲の領民たちが、その迫力に道を開ける。
「わざわざ来てくれたのね。……でも、その格好はなんなの?」
私が尋ねると、ロベルト様はニカッと笑ってポーズを決めた。
「正装だ! 祝いの席だからな、一番仕上がった筋肉を見せるのが礼儀だろう!」
「礼儀の定義が違いますわ」
「うるさいわね筋肉! 降ろしなさいよ!」
ミューアがロベルト様の頭をペシペシと叩く。
彼女もまた、以前よりずっと健康的で、肌ツヤが良くなっていた。
あのヒステリックな雰囲気は消え、どこか肝が据わったような強さを感じる。
「はいはい、女王様のお通りだ」
ロベルト様が恭しく(しかし雑に)ミューアを降ろすと、彼女はスカートを払って私に駆け寄ってきた。
「おめでとう、お姉様! ……ふん、相変わらず幸せそうな顔をして。少しはやつれているかと思いましたのに」
「ありがとう、ミューア。……貴方も元気そうね」
「当然ですわ! ロベルト様の領地で、男たちを鍛え上げるのに忙しいんですもの。……最近じゃ、『ミューア教官の愛のムチ』を受けるために行列ができているんですのよ?」
彼女は自慢げに胸を張った。
どうやら、彼女の天職は本当に「教官」だったらしい。
「さて、本題だ。……俺たちからの祝いの品を持ってきたぜ!」
ロベルト様が指を鳴らすと、部下たちが巨大な箱を運んできた。
リボンがかけられているが、中からは鉄の匂いがする。
「まさか……」
「開けてみろ!」
恐る恐る箱を開けると、中に入っていたのは――。
「……ダンベル?」
しかも、ただのダンベルではない。
赤ちゃん用に小さく作られた、金ピカに輝くダンベルだった。
さらに、赤ちゃん用のプロテインシェイカー(純金製)と、トレーニングベンチ(ミニサイズ)もセットになっている。
「『英才教育セット』だ! 生まれた瞬間から鍛えれば、三歳で岩を砕けるようになるぞ!」
「いりません!」
私は即答した。
レオン様もこめかみを押さえている。
「ロベルト……気持ちは受け取るが、私の子供を脳筋にするつもりはない」
「なんだと!? 筋肉は裏切らないぞ! 魔法が使えなくても、筋肉があれば生きていける!」
「魔法は使えるように育てるから安心しろ」
「ちぇっ。……まあいい。使わないなら、ドアストッパーにでもしてくれ」
あまりにも高級なドアストッパーだ。
「私からはこれよ!」
ミューアが差し出したのは、可愛らしいラッピングがされた箱だった。
中には、フリルたっぷりのベビー服と、手作りのスタイが入っていた。
刺繍は少し歪んでいるけれど、一生懸命縫ったことが伝わってくる。
「……これ、私がデザインして、縫いましたの。ロベルト様のところの裁縫部(筋肉隆々の男たち)に手伝わせて」
「まあ……可愛い!」
私はスタイを手に取り、頬ずりした。
「ありがとう、ミューア。……本当に、嬉しいわ」
「か、勘違いしないでよね! 私はただ、未来の姪っ子か甥っ子が、ダサい服を着ていたら可哀想だと思っただけよ!」
彼女はツンと顔を背けたが、その表情は照れくさそうだった。
素直じゃないところは相変わらずだけれど、その根底にある優しさは、もう隠しきれていない。
「……いい妹を持ったな、エルナ」
レオン様が私の耳元で囁いた。
「ええ。……自慢の妹です」
こうして、珍客たちの到着により、ベビーシャワーはさらに賑やかなものとなった。
ロベルト様は領民たちと腕相撲大会を始め、ミューアは女性たちに美容講座を開いている。
カオスだけれど、どこまでも温かい空間。
「……そういえば、レオン様」
ふと、私は思い出したように言った。
「貴方からの『プレゼント』は、まだいただいていませんわ」
「え?」
「プロポーズの時に仰っていたでしょう? 『とびきりのサプライズ』を用意していると」
昨夜のプロポーズは言葉だけだった。
いや、言葉だけでも十分嬉しかったけれど、彼のことだから何か「形」を用意しているのではないかと思ったのだ。
「……バレていたか」
レオン様は観念したように笑い、懐から一つの小箱を取り出した。
「実は、渡すタイミングを見計らっていたんだ。……ロベルトのダンベルの後に渡すのは、少々気が引けるが」
彼は箱を開け、中身を私に見せた。
それは、宝石のついた鍵だった。
氷のような透明なクリスタルで作られた、美しい鍵。
「これは……?」
「城の裏手にある、古い離れの鍵だ」
「離れ?」
「ああ。……そこを改装して、『絵本図書館』を作ったんだ」
「えっ……!」
「君と、子供のために。……世界中の絵本や、君が好きそうな物語を集めた、専用の図書館だ。暖炉もあって、床暖房も完備している。……君が疲れた時、静かに過ごせる場所を作りたかった」
レオン様の言葉に、私は胸が詰まった。
豪華な宝石やドレスよりも、ずっとずっと嬉しい贈り物。
私が本を読むのが好きだということを、そして静かな時間を愛していることを、彼は一番よく知ってくれている。
「……ありがとうございます。最高のプレゼントです」
「気に入ってくれたか?」
「はい。……子供が生まれたら、毎日そこで読み聞かせをしてあげます」
「私も混ぜてくれ。……私の声なら、よく眠れるはずだ」
「ふふっ、そうですね」
私たちは寄り添い合い、賑やかなパーティー会場を眺めた。
ロベルト様が「マッスル乾杯!」と叫び、ミューアが「ちょっと、私のジュース飲まないでよ!」と怒っている。
ハンスさんが料理を運び、マーサさんが子供たちにお菓子を配っている。
なんて幸せな景色だろう。
かつて孤独だった私と彼が、今ではこんなにも多くの愛に囲まれている。
「エルナ」
レオン様が私の肩を抱いた。
「……生まれてくる子は、きっと幸せになる」
「ええ。……だって、こんなに素敵なパパと、愉快な仲間たちが待っているんですもの」
「『愉快な』は余計だがな」
彼は苦笑し、そして優しく私のお腹に手を当てた。
「待っているよ。……私たちの希望」
お腹の中の赤ちゃんが、ポコッと動いた。
まるで「うん、分かってるよ」と答えるように。
ベビーシャワーは夜まで続き、最後はレオン様が魔法で打ち上げた一万発の花火で幕を閉じた。
夜空に咲く大輪の花を見上げながら、私は心の中で誓った。
この幸せを、絶対に守り抜く。
そして、生まれてくる子に、この世界の美しさをたくさん教えてあげよう。
レオン様の手の温もりと、お腹の重みを感じながら、私は人生で一番の幸福を噛み締めていた。
***
そして、季節は巡る。
夏が過ぎ、秋が来て、やがて北の大地に再び冬が訪れる頃。
ついに、その時はやってきた。
「うっ……! レ、レオン様……!」
深夜、突然の痛みに私が目を覚ますと、隣で眠っていたレオン様が弾かれたように飛び起きた。
「どうした!? 陣痛か!?」
「は、はい……たぶん……」
「落ち着け! いや、私が落ち着け! セバスチャン! 医師を呼べ! お湯だ! いや、氷か!? どっちだ!」
最強の公爵様が、かつてないほどパニックになっている。
その姿を見て、痛みの最中なのに、私は少し笑ってしまった。
「大丈夫です、レオン様。……私たちがついていますから」
私は彼の手を握りしめた。
長い夜が始まる。
そして、新しい朝と共に、新しい命がこの世に生を受けるのだ。
(第35話 完)
87
あなたにおすすめの小説
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
【完】出来損ない令嬢は、双子の娘を持つ公爵様と契約結婚する~いつの間にか公爵様と7歳のかわいい双子たちに、めいっぱい溺愛されていました~
夏芽空
恋愛
子爵令嬢のエレナは、常に優秀な妹と比較され家族からひどい扱いを受けてきた。
しかし彼女は7歳の双子の娘を持つ公爵――ジオルトと契約結婚したことで、最低な家族の元を離れることができた。
しかも、条件は最高。公の場で妻を演じる以外は自由に過ごしていい上に、さらには給料までも出してくてれるという。
夢のような生活を手に入れた――と、思ったのもつかの間。
いきなり事件が発生してしまう。
結婚したその翌日に、双子の姉が令嬢教育の教育係をやめさせてしまった。
しかもジオルトは仕事で出かけていて、帰ってくるのはなんと一週間後だ。
(こうなったら、私がなんとかするしかないわ!)
腹をくくったエレナは、おもいきった行動を起こす。
それがきっかけとなり、ちょっと癖のある美少女双子義娘と、彼女たちよりもさらに癖の強いジオルトとの距離が縮まっていくのだった――。
ボロボロになるまで働いたのに見た目が不快だと追放された聖女は隣国の皇子に溺愛される。……ちょっと待って、皇子が三つ子だなんて聞いてません!
沙寺絃
恋愛
ルイン王国の神殿で働く聖女アリーシャは、早朝から深夜まで一人で激務をこなしていた。
それなのに聖女の力を理解しない王太子コリンから理不尽に追放を言い渡されてしまう。
失意のアリーシャを迎えに来たのは、隣国アストラ帝国からの使者だった。
アリーシャはポーション作りの才能を買われ、アストラ帝国に招かれて病に臥せった皇帝を助ける。
帝国の皇子は感謝して、アリーシャに深い愛情と敬意を示すようになる。
そして帝国の皇子は十年前にアリーシャと出会った事のある初恋の男の子だった。
再会に胸を弾ませるアリーシャ。しかし、衝撃の事実が発覚する。
なんと、皇子は三つ子だった!
アリーシャの幼馴染の男の子も、三人の皇子が入れ替わって接していたと判明。
しかも病から復活した皇帝は、アリーシャを皇子の妃に迎えると言い出す。アリーシャと結婚した皇子に、次の皇帝の座を譲ると宣言した。
アリーシャは個性的な三つ子の皇子に愛されながら、誰と結婚するか決める事になってしまう。
一方、アリーシャを追放したルイン王国では暗雲が立ち込め始めていた……。
無一文で追放される悪女に転生したので特技を活かしてお金儲けを始めたら、聖女様と呼ばれるようになりました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
スーパームーンの美しい夜。仕事帰り、トラックに撥ねらてしまった私。気づけば草の生えた地面の上に倒れていた。目の前に見える城に入れば、盛大なパーティーの真っ最中。目の前にある豪華な食事を口にしていると見知らぬ男性にいきなり名前を呼ばれて、次期王妃候補の資格を失ったことを聞かされた。理由も分からないまま、家に帰宅すると「お前のような恥さらしは今日限り、出ていけ」と追い出されてしまう。途方に暮れる私についてきてくれたのは、私の専属メイドと御者の青年。そこで私は2人を連れて新天地目指して旅立つことにした。無一文だけど大丈夫。私は前世の特技を活かしてお金を稼ぐことが出来るのだから――
※ 他サイトでも投稿中
貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました
ゆっこ
恋愛
――あの日、私は確かに笑われた。
「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」
王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。
その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。
――婚約破棄。
捨てられた元聖女ですが、なぜか蘇生聖術【リザレクション】が使えます ~婚約破棄のち追放のち力を奪われ『愚醜王』に嫁がされましたが幸せです~
鏑木カヅキ
恋愛
十年ものあいだ人々を癒し続けていた聖女シリカは、ある日、婚約者のユリアン第一王子から婚約破棄を告げられる。さらには信頼していた枢機卿バルトルトに裏切られ、伯爵令嬢ドーリスに聖女の力と王子との婚約さえ奪われてしまう。
元聖女となったシリカは、バルトルトたちの謀略により、貧困国ロンダリアの『愚醜王ヴィルヘルム』のもとへと強制的に嫁ぐことになってしまう。無知蒙昧で不遜、それだけでなく容姿も醜いと噂の王である。
そんな不幸な境遇でありながらも彼女は前向きだった。
「陛下と国家に尽くします!」
シリカの行動により国民も国も、そして王ヴィルヘルムでさえも変わっていく。
そしてある事件を機に、シリカは奪われたはずの聖女の力に再び目覚める。失われたはずの蘇生聖術『リザレクション』を使ったことで、国情は一変。ロンダリアでは新たな聖女体制が敷かれ、国家再興の兆しを見せていた。
一方、聖女ドーリスの力がシリカに遠く及ばないことが判明する中、シリカの噂を聞きつけた枢機卿バルトルトは、シリカに帰還を要請してくる。しかし、すでに何もかもが手遅れだった。
【完結】無能な聖女はいらないと婚約破棄され、追放されたので自由に生きようと思います
黒幸
恋愛
辺境伯令嬢レイチェルは学園の卒業パーティーでイラリオ王子から、婚約破棄を告げられ、国外追放を言い渡されてしまう。
レイチェルは一言も言い返さないまま、パーティー会場から姿を消した。
邪魔者がいなくなったと我が世の春を謳歌するイラリオと新たな婚約者ヒメナ。
しかし、レイチェルが国からいなくなり、不可解な事態が起き始めるのだった。
章を分けるとかえって、ややこしいとの御指摘を受け、章分けを基に戻しました。
どうやら、作者がメダパニ状態だったようです。
表紙イラストはイラストAC様から、お借りしています。
【第一章完結】相手を間違えたと言われても困りますわ。返品・交換不可とさせて頂きます
との
恋愛
「結婚おめでとう」 婚約者と義妹に、笑顔で手を振るリディア。
(さて、さっさと逃げ出すわよ)
公爵夫人になりたかったらしい義妹が、代わりに結婚してくれたのはリディアにとっては嬉しい誤算だった。
リディアは自分が立ち上げた商会ごと逃げ出し、新しい商売を立ち上げようと張り切ります。
どこへ行っても何かしらやらかしてしまうリディアのお陰で、秘書のセオ達と侍女のマーサはハラハラしまくり。
結婚を申し込まれても・・
「困った事になったわね。在地剰余の話、しにくくなっちゃった」
「「はあ? そこ?」」
ーーーーーー
設定かなりゆるゆる?
第一章完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる