『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

6.コーリング・ステーション(7)

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 ホールでの流れをだいたい確認し終わって、一度休憩が入った。
 葉延七海の小曲で会場開け、全ての部門担当が一度集まってのセレモニーで開会宣言と挨拶、ソーシャル・イベントからの不要ニットの提供と寄付の呼び掛け、続いてオープン・イベントと屋台、ホール・イベントがそれぞれ始まる。 
 まずは『Brechen』のショーが1時間半、間に再び七海のミニコンサートが入り、後半1時間半が桜木通販の持ち時間だ。
 『Brechen』の1時間半はそれなりに足止めできるが、七海のコンサートでハープ演奏に興味のない人間のかなりが抜けることが予想されるし、30分のコンサート時間はじっくり聞くにもどこかで時間を潰すにも短かすぎる。
 9時開始で昼までのホール・イベントは午後からのオープン・イベントの客を減らさない意味もある。午後からのイベントに合わせて早めの昼食をとろうとする客も多いだろうし、現在人気の『Brechen』の後に続く知名度の低い桜木通販の1時間半のイベントに、どれだけ再度人間を引き寄せられるのか。
「ふぅ…」
 なかなか厳しいよ、高崎くん。
 トイレに立って京介は小さく溜め息をつく。
 桜木通販は元々ショーや舞台など華やかな状況には無縁の会社だ。正面から張り合っても『Brechen』に対抗しきれないのはわかっているが、それでも全く注目されないとなると、やはり抱えたニット帽の在庫が負担になる。
 万が一を考えて、ドロップシッピングの許可も得てはいるが、やはり全面敗北を認めた形になると上層部でも納得しきれない人間は多い。
「販売ビジネスでいいんじゃないかってわけにもいかないよね」
 岩倉産業がじわじわと桜木通販の株買収に乗り出しているのを不安がっている株主は多い。大丈夫なのか、と社長も遠回しに打診はされているようだ。
 合併までは譲歩する、だが吸収となると立場が違うだろう。今のうちに、岩倉産業のスポンサーに回っていたほうが無難だということかね。
 ケツの穴の小さいのがそう言ってきたけどね、と元子は笑っていたが。
 かた、と背後の個室で小さな音がして思考が途切れた。振り向くと閉まったドアの向こうに人の気配がある。
 まさか、とは思うけど。
 急いで向き直って、気配を殺すようにそっと支度を整えた矢先、キイ、と後でドアが開いた。出て来た相手が一瞬動きを止め、やがてのそりと真後ろに立つ。
「……」
 無言で待ったが動く気配がない。
 まさか。
 不安に背筋が竦む。
 そんな偶然。
 あるわけがない、あってなどほしくない。
 嫌な予感をあえて気づかぬふりをしてそこを離れようとしたとたん、ぎちりと腕を掴まれた。
「っ」
「怖いのか」
 背中にひたりと寄せられる体、低く響く声は大輔のものだ。
 全身冷たい水を浴びたような気分になった。
 どうして、また。
「離して下さい」
 なんでここに。
 強く顔を背け、体をねじって離れようとする。
「ここにはあいつは来ない」
 ドアはすぐそこだ。
「離せ」
 声を立てることもできる、不利なのは大輔のはずだ。
 なのになぜ、脚が竦む、ドアが遠い。
「ここに俺が居るってことが、神様がどっちの味方かわかるってもんだよな」
「っ!」
 ぞくりとした。
 記憶が蘇って背筋が凍った瞬間、振り払う間もなくもう片方の腕も後から掴まれ、叩きつけられるように洗面台の壁に押しつけられる。
「く」
 どしん、と強く打った胸と、とっさに向きを変えたものの鏡に突っ込みそうになった顔に、一瞬息を呑んだ。
「俺が手を出せないと思ったのか」
 くつくつと大輔は嗤った。
「職を…失う気ですか」
「それはお前の方だろ、ええ?」
 耳のすぐ側で囁かれて皮膚が粟立った。
「この仕事が失敗したら、会社がなくなるんだろ」
「…」
「お前の会社も馬鹿だ、お前なんかに命運を任せて」
「失敗するとは限らない」
「成功できるはずがないだろう」
 大輔は喉の奥で低く嗤った。
「俺が居るんだぞ?」
 噂を聞いてないのか。
「お前がどんな奴なのか」
 繰り返し吹き込んでやる、周囲に。
「男にここを」
「っっ」
 ぐい、と後から腰の中央を抉るように脚を割られて膝で押し上げられ、洗面台にのしかかって腰を後ろに突き出す形になった。爪先が床から浮いて体の中心が洗面台に擦り付けられ、痛みが走って顔を歪める。
「弄ばれるのが好きでたまらないってな」
「ちが…う」
「何が違う」
 抵抗もしないで、俺の膝の感覚を味わってやがるんだ。
「くっ」
 歯を食い縛って脚を降ろそうとすると、どうしても大輔の膝にまともに押し付けて乗ることになる。不快感に吐きそうになりながら、それでも身もがこうとすると、なおも強く鏡に顔を押し付けられて眼鏡が歪み、視界がぼやけた。
 眼鏡が、外れる。
 気づいた瞬間、凍るような不安が湧き上がる。
 眼鏡が。
 外されて。
 それは蹂躙と虐待の開始の合図だ。
「う…」
 体を震わせながら大輔の膝を拒もうとし、なお深く突かれて中心が強く押さえつけられた。
 刺激に反応する自分が居る。
「……腰が揺れたぞ」
 刷り込まれた悪夢が、勝手に体の内側で再生を始め、一番楽な方法を選びたくなる。
 大人しく心を閉じてやり過ごせ、別に殺されるわけじゃない、と。
 でも。
『京介』
 いや、だ。
『逃げなさい』
 もう、いやだ。
 美並。
「体は正直だな」
「く、」 
 いっそ舌を噛むとか、自分で鏡に顔を叩きつけてやるとか。
 ああ、それはいいかもしれない。
 自分の中でひんやりしたものが凝り固まっていく。
 顔を少し上げて、それから思いきり鏡に顔を叩きつけてやれば、割れるかもしれない、顔か鏡かどちらかが。
 もう要らない、こんな自分など。
 誰もかれも、京介の外側ばかりを欲しがっていくのなら、全部ずたずたにしてしまって、それから伊吹の元へ行こう。伊吹は京介を拒まないはずだし、それだけぼろぼろになって行ったらきっと、捨てるとか置き去りにするとか考えないだろう。他の誰かを好きになっても京介を側に置いてくれるかもしれない、哀れみと同情で。
 それはいい。
 それでもいい。
 もう、伊吹以外の誰かに体を明け渡したくない。
「…ふ…」
「…感じてきたのか」
 ゆっくりと体を起こして仰け反っていく京介の視界がふいに霞んだ。眼鏡が顔から滑り落ちていくのと同時に、思いきり顔を逸らしてそのまま一気に額から鏡に突っ込もうとしたとたん、
「手を突け」
 びしりとした声が響いてはっとした。
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