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今更問題

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「タージェス王子はメアリー王女に会うため木に登り、窓を三回ノックした。木々が揺れる音の中に確かに聞こえたその音にメアリー王女は振り向き、涙を浮かべた。会いたくてたまらなかった彼がそこにいる。メアリーは急いで窓を開け、身を乗り出して抱き合った。大きな胸に抱かれ、彼の匂いに包まれた瞬間、全てを捨てる覚悟を決めた。彼がいればそれでいい。他には何もいらない。産んでくれた両親に手紙を残し、二人は国を飛び出した。……はあ?」

 久しぶりに手に取った恋愛小説を朗読するリリーはクライマックスを読んでいる途中で疑問を声に出して眉を寄せた。

「飛び出してどうするの? 王子も王女も何も出来ないのに。お金だってどうするの?」
「王女様のドレスを売ってお金にするんですよ」
「メアリーの服は?」
「農民達が着ているような服を買って着るんでしょうね」
「どうして王女だけ? 王子は?」
「王子様も同じようになさいます」

 あくまでもフィクションとして楽しむ物語を現実に置き換えて疑問を口にするリリーにアネットは淡々と言葉を返す。
 理解出来ないとあと数ページで読み終わる本を閉じてベッドに放り投げテーブルの上に頬杖をついた。

「大体そんな都合よく窓の傍に人が乗っても大丈夫な木が生えてるわけないじゃない」
「そこに」
「……あれは……まあそうね。そういう家もあるわね」

 顔を左に向ければ窓の傍には恋愛小説と同じで人が乗っても大丈夫なほど太くしっかりとした木がある。

「王子は鍛えてるから身軽に上り下りができるけど王女は運動が苦手なのにどうやって木から降りて誰にも見つからず国の外まで出ていくの?」
「木の下に馬を待たせていたのでしょう」
「門番は?」
「どこかに抜け道を見つけたとか」
「この相手が盗賊とかならそれもわかるわ。逃げるために街のことなら誰よりも詳しいって設定でいけるから。でも王子よ? 街の隅から隅まで歩いたことなんてないのに抜け道なんてわかるはずない」
「下町に出た時に金貨を握らせて調べさせたのかもしれませんね」
「そんなことする王子やだ」
「それだけ二人で国を抜けようと必死だったんですよ。捕らえられれば人生は詰んだようなものですから、金貨一枚で全て上手くいくなら私でも握らせます」
「夢がない」
「おこちゃまにはわからないでしょうね。絵本でもお持ちしましょうか?」

 リリーの疑問に迷うことなく答えていくアネットに回答には夢がないと文句を垂れるリリーはもっと別の描写が欲しかった。
 反逆罪に問われる可能性があるとわかりながらも門番は王子または王女のために診て見ぬフリをした……とか。金貨を握らせて裏道を探させ無事脱出したのでは成金そのもののやり方。王子の苦労が見えないと不満しかなかった。

「そもそも二人を引き離すために警備を強化してたのに王子はどうやって庭に入ったの?」
「身軽なのでしょうね。王女様を片腕で抱えて木から降りられるぐらいには」
「スラリと伸びた手足よね?」
「脱げばすごいとか」
「そんな人いない」
「酒場に行けば山のようにいますよ。まあ、お嬢様は殿方の裸を見られたことがないので想像がつかないのも仕方ないわけですが」

 酒場などで踊っていたアネットは酸いも甘いも知っている。そんな相手に「アネットだって!」と言いたいが言えるはずもなく馬鹿にされた悔しさを唇を尖らせる事で耐えた。

「こんな展開の何が面白いのかしら?」

 目の前にあるクッキーを一つ摘まんで皿にコンコンと軽く当てて音を鳴らしながら全く感情移入できない小説に肩を竦めた。

「感動的だと思いますよ? 敵国同士の王子と王女が許されないとわかりながらも愛し合う気持ちを抑えきれず、悩み苦しんだ末に地位も名誉も贅沢も全て手放して先の見えない明日を二人は手を取り合って生きていくんです」
「そんな甘くないと思うけど」
「何事もやってみなければわかりません」

 正論だと反論はせずに頬杖をついたまま溜息をついた。

「王子って毎回木を登ってくるけどどうしてかしら? 木をズリズリ登る姿ってかなり無様よね。誰かに見られたらすごい恥ずかしいと思うんだけど」

 太い木の幹にしかみついて登ってくる様を想像するだけでおかしくて、嘲笑するリリーの傍に古いシーツを持ったアネットが立った。

「王子にお聞きになってはいかがですか?」
「え? キャァァアアアアア!」

 アネットが指す先に顔を向けると窓の外に男がいた。恐怖に声を上げるリリーを無視して外からノックされる。

「……クロ、ヴィス……?」
「王女様は窓を開けて王子に抱きついたのでしょう?」
「私は公爵令嬢だし抱きつく理由がない」
「そうですか。ではお嬢様はお嬢様の物語を紡いでください」

 頭を下げて部屋から出ていくアネットに眉を寄せながら見送ると胸を押さえて深呼吸を一度してから窓に向き直り外の人物に改めて視線をやった。

「開けろ」

 思い出されるあの日の記憶。あの時も同じ言い方で窓を開ける事を催促していた。

「何か用?」

 窓を開けて問いかけると中に入ろうとするため手のひらを向けてストップをかける。

「何だ?」
「何の用か聞かせて」
「話をしに来ただけだ」
「何それ」

 自分を忘れ、冷たく当たる男が何の話をしに来たというのか。
 王子は王女に会いたいがために人の目をかいくぐって会いに行った。

この王子は何をしに木を登ったのか———

「正面から来たら?」
「俺はこんな風にお前に会いに行っていたのだろう?」
「常識知らずだから。でも今の貴方は違うでしょ。無理に同じ行動なんてしなくていい」

 クロヴィスへの想いを自覚した今では木を登ってまで会いに来てくれたあの瞬間は懐かしいと目を細めたくなる思い出で、名前さえ呼ばない相手に同じ事をされても喜ぶ事は出来なかった。

「リリー」
「……呼ばないで」
「何だと?」
「ごめんなさい。でも、あなたに名前を呼ばれたくないの」

 同じ顔、同じ声なのに苦しいほど胸が締め付けられるのは真摯に向き合おうとしてくれた相手ではないから。
 怪訝な顔をするその表情も昔のクロヴィスなら浮かべていただろうが、リリーが思い出すのは小さくはあったが確かな笑顔のクロヴィス。探り探りながらに喜ばせようとしてくれた姿だった。

「……ユリアス王子と婚約すると?」
「彼が了承してくれればそうするつもり」
「俺にあんなことを言っておきながら他の男と結婚するのか?」

 演技だとフレデリックには言った。女優になれると空を見上げて笑った。でも違う。あの時にはもう自覚していたのだ。

 彼が好きだと。

 伝えなかったのは今の彼が自分が好きになった相手ではないから。それを言い逃げだと言われてしまえばその通りで返す言葉もないが、相手が応える気さえないのであれば他の男と婚約しようと責められる覚えはない。

「お前にとって俺はどんな男だった?」

 唐突な問いかけにリリーは迷った。覚えていないこの男に正直に話したところで何の意味があるのだろうかと。

「……堅物で、自己中で、人の気持ちがわからない人」

 ぽつりぽつりと話し始めるリリーにクロヴィスは眉を寄せる。

「でも、貴方は変わり始めてた。私を喜ばせようと色のないサロンを花いっぱいに変えて私の好きな物を用意してくれた。私がどれだけ拒んでも気にせず後を追いかけ回して……いつも名前を呼んでくれた。それまで貴方はほとんど私の名前を呼ばなかったし、呼び出す時はいつも手紙で、貴方が足を運んで来ることなんてなかったのに」

 あまり気にした事はなかったが、言葉にすれば自分達がいかに仮面の婚約者だったかよくわかる。

「でも貴方に文句言えるほど私は出来た人間じゃなかった。積極的に貴方を知ろうとしなかったし、貴方に直接不満も言わなかった。それは貴方もそう。私に不満があっただろうけど何も言わなかった。嫌な部分ばかり見て貴方を嫌な男だって決めつけてた。まあ、実際嫌な男ではあったんだけど」

 中に入る事は諦めて木にもたれかかって座るクロヴィスを見ると言葉にはしないが顔には不満が現れていた。まるで『自分はそんな男じゃない』とでも言いたげに。

「……私ね、悪役令嬢になりたかったの」
「悪役、令嬢? なんだそれは?」

 怪訝な表情でリリーを見るクロヴィスの頭上には疑問符が浮かんでいる。皆同じ顔をする事に苦笑いをするべきか笑うべきか迷うもリリーは笑ってみせた。

「ヒロインと王子がくっつくのを邪魔する悪い令嬢のこと」
「性悪令嬢のことか?」
「まあ……そうね」

 言い得て妙だと納得してしまう自分が嫌だと一度目を閉じると立ち上がったリリーは本棚からお気に入りの一冊を取り出して表紙を見せた。

「王子のことを好きなヒロインがいて、王子もヒロインをいいなって思ってるの。でもまだくっつくまではいってない間柄で、そこに登場するのがヒロインと同じ王子を好きな令嬢。王子がヒロインを見てるのが気に入らなくて意地悪するの」
「何故そんな性悪になりたいんだ? そのヒロインとやらは王子に愛されるんだろう? 幸せになりたくないのか?」
「結論を問われても困るんだけど……。あくまでも過程を楽しみたいわけだから」

 誰だって王子に愛されるヒロインを望むのはわかっている。誰に話しても理解はされない。クロヴィスの疑問は尤もで、リリー自身も悪役令嬢好きでない状態でどこかの令嬢がサロンでそれを話していたら疑問視しただろう。
 だが、憧れてしまったのだからどうしようもない。

「かっこいいなーって思ったの」
「イジメをする事がか?」
「イジメじゃなくていじわ……一緒か」

 イジメのように酷い事ではないと言おうとしてもヒロインを傷つけ陥れるのだからイジメと変わりない。
 いちいち正論をぶつけてくるのは腹が立つが、それがクロヴィスらしいとも思った。

「貴方に婚約破棄された時、自由になれたって本当に嬉しかった。だってほら、王子がいると悪役令嬢にはなれないでしょ? これで悪役令嬢になれるかもしれないって喜んだのに貴方はそれをぶち壊すように翌日から私を追いかけ回した。すっごいムカついた」
「喜ぶべきだろう」
「まさかっ。王子に追いかけ回される悪役令嬢なんて聞いたことがない! 王子がヒロインを見なきゃ悪役令嬢は嫉妬しない。嫉妬とかライバル心から意地悪に走る……んだけど……」

 憧れだけで突っ走った期間の事を思い出すとリリーの口がゆっくり閉じて視線は下に落ちていく。

———もしかして私のしてきた事ってただのイジメ?

 嫉妬やライバル心ではなく、エステルがヒロインぽいからと突っかかっていったとんでもなく嫌な女を演じただけではないのかと今更になって気付き、開きそうになる口を押さえた。

「で、その悪役令嬢とやらにはなれたのか?」
「いいえ、全然。貴方のせいと……それに、私が馬鹿だからなれなかった」

 憧れていればいずれは夢が叶うという甘い人生は存在しない。努力があって研究があって挑戦がある。リリーは努力も研究もなく、ただ見て憧れて挑戦しただけ。何の準備もなしに海に出た海賊のような、無謀な挑戦をしただけ。

「あー……」

 その場でしゃがみこんで頭を抱えると自分の愚かさに奇声を上げたくなった。

「ねえ、その木から飛べば記憶を失える?」
「足の骨を折って恥の上塗りぐらいは出来るだろうな」
「やっぱり嫌な男」

 完全な嫌味に記憶を失う前のクロヴィスならそんな事は言わなかったと思うと甘さを失った目の前の男に良い変化はないと強く息を吐き出して立ち上がった。

「まだ続けるのか?」
「いいえ、もういい。悪役令嬢にはなりたかったけど右に転んでも左に転んでも無理そうだからもうやめる。王子に婚約破棄されて、王子に好きだって言われたのにその直後に王子に忘れられる悪役令嬢なんていないもの。自分でヒロインなんて言うのは嫌だけど立場的にはそんな感じだしね」
「賢明だな」
「どうも」

 フッと鼻で笑う妙に小馬鹿にされた感のある反応に感情のこもっていない返事をすると椅子に戻るも手を伸ばしている事に気付いて手と顔に交互に視線を向ける。

「俺が好きだと言った時、お前の中に返事はあったのか?」

 ドクンと心臓が跳ねる。
 クロヴィスが記憶を失う直前の感情が甦る。

「……あの時は……恥ずかしさだけだったから……」

 嫌悪や呆れはなかった。胸がドキドキして、顔が熱くなって、恥ずかしさが勝った。ただ、迷いがあったから返事をするとか考えられず、早く行くよう促しただけだった。

「今は?」

 射貫くような視線に一度視線を逸らすも首を振ってその強い目を真っ直ぐ見つめ返した。

「好き。いつの間にか貴方を好きになってた」

 口にした瞬間、涙がこぼれそうになった。
 目の前にいる相手に好きだと伝えたのに相手は自分を好きになってくれた感情を忘れてしまっている。こんな簡単な言葉さえ口に出来ず、自分にしかわからない感情さえ迷い、否定し、そして気付いた時には遅かった。

 何もかも自分が愚かだから失敗するんだと両手で顔を覆い肩を震わせる。

「泣くな」
「泣いてない。あと汚い。アネットに怒られるわよ」

 窓枠に足をかけて身を乗り出したクロヴィスはリリーの髪に指を通して頭を撫でるもリリーはヒロインらしく身を預けるのではなく涙を拭いてクロヴィスの足を叩いた。

「アバズレ女に言われても嬉しくないだろうけど言わせて」

 足を引いて木に戻ったクロヴィスの眉が中央へと少し動く。

「好きだって言ってくれてありがとう」

 吹っ切れたように笑顔を見せるリリーにクロヴィスは何も言わなかった。その代わり、戻した身体を前に進めてリリーの頬に触れようとした時———

「リリー、明日の……なっ⁉」
「お父様⁉」

 ノックもせずに入ってきた父親に驚くも驚いたのは父親の方で、何故クロヴィスが此処にいるのか問おうと口を開けたがすぐに閉じて早足でリリーに近付き腕を掴んだ。

「申し訳ありませんが、娘は明日の顔合わせの準備がありますので失礼させていただきます。王子も風邪をひかれる前にお戻りください」
「え、え、ちょっとお父様⁉」
「いいから来なさい!」

 頭を下げて早口で伝えるとクロヴィスが帰るのを見送らずリリーの腕を引っ張って部屋から出ていってしまった。

「明日か……」

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